とある工房にて
王都の一等地に構える堂々たる佇まいの工房。
どこかの老舗と違い、雇い入れた掃除夫が毎日のように煤をブラシで落とし、綺麗な白パンを焼いていると言われても信じてしまうような小綺麗な内装と、これまた武器を打っていると感じさせない綺麗なままのエプロンで作業をする工員たち。
罵声や怒号は聞こえず、淡々とした槌の音とごうごうという窯から漏れ出す燃焼音ばかりが響く空間。
そこに突然と、怒髪天を突くとでも言うべき怒号のような音量で工房主を呼びつける声が響く。
許可も得ず、ズカズカと土足で踏み入り、工房最奥にある主の部屋をどんと開け、「聞こえないのか」と乱暴に呼びつける男。
この短距離を歩いただけで息を上げ、脂肪ではち切れんばかりの高級服を多量の汗で濡らすちょび髭は、今にも叫び出しそうな血走った目でそこにいた工房の主を睨む。
工房の最奥、その2畳にも満たない小さな部屋の奥の作業台にすわり、幾層にも重ねたルーペでもって剣の表面を念入りに見ていた工房の主たる男は「聞こえていますよ」と、慌てた様子もなく答える。
そのままイライラする侵入者をそっちのけで作業を続けたかと思うと、次に作業員を呼びつけ、「申し分ない、このままでいい」と剣を渡し、一息つく。
「で、何用ですかな?男爵殿」
そう言って男はくるりと作業台の椅子を回して男爵に向き合うようにかける。
タオル地のバンダナ、黒い手袋をした筋肉質な太腕。
肩幅広く、大柄と言える体格に綺麗なエプロンを纏った男はふんぞり返るという程ではないが、爵位持ちに対して腰の低さというものは全く感じない。
体格に似合わず、一見して優しい笑顔の似合う好青年というように見える顔。
しかし肌のきめや、所々の皺を見るに、その一回りか二回り年上なのであろう、決して若作りでない、しかし年齢を感じさせない若々しさを持った男だった。
「クラウス、貴様、私に恥をかかせおったな!」
男爵は開けた扉を後ろ手に叩きながら罵声を浴びせる。
「おや、その様子だとダサいとでも言われましたかね?公爵辺りかな?」
クラウスは腕を組んで罵声を跳ね返す。
ダサいのはそのように注文したからだ、と彼はよく分かっている。
金払いがいいからと言う通りにしてやったが、いざ何か言われたら創った方に文句を言うなどどうかしている。
上客ではあったがここまでかもしれん、とクラウスは営業的笑顔の後ろで考え始める。
「そんな話ではない!あんな脆い剣を私に掴ませおって、金は返してもらうぞ?」
「は?」
思わず素の反応を返してしまう。
「王都随一の大工房だと言うから仕事を頼んだと言うのに、とんだ失敗だ、たかだか田舎職人のナイフに負けおって」
そう、男爵は過去に見た映像を思い出し、無理やり自分を納得させようとする。
(そうとも、こいつの剣が脆すぎたのだ、でなくばあんな事ありえない)
それまで自信を保っていたクラウスであったが、そればかりは許されないと目が据わる。
「もの持ってこいよ、負けたんだろ?」
「捨てた、あんなものもう要らぬ、あの男にバラバラにされたからな」
「証拠もなくうちの剣馬鹿にするってか?あんま舐めてもらっちゃ困りますな?」
詰められそうになるのを感じた男爵は苦し紛れに口を開く。
「だ、だが、そいつの創ったという剣は持ってきた」
男爵は、彼の後ろでなかば引きずるように長箱を持ってきた使用人を急かして、そこから剣を取り出させる。
そこには薄く青みを帯びる荘厳なる剣、ロングソードがあった。
それを見て、クラウスの目の色が変わる。
息を漏らす出来だ。
確かな仕事、バランス、歪みの無さ。
雑味のなさ、シンプルと言うよりは洗礼され尽くした透明な上澄みを思わせる、機能美だけを残した造形。
色味からして鉄じゃあない。
クラウスは柄をぐっと握りこんで持ち上げる。
(…!?)
重い。驚愕するほどの重さだ。
こんなの振るどころじゃない、そう思いながら持ち上げる最中、異変に気づく。
(違う、この剣、魔力を吸ってどんどん軽くなっていく)
力を込めた方向に、持ち上げるだけならば上方向に向けて力が働いている。
次第に重力と釣り合って、力を込めると共に自然と動くようになる。
間違いない、これは魔法の込められた剣、もっと正しく言うなれば、魔法の術式が込められた発動体だ。
そして、信じられない力で圧縮された金属、それも硬さが尋常じゃない。
「これは、アダマンタイトだな」
「なに?馬鹿な、そんな技術、現存している訳が無い!オーバーテクノロジーだ!」
「そう、加えて魔法の剣、それも1回2回魔法が行使できる程度のものじゃない、使用者の魔力を媒介に魔法を発動できる術式が組み込んである」
「……っ!」
男爵は言葉を失う。
「こんなもの、太古のダンジョンを30年渡り歩いて1本見つかるかどうかすらわからない代物だ、うち程度の剣が太刀打ち出来る筈もない」
男爵はにわかに震え始める。
「あんた、これ、どうしたんだ?これだけのアダマンタイトの塊って言うだけで、あんたの全財産の数倍はかたい」
(ジジイが高級嗜好に目覚めたかと思ったくらいだ、だが恐らく違う)
「ち、違う!あいつが私の剣を細切れにしたからその詫び賃代わりにまけてやると言ったんだ!」
「信じられんな、そんなのは馬鹿のする事だ、誰がそんなことをする……なるほどな」
クラウスは柄の裏にあった銘を確認して、すべてに納得した。
「バルケインか、あの野郎完成させてやがったのか」
(本当にルーンを自分の物にするとはな)
魔法剣の製造方法はその昔、それを受け継ぐ技師と共に姿を消した。
オーバーテクノロジー、と言うよりはロストテクノロジーという表現が的確だ。
理由は単純にして明快。なにを置いても、難しすぎるのだ。
何せ、骨の髄まで鍛治職人に染まってから、知識体系の全く異なる魔法の分野を基本から学び、その中でも発展的なルーンの知識を身に付ける必要がある。
剣士と鍛冶師、または魔術師とルーン魔術師と違い、本来この2種類の職種は互いに全く干渉が無く、しかもそれぞれ、そこまで学べばその道で一流としてやっていける程の技術と知識量を要求される。
可不可以前に、その両方を学ぶ必要性が全く無いのだ。
考え方そのものが違う世界、そのいずれもを理解するというのが如何に難しいか。
バルケインはそれらをやってのけたという事になる。
魔法は魔女である母に習ったというから下地は出来ていたのだろう。
しかしルーン技術はというと、そうもいかない。
しかも死に絶えて久しく師もいない、文献にすら残っていない工法。
それは技術を一から造り上げるに等しい。
尋常じゃない、努力だけでどうこうというものでもない。
彼のそれはまさしく天才のそれだ。
クラウスは全てに合点がいって、息をつく。
彼は先程まであった男爵を責めるという気が全く失せ、昔を懐かしむように目を閉じる。
「なるほど、あいつは、いわゆる短気だったからなぁ」
「あの男を知っているのか?」
「知っている、あれは俺の弟弟子なんだが、いわゆる天才でね、直ぐに同じ土俵に上がってきた、とはいえ、もうそんな遠くにいるとはね」
男爵はそれを聞いて、震えるように笑い、どれだけのものを手に入れたかを噛み締めた。
「それは家宝になさるといい、貴方の知り合いは誰一人それだけの金を用意できないし、それを払うのに見合う借りも作れない、動かすことが出来ないのだから、金銭的価値は無いも同然だ、誰にも盗まれぬように、それだけを気をつけて大切に保管なさるといい」
「そ、そうだな」
そう答えながら男爵は下卑た笑いを隠そうと躍起になっている。
「俺もやっとこさ目処だけつけたとこだってのにな」
完敗、と言わざるを得ない。
(しかしこいつを見てイメージは掴めた、予定を繰り上げるか、まずはルーンを使える魔術師とコンタクトをとる所からだ)
恐らく、字面だけ用意してもらって模写するだけという訳にはいかないだろう。
そうでなくばそこまであそこまで実用的技術が廃れる筈がない。
「一番弟子なのに、ずっと負けてちゃ世話ねぇもんな」
創作意欲をふつふつと沸かせるクラウスに対して、男爵は全く別のことを考えていた。
あそこには樽いっぱいにあの剣と同等の剣があったということだ。
どれだけの価値になるだろうか、そしてその価値に対して、どれだけ守りが薄い事か。
男女合わせて二人、出会ったのはそれだけ。
その気になれば赤子をひねるようだろう。
(そうなれば、莫大な財産を築ける。何も剣を売らなくても、その素材だけで十分に過ぎる)
男爵は、またも見誤る。
そこに居る彼らが如何に百戦錬磨で、規格外で、そして怒らせてはいけないかを。
そんな事を露程も思わず、男爵は脳内に謀略という名の皮算用を展開していくのだった。




