きじのまき その4
遅れました_(:3」∠)_
勇者は壁にぶつかる寸前で、魔法の力でブレーキをかけました。そして、そのまま宙空に留まります。
対して、モノタローは空中でトンボをきると、体勢を整え、両足で壁に着地しました。
そのまま、膝で反動をつけて、勇者へと跳びかかります。
勇者の右手から青い光が生まれますが、それが形をなすよりも、モノタローが抜刀し、斬りかかる方が先でした。
勇者はその斬撃を紙一重で避け、そしてそのまま更に上空へと上がります。
ほとんど天井近くまで上がると、器用に着地したモノタローを睨みつけ、腕を振り下ろします。
瞬間、滝のように大量の水が、モノタローに向かって降り注ぎました。
それはあっさりとモノタローを捉え、水圧で地面へと這いつくばらせます。
「がっ……!」
それは、その場にいた全員が初めて聞いた、モノタローの苦悶の声でした。
なすすべのないモノタローに、嘲笑を浮かべ、勇者はさらに水圧を上げるべく、右手に魔力を集中していきます。
「吹き飛べ!」
それを遮ったのは、同じように、大量の水でした。
滝ではなく、さながら氾濫した川のように、平面を描いて勇者へと叩きつけられました。
それを放ったのはもちろん、空を飛ぶことを夢見た男。
そして、勇者の子。
今は、雉と呼ばれる男でした。
「お前の相手は、僕だ」
力強く言い切った雉に、傷を負った様子もない勇者は、つまらなさそうに答えます。
「役不足だな」
その言葉こそ雉に向けられたものではありましたが、視線は苦しげに息をつく、モノタローから動きません。
それが、雉の想いを、誇りをズタズタにします。
「役不足かどうか、思い知るといいさ!」
勇者と同じ高さに浮かぶ雉の両手に、青い光が集まります。
「貫け!」
光が無数の雨の弾丸となって、勇者に放たれました。
雨弾は壁を叩き、そしてもちろん、勇者をも蜂の巣状にしていきます。
しかし、勇者には傷一つ負わせることができませんでした。
「できそこないが」
溜息をつきながら、勇者は指を雉へと向けました。
次の瞬間、一滴の水が、雉を吹き飛ばしました。
一滴というにはちょっと大きく、人間の身体の倍くらいはありました。
雨粒というよりは大玉転がしのような水滴であったのは、雉にとっては幸運でした。
これが雉と同じ、銃弾の大きさであれば、身体に穴が開いていたに違いないからです。
つまりは、彼は勇者に遊ばれているのです。
こう書くと微笑ましい親子のように錯覚するかもしれませんが、はっきりと錯覚です。
「くっ……」
苦しげに息を洩らしながらも、雉は立ち上がりました。
モノタローは、身体を起こしはしたものの、まだ立ち上がれません。ダメージは周囲が思ったよりも、深刻そうでした。
雉はまた歯がみしました。込められた力の差は、つまり評価の差でした。
「落ち着け」
沸騰しそうになる雉に、静かな声がかけられました。
「?」
不意に横からかかった声に驚き、雉が振りむいたその先には、狗がいました。
音もなく、気配もなく。もと暗殺者、と呼ぶには現役過ぎる男が、そこにはいました。
「お前が舐められているなら好都合だ」
狗は、静かに口を開きます。
「そんなことは後悔させてやればいい。油断につけ込んで、容赦なく奴を叩け」
それはどこまでも現実的な言葉でした。そういくつも歳が変わらない狗から、そんな言葉がかけられたことに、雉は眼から鱗を落としました。しかも大量に。
フィーバー状態の雉は、何かを噛み締めるように一度俯き――そして、顔をあげ、狗をキラキラとした瞳で見つめました。
「そうですね。ありがとうございます、兄貴!」
呼び方がこのクライマックスで確定したようです。
「あ、あにき……?」
腐れるつもりが一切ない、けれど情の深すぎる暗殺者は一歩雉から離れました。
雉の頬が少し紅潮しているのは、気のせいだと思うことにしました。
ただ、引いたはずの一歩を詰められているのは、気のせいではありません。
「とにかく、何とか奴を地上に引きずり降ろしてくれ。後は俺がやる」
狗に自覚はありませんが、その言葉は自信に満ちていました。もちろん、接近戦ならモノタローからも頼られるほどの狗です。自信は当然でありました。
しかし、問題は受け取る側の気持ちです。雉の瞳はギラギラとちょっと鬱陶しいくらいに輝いています。完全に入れ込んでいます。
「任せて下さい! 兄貴!」
とてもいいお返事でした。
だんっ! と大きな音を立て、雉が再び宙を舞います。
狗はその背中を見上げて、思いました。
すなわち、俺が何をした? と。
空気をまったく読めない男には困ったものです。傷ついた人間に、優しくし過ぎるとそうなるのです。
雉が宙空へと舞い戻りました。その両手に青い光が灯ります。空気中の水分が凝結し、長い氷の鎖へと姿を変えていきました。
それでも勇者は雉を一瞥しただけで、特に動きを見せません。ただ、嘲笑します。
「できそこないが、私に触れられるわけがなかろう」
しかし、雉は激昂しません。そのかわりに、嘲笑を返します。
「うるさい。吹っ飛べ、クソ親父」
その言葉にわずかに驚きを浮かべ、勇者は雉を始めてみました。
そして、表情を厳しいものに改めます。
その瞳をしているものを、侮ってはいけません。
自分がなお届かないことが分かっていても、やるべきことをやる。目的へ向かい、きちんと進む。その徹底した意志が込められているものを、侮ってはいけません。
それを勇者は、経験から理解していました。
そして、認めます。
目の前のできそこない。不肖の息子は、今や魔王の息子と変わらない障害となったことを、認めます。
「ふっとべえええええええええええええええ!」
氷の鞭が、空気を切り裂いて、勇者の左右から迫ります。
勇者は水色の壁を自分を取り巻く球状に展開し、鞭を防ぎました。氷が音を立てて砕け、空気中に散らばります。
その一部。具体的には、勇者の背中に回った氷の欠片たち。
それらが一瞬で結合し、岩となります。
勇者は気づかず壁を解除し、指先に魔力を集めます。
そして、水滴の弾丸が雉の肩を貫くのと、氷の岩が、勇者の背中に叩きつけられるのは、まったくの同時でした。
「ぐあっ!」
「おおっ!」
二人の声が重なり、共に地上へと落下します。
空を舞うはずの雉は、どさり、となすすべもなく倒れます。一方の勇者は体を捌いて氷岩から抜け、体勢を崩しながらも両足で着地しました。
それを待っていたかのように、影が勇者に迫ります。当然のように、狗でした。
音もなく左手で短剣を勇者の肝臓めがけてつきこみます。それを身体をひねってかわせたのは、さすがという他ありません。
しかし、そこまででした。
避けられることを見越していたかのように放たれた、狗の右足が勇者のこめかみを捉えました。さらに、振りきったはずの足が振り子のように戻り、踵が反対のこめかみを捉えます。
勇者がたたらを踏みます。意識を保つかのように、首を振りました。
当然、狗は止まりません。さらにまっすぐに、短刀を突き出します。
ぎいんっ! と音を立てて、青い壁が刃の侵入を阻みました。
しかし、狗は慌てません。すぐに短刀を引き戻し、勇者の反撃に備えます。
「……貴様、何者だ?」
勇者からきたのは反撃ではなく、そんな驚きの言葉でした。
「何者でもない。ただの、お供だ」
狗は淡々と応じます。そこには、誇らしさもなければ、気負いもありません。
「兄貴かっこいー!」
すっかりグルービーと化した情緒不安定な男の声が空中から届きましたが、二人はきっぱりと無視しました。




