心理の罠
会談に使われる大きな天幕から控えて休憩するため一回り小さな天幕へ。
入り込むと同時に倒れ込むところ、なんとかエイダに支えられて横になるスレイ。
「大丈夫ですか?」
額から背中から、絞れる程の汗が吹き出し、肩で息をする彼にトゥルーテは心配そうに訊ねる。
「耳ざとい神だ、このまま平穏なんて認めたくないそうだ
殺せ、殺させろ、頭中そればかり流れてくる」
(意志の力でなんとか抗っているが、大義名分か、それともちょっとしたはずみ、あるいは勘違いが起きただけで殺意に負けそうになる)
それから何とか上半身を起こして水を1口飲んだ彼は深い息をつく。
「すまないが、2人とも外してくれ
絶対に誰も入れないでくれると助かる」
「でも……」
「わかった」
トゥルーテはしぶろうとするが、エイダは二つ返事で受け入れた。
本当は逆でもおかしくなかったであろう気持ちを無理やり押し殺したエイダに、トゥルーテは出そうになる言葉をぐっと堪えて飲み込んだ。
「何かあったらいつでも呼んでくれ」
彼女はそれだけ言い残し、天幕を後にする。
「ちょっくらトイレ行ってくる」
外に出て早々にそう切り出したエイダはその場を後にする。
「エイダさん!」
その後ろから彼女を呼び止めるトゥルーテ。
「ちょっとなら、長くても大丈夫ですよ」
「っ……、ごめん」
多分、幾らか発散させて来るのだろうとトゥルーテは容易に想像できた。
もしくは頭を物理的に冷やすか、そのいずれか。
(なんていうか、わかりやすい人だからなぁ)
それから暫く1人天幕の前でぼうと素振りでもしていると、騎士団長が姿を現す。
律儀生真面目、そのうえ頑固。
特に怒られるような要件がある時は会いたくない男だ。
「そんな顔をするな、多少は傷つく、スレイ殿はおられるか」
「いや、その、ちょっと体調が優れないみたいで」
トゥルーテはぼかしにぼかした。
「なに、すると先程からか、無理をさせてしまっただろうか……
であれば少し祝賀会を後ろに倒せるか掛け合ってみよう、ん?」
そう話しが進もうとするのを彼女は身振り手振りだけで止めようとするが、止めようもない。
「その、ちょっとした発作みたいなものと言うか、緊張して疲れたみたいな感じだと思うので、多分大丈夫というか、ちょっとの間寝るだけと言ってたので、大丈夫です!」
言い訳が苦しいと彼女自身も思う。
スレイの状態を知る者は内々に収めておきたかった。
体調が優れないは嘘ではないかもしれないが、それで大丈夫かとか、断りにくい手合いの見舞いが来ても困る。
だがこの感じを出されると、騎士団長も何がしかがあるというのは察してしまう。
付き合いが長いのだ。
「追求、しないほうが良さそうだな……」
「う、すみません」
「まぁいい、とりあえず体調が悪いで話しだけ通しておく、祝賀会は頃合を見てにしよう」
「ありがとうございます」
騎士団長は足早に第一王子の元へ向かい、また彼女は1人立ち尽くす。
(言い訳下手だな、エイダさんならもっとうまく誤魔化せたのに)
そうしてまた素振りに戻って行くのだが、その裏で立ち聞きをしている者が居たことを気に留めることは無かった。
その男は本当に偶然居合わせただけだった、であるが故によこしまな気配をかけらも出さず、意識にすら上らなかった。
幸か不幸か、それが彼の運命を大きく変えた。
スレイは仰向けになり、握るでも開くでもない手を額にあてて何かに耐える。
頭痛がする訳ではない、身体が鉛のように重い訳でもない。
ただひたすらに、湧き上がる神託という名の殺傷欲求、その激しい衝動を堪える。
それだけなのに意識まで朦朧としてくる程の苦痛を感じる。
(これが終われば、家族達に平穏な日常がやってくる、これさえ終われば)
そこに手を替え品を替え、誘惑の言葉が投げかけられてくる。
平和になれば戦士が飢えるぞ?
そもそも王国は仲間たちの敵ではないのか?
信じるより殺した方が不安は少ないぞ?
何故王子はそんなに都合のいい提案をする?裏があるのではないか?
結局、王国を滅ぼすか支配した方が皆脅かされることなく幸せなのでは?
その力があれば全て叶えることができるぞ?
(黙れ!もう喋るな!)
がばりと上半身を勢いよく起こす。
声に出したと思った言葉は夢の中に置いていかれ、静けさだけが残される。
(寝ていた、のか?どのくらい?)
感覚的には寝ていたつもりは無い、ほんの5分も経っていないかもしれない。
だが、嵐の前の静けさのように頭の中の声が一瞬黙り込んだことに、言い知れない不安を覚える。
天幕の入口からの足音に気を留めたのはそのほんの数俊後だった。
(エイダじゃないな)
「トゥルーテ?」
その言葉に対する回答は無かった。
その頃、トゥルーテは森の中を通る小川をただ上流へひた歩く。
「おっかしいなぁ、巨乳のねぇちゃんてエイダさんじゃ無かったのかな?」
困っているから呼んできてくれ、そう言われてあの人は来たらしいが、行けども行けども一向に彼女らしき姿は見えない。
(そろそろ戻らないと誰かスレイさんを訪ねてきちゃうかも、でも……)
かといって本当にまずい状況だったらと思うと後ろ髪を引かれる。
この小川をちょっと上流に行ったところ、とだけ言われると何処まで歩くか分からない。
かといってこれは明らかにちょっとと言う距離じゃないし、拠点を離れすぎている気もする。
ちょっとの距離ならと彼女の代わりを買って出てくれた人を待たせるのも悪い。
「エイダさーん!」
ここは声を出してみることにした。
「こっちには来てないよ」
すぐ真後ろで聞こえてくるエルフの歌うような美声。
肉薄する距離で歩いていたモーラだった。
「どわ!びっくりさせないでくださいよ……」
「だってなんか変な感じだったからさ」
「それがですね……」
トゥルーテは珍しくモーラに怒られた。
そんなの体のいい厄介払いに決まってんじゃん、と。
「まっずいなぁ、まだ生きてるかなぁ?その人」
話もそこそこに、2人はスレイの元へ走って向かう。
スレイの胸に深々と根元まで長剣が刺さる。
彼は少しばかり、純粋な驚きで目をぱちくりさせてその男を見つめる。
旗持ち、国に仕える最も忠実なる兵士は刺した剣を止めとばかりにぐいと捻り、これで安心とばかりに一息つく。
「王直々の命でな、要は基本的に和解に進めつつ、もし決定的な隙があったら殺せ、とな
悪く思わないで欲しい」
後は賊のせいにでもすればいい、それが叶わなくても頭を潰した烏合の衆となれば残りの兵力で十分滅ぼせると言う打算。
「実際、殺そうとして殺せないのが1番ヤバいことになるから、流石に大人しくしていようと思ったんだが、体調不良と聞いてはな、とにかく、これで一安心だ」
確実に殺したという確信と興奮、そしてそれを終えた安心が彼に口を開かせた。
しかし、その言葉は図らずも彼の心をも楽にした。
(あぁ、なんて簡単な答えだ)
スレイはくつくつと笑いを堪えられずにいた。
「ありがとう、本当にありがとう」
ぐにゃりと不気味に歪む笑顔で、目の前の男に礼を言う。
そのまま、すくりと何事も無かったかのように立ち上がり、すたすたと、なんら傷の痛みを感じさせず男に歩み寄る。
「お、おい、なんで、なんで生きてる?なんで歩ける?おい……!なんとか、なんとか言えよ!」
近衛は最初こそ少しずつ後ずさった。
しかし目の前まで詰め寄られて手を伸ばされたのを皮切りに絶叫をあげて、倒れるように天幕を飛び出して、ずりずりと後ろ向きに後ずさる。
「ば、化け物!」
「あぁ、大好きな反応だ」
スレイは続いて外へ出て、胸からずりずりと剣を抜き取ってそのまま構える。
「君には感謝してるんだ、ゆっくり、ゆっくりとお礼をさせてくれ」
「やだ、たす!たすけ!あぁあぁあああ!!」
スレイは待たない。昔からずっとそうだ。
その剣が彼を貫こうとしたその時、細いレイピアがその行く手を阻む。
つるりとその剣筋が曲がり近衛の首筋を掠める。
「状況は察しました、が、それでも彼を殺してはいけません、ここで血の一滴でも流せば争いを止められなくなります」
それがどんなに愚かな人間でも、だ。
その引き金を引いてはならない。
剣帝ジルベールはスレイの前に立ち塞がる。
「スレイ殿、今ならまだ引き返せます、この男はこちらで罰を与えます、何卒」
彼は不気味ににぃと笑って、殺せる喜びを味わっている。
「剣を、向けた?向けた向けた向けた!!殺していいよなぁ?仕方ないもんなぁ?」
そうして、瞬く間に轟速の剣撃がジルベールを襲う。
彼はそれを次々に捌く。
体捌き、足さばき、それから撫でるように剣先を添えて受け流す。
(速い!ギリギリだ、それに的確)
正気を失って見えるのに尚これ程の剣撃、驚異に値する。
「逃げなさい、長くもつ保証はありません」
後ろに向けて言葉を飛ばす。
近衛は縺れる足でバタバタと走って逃げる。
「倒せる保証、ではないのかな?」
「傷つける訳には行きませんから」
「甘いなぁ、甘い甘い」
それから息もつかせぬ連撃が延々と続く。
スレイはほぼほぼ息も入れずにそれを続ける。
「エルフはさ、集中力は長く続くんだけど、如何せん体が細いから肉体的な持久力が低いんだよね」
何度も戦ったからわかるよと、剣撃の最中に口だけはのんびり語る。
「私がその努力を怠っているとでも?」
それを紙一重でかわしながらジルベールもまた言葉を返す。
「種族の特徴さ、他意はない」
「なるほど」
それからひとつ大きく剣を弾き、お互いに間合いを取る。
「11回、あなたを仕留められると思った回数です」
「ほう、心外だな
俺はね、その回数君に踏み込んで欲しいと思っていたんだよ」
ジルベールは顔こそ微動だにしないが、彼もまたプライドが高い。
「私も、誘いを読んだ覚えが確かにあるな、さて、うち何手があなたが読んだものかな?」
「ふふ」
スレイは実に嬉しそうに笑い、読み合いを楽しむ。
「それが、本来のあなたなのだろうな」
「ん?」
「いや、何でもない」
ジルベールはそれこそ楽しむように、鼻だけで笑う。
次の瞬間、スレイの剣が根元からぼろりと落ちる。
それが近衛の持ち寄った剣とバルの剣の差。
彼は刃渡数センチになった剣を握ったまま感心の声をあげる。
「なるほどね、全く気付かなかった、さしもの剣帝と言ったところか……」
そう口にする。
そして、ジルベールがその次の瞬きをした後、彼は視界から消えていた。
彼は突然降って湧いた胸の痛みに目を下に落とす。
そこには根元から数センチだけの剣を遠慮なく彼の胸に突き刺すスレイが居た。
スレイは待たない。
彼はその刺さった剣の傷からずいと横に切り裂いて、倒れる彼の首を捕まえて見せた。
「少し、本気を出そうと思う、いや、思った、かな」
同時に、スレイにも深々と胸に剣が突き刺さっている。
それは一種の心理の罠。
油断なく構えた状態の相手に対し、真っ直ぐに向かっていったなら、当然のように、剣が突き刺さる。
そんなこと、誰もする訳が無いのだ。
普通は。
彼にはその他のどんな遠回りにも対応する鋭敏な感覚、そして実力と自信があった。
「君はしっかりと相手に構えられている時しか瞬きをしない、だから逆にこちらの動きで君の瞬きを誘導できたということさ」
簡単な種明かし。
もっとも、そんな常識外のこと、土台想像出来る訳もないのだが。
それでもジルベールは痛み以上に大きい悔しさに強く歯噛みした。




