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音の色を奏でて  作者: 柏よもぎ
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第一話 紫色のカチューシャ

小さな連載の第一話です。全十一話になる予定です。ぜひお楽しみください。

 

 季節を問わず、大学病院はごった返していた。東北は早くも秋めいてきて、少し北の方ではもう紅葉も終わるくらい、肌寒い時期に入った。院内は既に暖房を導入していて、中で働くには申し分ない環境であった。


 巨大な院内には、コンビニや介護用品店はもちろん、郵便局やカフェ、パン屋に八百屋など、商店街のような通りがある。入院患者が買い物に来るにも、お見舞いの品を買うにも困らない。本屋がないのに関しては、困る人がいないのか甚だ疑問ではある。


 柳澤奏(やなぎさわ そう)は、院内のコンビニバイトに明け暮れていた。これまで必死に掴み取ってきた単位のおかげで大学4年の後期は授業がなく、奏の所属する芸術科は卒業のための作品制作があるだけだった。一応ゼミに所属しているものの、奏の専攻する水彩画は、絵の具が乾くまで次の作業ができないことが多い。長い待ち時間をアルバイトに費やしていた。


 特に金曜は朝から夕方までシフトを入れ、終わり次第そのまま週末に入るという、2.5連休を満喫していた。大学病院内とはいえコンビニはコンビニだ。高校時代は家から近くのコンビニでアルバイトをしていたので、レジ打ちも品出しも最初から手慣れていた。大学から程よく近い大学病院内のコンビニはアクセスも良く、たまにしか出ない求人広告を頻繁にチェックしてやっと手に入れた職だった。


 長いこと同じコンビニで、しかも同じ曜日・同じ時間帯のシフトを組んでいると、いつも来るお客さんがいる。毎日新聞を買いに来る入院患者のおじいさんや、栄養バランスを考えて昼食を選ぶ看護師さん、反対に奏が心配になるほど炭水化物ばかり買っていくお医者さん。二週に一回、金曜の午後に、女の子と手を繋いでくる妊婦さんも常連さんの一人だった。向こうはどうだかわからないが、奏はその親子の顔をよく覚えていた。いつもパックのリンゴジュースと、その日の気分でお菓子を買って行く。どうやら入院しているわけではなく、いつも同じ曜日の同じ時間帯に外来に来ているようだった。女の子は見たところ小学校1年生かそこらだろうが、騒いだり走り回ったりすることはなく、いつも静かに母親の手を握っている子だった。いつも肩からピンク色のポシェットをかけていて、それに真っ赤なヘルプマークがついていることも、奏は気付いていた。



 その日も金曜日だった。朝から昼までレジを打っているうちに昼休憩に入ったので、そのコンビニで菓子パンとペットボトルのカフェオレを買って廊下に出た。廊下を出て正面には会計窓口があり、いつ見ても混んでいる。普段は会計窓口と反対側の廊下に出て、ちょっとした休憩スペースやベンチで休憩時間を過ごしていた。その日も休憩スペースのある広い廊下に向かい、空いているベンチを探す。正面には一面ガラス張りの壁、その奥は中庭になっていた。中庭にもいくつかベンチがあるが、昼の時間帯は人が多いし、言うまでもなく院内の方が暖かくて快適なので中庭に出たことはなかった。


 中庭が一望できる正面のベンチが空いていたので、腰を下ろしてスマホの電源を入れる。菓子パンの袋を開けたとき、奏の目がガラスの向こうの少女に止まった。いつも金曜の午後にお母さんと一緒にくる子。胸まで伸びたストレートヘアに薄紫のカチューシャ。肩から下げたピンクのポシェット。間違いない。一人で中庭のベンチに座り、こちらに背を向けて俯いている。周りを見たが、お母さんは見当たらない。数分様子を見ていたが、下を向いたまま動かない。具合が悪いんだろうか。少しの迷いを(まと)ったまま奏は立ち上がり、菓子パンをレジ袋の中に戻した。


 中庭の空気は院内より澄んでいて、少々肌寒かった。ぐるりと迂回して少女の横に回る。下を向いていた少女は、スケッチブックに絵を描いていた。


「こんにちは。僕ここの病院のコンビニで働いてるんだけど、覚えてるかな。今日はお母さんいないの?」


 少女は顔を上げない。よほど集中して絵を描いているのか、僕の気配に気付いていない様子だった。

 もう少し近付くと、下を向いた少女は僕の足に気付いたようだった。パッと顔を上げ、目が合う。しかし、何も言わない。

 少女と見つめあっていた3秒は、恐ろしく長く感じた。突然少女は何かに気付いたように、ポシェットについたヘルプマークを僕に差し出した。白い十字が描かれた面の裏には、おそらくお母さんの字だろう、メッセージが書いてある。



『高野かなえ 耳が聞こえません。筆談か手話で話せます。緊急時の連絡先はXXX-XXXX-XXXXまでお願いします』



 横から話しかけた僕に少女が気付かなかった意味がわかった。僕はスマホのメモ帳を開き、さっき話しかけたことと同じ文章を打って彼女に見せた。小学校1年生くらいに見えたので、全部ひらがなで書いた。すると少女は少し警戒したように僕を見上げ、スケッチブックをめくって手に持っていた青の色鉛筆で字を書き始める。



『ママは、あかちゃんのびょういんに、いっています。』



 確かに、お母さんはお腹が大きかった。ここの産科に通っているらしいが、待ち時間は飽きてしまうから中庭で絵を描いていたのだろう。一人で大丈夫だろうか。でもそれ以上話すこともなかったし、下を向いていたのも絵を描いていたからで、体調が悪い訳でもないなら奏が何かする必要もなかった。スマホの画面に文字を打ち込む。



『そっか。ひとりであそべてえらいね。またジュースかいにきてね』



 それ以上何も関わってこないことに安心したのか、少女は少しだけ口角を上げ、小さく頷いた。



 奏は病棟の中に戻らず、中庭の少し離れたベンチに座って菓子パンの袋を開いた。お節介かもしれないが、人の多い大学病院内に少女が一人でいることが心配だったのだ。昼休憩はあと40分。ここでパンを齧りながらスマホをいじって時間を潰し、ついでに少女を見ておくことにした。幸い、耐えられないほどの寒さでもない。


 昼休憩が残り15分になった頃、大きなお腹を抱えた一人の女性が病棟のガラス戸を開けるのが見えた。その女性は絵を描いている少女に近付き、少女の肩を叩く。少女が顔を上げてパッと笑ったのが見えた。手話で何か話し、スケッチブックと色鉛筆を片付けると、いつものように手を繋いで病棟に入っていった。何事もなく少女が母親と合流できたので、奏は残りの十数分をスマホをいじることに費やした。

【次回】第二話 緑色の絶望

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