さるのまき その2
宿の主人にこってりと絞られたものの、そのまま鍋でコトコト煮られるわけでもなく、二人は夕食を取りに出かけることができました。
生きているって素晴らしい。
その普遍の真理は二人には欠片も思い浮かびませんでした。ただようやく解放された、とばかりに近くの店に入りました。
しかしその店は生憎と混み合っていて、テーブル席は満席です。しかたなく二人はカウンターに座りました。ビールと料理を注文すると、まずすぐにビールが出てきました。
混んでいる割にはスムーズです。ふと入った店がいい感じだと、得をした気分になりますよね。
「乾杯だ」
「ああ」
何に、というわけでもなく二人はかちん、とグラスを合わせます。そのまま一息にジョッキを空にして、おかわりを注文しました。二人とも若いのに飲み慣れています。まったく、嘆かわしいことでした。
二人は他愛もない話をしながら、名物のカキ料理に舌鼓をうちました。鬼窓はカキの養殖が盛んで、その料理もバラエティーに富んでいます。
まずは生ガキです。新鮮なカキに、レモンではなくスダチをかけるのが鬼窓流です。小さめのフォークで、つるり、殻からと口に滑り込ませると、芳醇な磯の香りが口腔内に広がります。
「ふむ。噂になるだけはある」
「…………」
モノタローが満足気に頷く隣で、狗は無言でした。
無言のまま、二つ、三つと食べていきます。
モノタローが何か言うよりも早く、残っていたカキを全部食べてしまいました。
モノタローが呆然としていると、狗の瞳がキラキラと輝いていました。
「うまっ。やっべ。これうっま」
よっぽど感動したのか、言葉づかいまで変わっています。このままでは日本語が大変です。良い子のみんなは正しい日本語を使うように心がけましょう。
モノタローは何も言いません。というか、これで狗が従順になるかと思えば安いものでした。食べ物の恨みは怖いですが、逆に食べ物の恩義というのは、中々裏切りにくいものです。
くくっ、とモノタローが邪悪としか言いようのない笑みを浮かべながらビールを口にしていますが、狗は自分が餌づけされていることにも気づいていません。
ただひたすら食い気を発揮する狗を横目に、モノタローはビールをあおりながら考えます。
鬼ヶ島へは、小舟で強引に近づくつもりでした。
海流に流される振りをして、致命的なことになる寸前で船ごと魔法をかけ、海面すれすれを飛んでいけば、邪魔は入っても小舟が島に着く方が早い。そう判断してのことです。
しかしながら、その計画は不幸な事故によって中止に追い込まれました。
はっきりと自爆なのですが、少年のプライドはその事実を歪曲し、不幸な事故、とねつ造します。あまりどころかまったく褒められた行為ではありません。
とにかく、別のルートを探さざるを得ない。モノタローは一人思案します。
何故一人かというと、隣の従者は頭脳労働には向いていなさそうだからです。
モノタローがグラスを置くと、タイミングをはかったように次の料理が出てきました。カキのフリットです。衣にビールを加えることでさっくりとした仕上がりになります。
もちろん、ビールとの相性は完璧です。ゆっくりと箸を動かすモノタローとは対照的に、狗はむしゃぶる……もとい、貪るように食べていきます。
「ずいぶん美味しそうに食べるのね」
ふと、横から声がかかりました。モノタローが視線を向けると、小柄な女性がクスリ、と微笑みました。目鼻立ちのはっきりとした、すこし南国を思わせる美人です。年はモノタローよりは少し上、狗と同じくらいでしょうか? 女性は化粧という魔法を標準装備していることが多いので、はっきりとはわかりませんが、モノタローはそう判断しました。
狗は声をかけられたことに驚いたのか、眼をわずかに見開きましたが、新たに出てきたカキのグラタンを見るとどうでもよくなったのか、すっかりと無視して、ぐつぐつとまだ音を立てている強敵に果敢に挑み始めました。
その態度に気分を害した様子もなく、女性は微笑みを浮かべたまま狗を見つめます。
「気持ちいい食べっぷりね。一杯おごるわ、貴方たち」
まさかの逆ナンです。店内からものすごい量の嫉妬の視線が降り注ぎますが、そんなものを気にする二人ではありません。ついでに言うと、逆ナンでオタオタするような二人でもありません。
モノタローは物おじせずに、合わせるように笑みを浮かべます。
女性も今度はモノタローに視線を送って、店員が持ってきたグラスを受け取ります。
「さ、乾杯といきましょう」
真っ赤な赤ワインを掲げる女性に、モノタローは男くさいジョッキを掲げます。狗も不承不承手を止めて、同じようにしました。
「何に乾杯だ?」
モノタローの言葉に、女性は打てば響くように答えます。
「もちろん、わたし達の出会いと……」
一瞬、視線が平坦なものへと変わります。それは何か、値踏みするようなものでした。
「鬼ヶ島の、繁栄に」
物騒な言葉とともに、再び柔らかな視線へと戻ります。なんだかアンバランスな女性です。美人局まったなしと思うのですが、モノタローは気にした様子もありません。
カチン、と小さく、しかし先ほどよりも響く音を立てて、二回目の乾杯が行われました。
三人が、それぞれにグラスを呷り――まず空になったのは、女性のグラスでした。
わずかに唇から零れた赤い雫を、舌で舐めとって、再びモノタローを見つめます。
それは、妖艶な女の誘いにも――あるいは、獲物を前に舌舐めずりする獣にも――見えました。
その仕草に、モノタローは胸中でガッツポーズをとりました。今日の俺はついている、というったところです。言葉や仕草から、明らかに鬼ヶ島の関係者でしょう。といっても、漁師さんとかそんな平和なものではありません。何といっても、妖艶な美女ですから。後ろ暗い立場なのは間違いのないところでしょう。
モノタローは口元に獰猛な笑みが浮かぶのを押さえつつ、女性の様子には気づかないふりをして、何気なく会話を続けながら、情報を引き出そうとします。
「鬼ヶ島の噂は聞いている。そんなに栄えているのか?」
「ええ。貴方が聞いている噂がどんなものかは知らないけれど、大体すべてその通り、と答えられるわ」
「なるほどな。鬼ヶ島にないものはない、と」
「そういうこと」
女性は頷きながらおかわりのワインを受け取りました。軽く中で転がしてから、グラスを口元へと運びます。
動作の端々に教養の高さが感じられます。隣でつまみに頼んだフライドポテトを、両手で忙しなく口に入れて、頬袋を形成することに余念のない誰かとは大違いでした。
モノタローは合わせるように飲み物をワインに変えました。店員から白ワインのボトルを受け取ると、優雅な動作で自ら抜栓し、香りを確かめます。
モノタローはグラスを女性の前に滑らせ、ボトルを掲げました。
「いくか?」
「いただくわ」
映画のワンシーンのようですが、モノタローの服装はライダーズジャケットです。ワイルドさと繊細さのギャップ。ギャップ萌えにはたまらないですね。
しかしモノタロー少々女性の扱いに慣れ過ぎのような気がします。隣の食い気全開の従者に少し分けてあげて欲しいものです。
その食い気の塊は勝手に追加の注文をしています。しかも大量です。女性がチラリ、と狗に寂しげな視線を送りましたが、ガン無視です。最低な態度です。もうここではいないものとして扱いましょう。
さて、モノタローは女性とグラスを掲げます。打ち鳴らさずに視線をお互いに注ぎ、絡ませ合いながら、その力強くもスッキリとした味を楽しみます。
モノタローと女性の会話は続きます。居酒屋であることを忘れるかの様に、笑みを浮かべながら、腹の探り合いです。
互いに自分の素性は明かさず、相手の素性を探ろうとしますが、中々上手くいきません。
モノタローはこの女性が味方であれば頼もしい、と思う反面、敵に回せば厄介だ、と評価します。
最悪の場合は、狗に特技を発揮してもらう必要すら、感じました。
しばらく会話が弾み、ちょうどボトルが空になった頃、女性が提案しました。
「場所を変えて、もう少し話さない?」
「そうだな」
二人の戦いは、第二ラウンドに入ります。
「んあ?」
すっとぼけた声を出して、いないはずの人は店を出ていく二人を慌てて追いかけました。
むしろもうここにいたままでいいのですが、従者の役目をかろうじて忘れていない彼は、空気を読まずに追いかけるのでした。
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