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音の色を奏でて  作者: 柏よもぎ
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第四話 灰色の重力


 また知らぬ間に何週間かが経過していた。卒業制作に追われる身としては1週間などあっという間で、ましてや昼の時間をバイトに費やしているので、必然的に作品の制作は夜になった。奏が描いている絵は抽象画だ。光や温度、感情、エネルギーといった目に見えないものに輪郭を与え、色を吹き込む。奏が抽象画を選んだ理由は、「正解がないから」であった。デッサンなどは「正解」があるため、上手いとか下手だとかがわかってしまう。それに対して抽象画は、誰がなんと言おうと「僕にはこう見えています」と言えばいいだろうと思ったのだった。我ながら芸術に対してナメた態度だな、と思いつつ、正解のないものを自由に表現することは割と好きだった。


 平日も休日もシフトを入れているため、曜日感覚が無くなっている。何曜日かは把握していないが、12月に入ったらしいことは認識していた。東北とはいえ比較的南の方なので雪も降らず、晴れている日は手袋やマフラーも要らないほどだった。あまり冬という実感はない。病院の中は暖房を完備していて暖かく、ぬくぬくとした場所での単純作業のレジ打ちは、奏にとって最高の環境だった。単純作業の繰り返しは頭を使わないので、今日の夕飯のことや買おうか迷っている本のこと、同じゼミの女の子のことなんかを考えていた。


 12時半を少し過ぎ、休憩時間に入った。いつも通り菓子パンと、温かい飲み物を買う。今日はひょろひょろのソーセージが入ったホットドッグの偽物みたいなパンと、甘いミルクティーを買った。外来の会計窓口と反対側の廊下に出ると、ガラス張りの向こうに中庭が見える。今日は曇っていたが、気温はそれほど低くないはずだ。昼時とあってか座って休めるスペースは混んでいて、奏はどこに座ろうかとうろうろしながらスマホの電源を入れた。ロック画面に表示されたカレンダーを見て、今日が金曜日だということに気付く。


 金曜日。先週はあの親子は来ていなかったような気がする。もしかして今週は来ているかも。奏はミルクティーのボトルで手を温めながら、中庭に出てみることにした。


 中庭は、もちろん院内に比べたら寒かった。灰色の厚い雲が空を覆い、どことなくどんよりと重たい空気が流れていた。しかし、コンビニで買った昼食をベンチで広げている人がちらほら見受けられ、外の気温に肌が馴染んでしまえばなんとかやり過ごせそうな寒さだった。中庭は四方を建物で囲まれているため風が通らず、陽があたればむしろ暖かいくらいだった。


 20脚近くある中庭のベンチをぐるりと一周見てまわる。自分が昼食を食べる場所を探し、ついでに、あの少女がいるかもという気持ちもあった。


 随分奥の方まで歩いた。折り返して反対側のベンチを覗いたとき。


 薄紫のカチューシャが見えた。こちらに背中を向けているが、下を向いてじっと動かず、横には色鉛筆が無造作に散らばっている。きっと絵を描いているんだろう。なぜか、奏は嬉しくなった。またいつもみたいに「こんにちは」と話しかけようと、スマホを開いた。



 ――その時。


 けたたましい不協和音があちこちで鳴り響く。神経を逆撫でる、首筋がぞわぞわっとする音。それとほぼ同時に、「ゴゴゴゴゴ」と地面が唸り出し、怒り狂った地球がわなわなと震え出した。


 地震だ!


 奏はカチューシャの頭が揺れるベンチを背後から飛び越え、少女をベンチから引き摺り下ろした。


「早く! 座って!」


 少女にその声が届かないことを忘れて、奏は叫んだ。ポケットのスマホからは緊急地震速報が鳴り続けているが、止めている余裕はない。小さな彼女を強引に地面に座らせ、カチューシャの頭を奏の胸に抱え込んだ。


 ゴゴゴゴゴ、と雪崩のように近付いてくる音に続き、ドカンと巨大な何かが落下したような音が地底から聞こえる。その瞬間、地底で爆発が起きたかのように地面が跳ね上がった。強い、縦方向の揺れ。ベンチからは色鉛筆は全部転がり落ち、スケッチブックもどこかに吹っ飛んでしまっていた。揺れはやがて横方向へ変わっていく。地面に座っているとはいえ、体を縦に保つのがやっとだった。奏は上を見上げ、ガラスや街灯など、落ちてくるものがないか確認した。幸いここなら大丈夫そうだ。奏の骨ばった手で頭を押さえ込まれた彼女は、奏の腕の中で硬くなっている。小さな手で精一杯、奏にしがみついていた。


【次回】第五話 差し出された白

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