馬車日和
朝靄に包まれながらも、高き山から日はまだ昇らず。
バルケインの工房兼自宅からは細い煙がただ一筋登るばかり、喧騒とは無縁の静かな朝を迎えていた。
勝手知ったる我が家さながら、ガリオンはその浅黒く長い指で摘むようにカップを傾け珈琲を啜る。
もう片方の手には革本が置かれ、親指と薬指とで器用に捲りながら只人に蓄えられた知恵の結晶をモノクル越しに眺める。
やがてその片手でパタンと本を閉じ、深く伸びをして椅子から立ち上がる。
(なるほど、精霊魔術の基本を抑えつつ、より簡易な扱いを可能にする、か)
文字通りに何時までも学べ、練磨を続けられる不老の自分達には全く思い浮かばない発想だった。
知識が無ければつければいい、難しければ練習すればいい、素人からでも100年やそこらでものになろうと言うのは定命の者達には通じない理論だ。
何せ彼らの大半は100年も生きない。
であるからこそ、彼らはその知識をいかに効率よく、次代や他者に伝えるための術を身に付けるのだろう。
知識を本に移す事すらも、我々は逆に只人から教わった。
なるほど、目覚しく成長するわけだと関心してしまう。
(そんなに急いで何処へ行く、と言うのは、彼らにとって少しばかり意地の悪い問いかけなのかもしれない)
そうやって思案にひたってしばらく、外に陽の光が差すのが視界の端に写り始める。
出掛けよう、食い扶持ぐらいは稼がなければ。
彼はいつものように認識阻害の魔法を工房にかけ、冒険者ギルドへ向かう。
最近何かと物騒だ。
あれが留守番を自分に任せたのは、そういうことだろう。
おそらくと、黒幕は最初の刺客と一緒だが、潰すとしても許可ぐらいは取っておいた方が後々揉めないだろう。
(馬車も船も、そこそこには使えるようにはなったのだがな)
「あぁ、ガリオンさん!やっと来てくれた」
受付嬢は、神が舞い降りたと言うように目の前の依頼者を差し置いて挨拶する。
それに若干の居心地の悪さを感じながら「後でいい」と、先に待っている相手の対応を促す。
我ながら面倒なことになってしまった。
彼は手近な机に着くと、中級第1位の冒険者証を摘んでため息混じりに目を細めて睨む。
(多分、またあの赤いのに恨めしい目で見られる事だろう、余計に面倒だ)
彼もまた、異例な飛び級をしてしまった。
ただ単純に馬車を買い、馬車を使った荷運びや人運び、護衛をしていただけだ。
いや、ちょっと面倒なので魔物払いやら認識阻害の魔法は掛けていたが。
それが良くなかったのだろうか。
あまりにも安全に、無傷に、何事も無く運ばれるもので、客の一部が護衛の料金に納得しなくなってきたのだ。
つまるところ、最下級冒険者の仕事が上手くいきすぎる、と言うのが問題の種だったらしい。
わざわざ高い金を払って、位階の高い冒険者を雇うのが馬鹿らしくもなる。
次にするのは護衛なし、もっと安いチンピラを雇っての荷運びだ。
するとどうなるか、想像にかたくない。
身ぐるみ剥がされたり、命からがら逃げ延びたり、引き返したり。
散々だったという。
それから彼を取り合うように、指名の依頼が増え、代わりに他の冒険者の仕事が冷え込んでしまい、睨まれる始末。
結果、彼の等級を無理にでも上げて報酬を高くするしかない、という結論にあいなったのである。
勿論、突然料金を高くするなという文句もあったが、競争率、言い換えれば需要が高まったのだからと納得してもらう他あるまい。
それでも、指名はあとを立たず、彼以外は依頼しないと言う者もいるのだから、困りものである。
受付の彼女もさぞせっつかれていた事だろう。
ただ馬車の練習がてら仕事しているだけなのに他方から睨まれる事になってしまった。
辟易しつつ、受付嬢が甲斐甲斐しく持ってきてくれた今日の依頼の一覧を見る。
いつもの事とはいえ、受付を受付から下ろすとは何とも、心苦しい。
それに、また偉そうにしてると睨まれる。
他の街と連携を取った、行きも帰りも仕事をこなすシステム(只人は時折こうした面白いことを考えつく)を構築してからはそのルーティングにも気を遣わなければならない。
面倒な仕事ではあったが、今ではそのルーティングさえもギルドに代わってもらっている。
あまりの待遇の良さに複雑な気持ちだ。
加え、勤続期間さえ満たされれば等級を更に挙げられますのでと頭まで下げられるものだから、ますます居住まいの悪さを感じるというものだ。
もう何度目のため息をつきなおし、客もとい、依頼者となんでもない雑談を繰り広げながら馬車を走らせる。
「今日も長い一日になりそうだ」
馬車駅に寄って馬に水と餌をやり、自分も適当な軽食をとることにする。
急いでいる訳でもないし、持っている馬も馬車も自前ひとつきりなので何をどうする訳でもないが、毛並みだ蹄鉄だ鞍だのの手入れが一通り出来るので都合がいいのだ。
それを聞いて初めて赴いた時は、若いのにちゃんとしてるなどと駅馬車乗りに言われたものだ。
おそらく、実年齢では逆どころでは無いのだが、不思議と悪い気はしない。
思えば、御者をやってるダークエルフなんて生まれてこの方聞いたことがない。
知らないのも当然だろう。
馬車関連の諸々で、靴磨きよろしく生計をたててる若者たちは仕事をくれない自分に恨めしい目を向けてくるが、そのような目を向けられてもないものは無い。
それから蹄鉄の様子でもみようと、昼食を置き、足を上げさせて覗き込んでいると、ふと1人の少年が近くまで来ているのが目に入った。
何か仕事をくれとでも言いに来たのか、と思ったが、そうでは無いようだ。
次の一瞬
その子供は手を伸ばし、さっと食事を掠めとった。
驚くのもつかの間、ガリオンはピンと立てた人差し指の先に息を吹きかける。
「シルフ」
とだけ彼が呟くと、少年の足がぐるりと持ち上がる。
少年は取ったものはもう返さないと言わんばかりに両手で無理やり食事のサンドイッチを詰め込む。
馬鹿にするように口を広げて何も無いとアピールするのを見て、「小人族か」と眉をひそめる。
「とっとと離せよ、俺がなんかを盗った証拠なんてもうないぜ」
「なるほど」と納得の振りをする。
「憲兵の世話にはなりたくねぇだろ?」
しかし、ダークエルフは元来そこまで甘くない生き物だ。
「だが残念、お前の足を取っているのはただの風だ、俺にはどうすることも出来ない」
そう人差し指をすんと上にやると少年もといハーフリングは高らかに持ち上がる。
「あぁなんと、子供が突然の風で飛ばされてしまうなんて」
困った困ったというわざとらしい演技に、小人男は焦りを見せる。
落ちたらただでは済まない高さになってきたのだ。
「わかった!謝る!わるかった!だから下ろしてくれ!」
「そう言って反省する気質でないのはさっきのやり取りで分かっている、生きていればだが、次は相手を選ぶといい」
そう言って魔法を解き、ふっと落下する寸前。
「シルフィード」
と、鈴の音のような美しい声が響き、小人男は落下の速度が一気に緩む。
「雑魚相手に本気になるなんて、ダサくない?」
通りがかりの馬車から指を突き出して降りてきたのは、美しすぎるピンクゴールドの髪、眩いばかりの白い肌のエルフ、モーラだった。
「君が居ると分かったから、遠慮なく落としてみたんだがな?」
「減らず口、相変わらずね」
モーラは男を下ろしながらつまらなそうに髪を弄る。
そこへ遠慮なく走り込む小人男。
「ありがとうお姉ちゃん」
彼女の手を掴み涙ながらにお礼を言う。
そして流れるように後ろに走り抜けていく。
しかし、後ろから頭を力強く掴まれる。
華奢な女の姿からは想像できない力。
長弓を自在に扱う握力がハーフリングの小頭を締め付ける。
ガリオンはここ最近で一番大きなため息をつく。
「だから、相手を選べと言ったのだがな」
その小人の手にはスったばかりの財布が握られていた。
どさくさに紛れる、と言うのはいつの時代も物を盗む最高の機会である。
しかし今回ばかりはどうしようもなく、決定的に、彼は選択を間違えてしまったようであった。
土精霊の仕事は早かった。
ものの数秒、ハーフリングの肩から下が地面に埋まり、その土は突き固めたようにガチガチに固められていた。
「掘ってくれるほど暇な人が通りかかるといいね」
ニッコリ、心の底から楽しむ笑顔を向けるモーラ。
男の顔は本気の涙に濡れて許しを乞うが、それに耳を傾ける者はいなかった。
「あ、そうだ、飲まず食わずだと死んじゃうかもしれないからさ」
と、彼女は馬車から小さめの樽を持ち出す。
「はいこれ」
と目の前に置かれたその中には果物の芯と柑橘の皮がたっぷり入っていた。
後悔、絶望。
助けてと喚くしかない男を背にモーラとガリオン、それから他の冒険者らは雑談に興じ、「じゃ、先に戻ってるね」と言う言葉を残し、本当に走り去ってしまった。
ガリオンもまた午後の仕事のために馬車を走らせる準備をするが、あまりに小人男が不憫なので何とも落ち着かなかった。
仕方ない、とまた大きなため息をついて、馬車駅から蹄鉄用の槌と削り道具を放ってやる。
馬車駅は毎日利用される、場所も目立たないということは無い。
彼女はそう思っただろうが、それでも保険と言うのは必要だ。
「スコップは無いが、まだマシだろう」
「だ、旦那ぁ」
男は泣いた。
感謝か絶望か、なんとも判断はつかないが、良心の呵責のようなものは多少和らいだ。
それでよしとしようじゃないか。
また馬車を走らせる。
道や景色が変わると言うのは数百年地下で暮らしていた日々に比べれば目まぐるしい程変化に富み、飽きるのは当分先だろうと思わせた。
そして、彼らが帰ってきた事を思えば、また変化が生まれる。
こんな日々と思う者も居るのだろうが、しかし、なかなかどうして彼はそれが嫌いではなかった。
一通りの仕事を終えて暫く。
「あ」と喉をついて出るほどに唐突に思い出したことがあった。
(そう言えば認識阻害を家に掛けたままだ)
ガリオンはかつてない程に馬を急かす事となった。
モーラが全てを何とかする可能性もあるが、それでもあれに貸しを作るのはいただけない。
「そんなに急いで何処へ行く、か」
彼は自嘲気味に笑う。
「俺もいつか本でも書くか」
そう思ったのは完全なる思いつき、その思い立った吉日にすら実行されない単なる呟きを残し、馬車はひたすら進みゆく。
道の先、辺境を目指して。




