ある種の送別会
「また来るからね」
モーラとノインは厚い抱擁を交わす。
寿命を持たぬもの同士、その中でも日々に違いを求めて旅立つものとひとつの場に留まり続けるものが出会う事は度々ある。
しかし、2度目はなかなかない。
100年越しになることもあるし、こと冒険者に至っては二度と会えなくなることだってある。
あっさり別れるには打ち解け過ぎた。
これは失敗だなとモーラは思う。
彼女の長い耳がぐにっと曲って頬に押し付けられる程顔を近づけるノイン。
幾度となく長い別れを繰り返しても、やはり慣れぬものだ。
「きっと、会いに来てね」
「うん」
「また楽しいお話いっぱい聞かせて」
「うん」
そこへ無粋に切り込む事が出来る者はそういないが、彼は空気を読まない。
正確には読む限界があった。
「おい、発つのは明日だろうが、あと何回目だ」
バルは面倒くさそうに突っ込んだ。
「あー、6回目?」
モーラは頬に指を当てて考える振りをするが、にへらとわらって、わからないから適当な数を言う。
「11回ですよモーラさん」
ノインが正確に数を告げる。
「じゃあこれで12回目だぁ」
とモーラはノインを押し倒す。
それに「私も私も」とエイダが上から覆い被さる。
皆、顔は紅潮し、出来上がっていた。
モーラの持ってきた甘味の無い薄い焼き菓子のようなものにバルの持ち寄ったチーズを乗せ、トゥルーテが運んだ干し肉、それにノインが森で取った香草を添えた最後の晩餐。
サンドラが頼まれてチーズを溶かすとたまらない馨しい匂いが立ち込め、干し肉の燻製された香り、香草の独特な香りと相まって思わず顔が綻ぶ味。
それにエイダが葡萄酒を合わせていると、それ最高とばかりにバル、トゥルーテが真似して、いつの間にか皆で酒や肴と宴会になっていた。
エルフの焼き菓子の話はよく聞く、しかし、その完成され尽くしたレシピに縛られない者もいた。
栄養価の底上げに蜜で甘くするのが本来。しかしモーラは蜜をあえて抜き、森にはない塩を少し加えて強めに焼く。
その分の蜜を瓶に入れて携行し、かけても美味しく食べられるし、その日食べる魚や肉などと共に食べると、相性がぐんと良くなるのだ。
食べ飽きることがなく、かつ他の食材を足すことで相対的に焼き菓子の消費を抑えることが出来、更なる長旅に耐えられるようになっている。
他のエルフたちと違い、彼女は頻繁にこれを仲間たちに振舞った。
「でも、なんかそれエルフに夢中になっちゃうみたいな話ありませんでした?」
トゥルーテはどこかで聞いた御伽噺を口にする。
「エルフの間にずっと留まりたくなるらしいねぇ〜」
モーラは悪い顔で脅かすが、サンドラがブルったのに満足してその顔を直ぐに笑顔にする。
「でもそんなの迷信迷信、材料も決まった穀物があるんだけどケチって麦とか混ぜてるし、たまーにちゃんと作っても気付かれないくらいだし」
「ま、あんまり量の取れねぇ希少な穀物って話だしな、大方外に出回らねぇように、そんな噂流したんだろうよ」
バルは焼き菓子にさらにオイル煮の魚を合わせる。
強く焼いたことで香ばしくなる穀物の香りがたまらない、魚ともあう、酒ともあう。
「そうそう、例えばだけど、キビって穀物しってる?それで作った団子には食べさせた相手を従わせる効果があるって話がずっとされてたんだけどね
旅の途中実際食べたり食べさせたりしたけど全然そんなこと無かったんだよ、多分そんなもんなんだと思うよ」
膝の上でエイダの顔に焼き菓子を与えるモーラが言うと、信憑性が薄れるが、とにかくそうらしい。
トゥルーテはそれを聞いて、少し考えると、車座のそとにいるガリオンにそれを渡した。
怪しむ、と言うよりバツが悪そうにモーラを一瞥するガリオンであったが、当のモーラは顔を逸らす。好きにすれば?と、言外に言っているように感じた。
「変な効果も無いみたいですし、美味しいですよ」
ガリオンは意を決してそれを口に運ぶ。
驚く程美味しかったのか、彼の手はぴたりと止まってしまって、ひたすらに咀嚼していた。
彼はそれを無心に食べた後、「悪くは無い」と締めくくった。
「それより、だ」
バルはトゥルーテの首根っこを捕まえて、説教モードに入るように彼女を前に座らせる。
「あの作戦はどういうつもりだ?」
「いや、そのー、どうしても最後に1発打ちたかったと言うk」
目をそらし、指を体の中心で合わせながら言い訳を続けるトゥルーテ。
その言い切る前にチョップを入れる。
「威力を考えろ、聖剣がなけりゃ何処まで穴空いたかわからん……、ぞ」
「そう……、ですね……」
彼女が少しばかりの落ち込みを見せるので、バルも息を落とし、しばらく沈黙する。
「私たちの負けですね」
「だな」
それからまた暫くの静寂。
「私ももっと、練習しますね」
「なに、俺がもっと切れる剣作りゃあいいさ」
2人は互いに目配せしてニヤつく。
その後はいつも通り、酒、酒、酒だ。
何辛気臭ぇこと言ってんだ、飲むぞ、酒持ってこい、てめぇ火酒隠してんだろ、こいつぁ俺んだ、よしじゃあ飲もう、やろう勝手に……剣ってのはなぁ、そのときおじいちゃんがですよ、つうかいつまでチーズやらせんだ、こいつには散々振り回されてよぉ……
さて、誰が最後まで起きていて、何の話をしていたのか、それを覚えている者はいない。
別れうんぬんはともかく、だ。
彼女が今回最も失敗したと強く感じたこと。
それは焼き菓子と酒との相性を良くすると、消費速度がとんでもなくなってしまうことだ。
先人はこのことも想定して、味やら何やらを決めたに違いない。
本来2週間は戦えたであろう焼き菓子の入った鞄が空になっているのを怠さに耐えて寝転がったまま確認。どさっと落としつつ後悔した。
加え、この二日酔いの頭痛と胸焼け、おまけに胃もたれと来ている。
エルフが菜食と呼ばれる所以は味覚以上に胃腸の弱さに由来する。
美味しいし、食べられるは食べられるのだ。食べ過ぎたその後の体調を度返しすれば。
動物食に対する偏見から目覚めたエルフが真っ先にする失態を、今日も繰り返す。
もう酒なんて、という、二日酔いで誰もが思う呪詛を吐き、唸る。
未だ混濁しているような気もする意識。
その視線の先にころんと何かが置かれる。
笹の葉に置かれた黒い手練りの丸薬、それを持つ手も浅黒い。
「毒?」
「それぐらい匂いと味で解れ、白肌だろ?」
「白肌って呼ばないで」
男を睨みながら匂いを確かめる。
(数種類の薬草の刺激臭、根と球根の匂い、毒は無いはず)
その強い匂いを嗅いでいるだけで、内蔵が動き始める。
なるほど、これは妙薬というやつだ。
「ダークエルフに伝わる活性の薬だ、内蔵の疲弊にもよく効く」
モーラは考えたが痛む頭と胸焼けと怠さに耐えかねて飲んだ。
念の為、味はしっかりと確かめたが、それ故に苦味をもろにくらい、顔が苦しみに歪む。
それを見て、ガリオンは満足そうに頷く。
一瞬、一服盛られたかと焦るモーラ。
しかし味を見る限りでも何か入っている感じではない。
彼はくつくつと笑いつづけたが、イラつくモーラに悪かったとばかりに話す。
「その顔が見れただけで十分だ、俺の復讐は成ったな」と
「あんた、いい度胸してるわね、加えていい性格」
「褒められてしまった」
そう言って笑っていたガリオンだが、殺意のこもった睨みを受け、もうやめることにした。
「船みたいな名前してる癖に」
「聞いていたのか」
「あんた、行くあてないんでしょ?その名前に免じて、あんた、私の足にしてあげる」
彼女は有無を言わさない。
虚をつかれたガリオンは目を丸くする。
モーラは何をか口を開こうとする彼に畳み掛ける。
「船と馬車の運転を覚えておきなさい」
彼はしばらくと逡巡したが、最後には呆れ諦めるため息と共に「わかった」とだけ言った。
モーラとノインは前日したにも関わらず、それを全く覚えていないように厚い抱擁をして別れを惜しんだ。
忘れ物はないかとか、無理しないでとか、寂しくなったらとか、そんな一連の話が終わり、もう旅立つだけとなった。
「暫くは、罠にはまった人たちを助けるのが忙しそうです」
精一杯笑顔を作って涙を拭いながらしていい話じゃないように思われた。
「頑張ってね、水没した人優先ね、心臓が止まってからだと3分持たないからね」
こちらもすんすんと鼻を啜りながらしていい話じゃない。
「じゃあね」
「バルケインさん」
ノインは最後にバルに話しかける。
「ん?」
話しかけられると思っていなくて耳を小指でほじりながら油断した声を上げるバル。
「刃物のことはあまりわからないのですが……
神域を跨ぐ存在を切りたい、でしたね?
であれば、少しだけ助言できるかもしれません」
「何でも言ってくれ」
バルは人を頼ることに臆したりはしない、どんなに頭を下げても知りたいことがあるのだ。
ノインは、その並々ならぬ真摯な姿勢、眼差しに敬服すると同時に少し末恐ろしくもなった。
本当に口を出していいのか、考えるが、しかしあそこまで真剣にせがまれてはなかなか断りにくいものがあった。
結局と仕方ありませんねと重い口を開く。
「では、神域に届くためのチケット、私からのヒントです
3次元の存在である人の子が2次元の文字を扱うように、アストラル次元を主体に生けるものたちは3次元の文字を用います
ルーンは次の次元に働きかける回路図となるのです
であれば、アストラル次元の存在に働きかけるルーンはその先の次元に足を踏み入れるのでは無いですか?」
「それが神域だと?」
「さぁ、そこからは青天井に高位な存在、次元が続くのでしょうが、その山の麓には至れるかもしれません」
バルは暫く口元に拳をやり唸るように考える。
それからノインの手を握って力強く握手した。
「こいつぁ重要な情報だ、恩に着る」
ノインはこれまたあまりに誠実に相手されるのに驚き、本当に同一人物か疑う程であった。
「あんた、剣のお守りだけの人じゃないんだな、感心したぜ」
そしてバルは人の気も知れずに失言を繰り返す。
「さ、お帰りなさい、人の子」
彼女は一気に不機嫌になってバルたちを追い返した。
モーラは振り向いて手を振り、トゥルーテは一礼して、バルはぶらぶらと歩きながら手を挙げて去っていった。
「全く、失礼しちゃう」
(でも、退屈しない数日間だったわ)
しっかり去ったのを見届けて、最後に許すように顔を綻ばせる。
そうして1人になったノインは小島の広さに少し寂しさを感じながら剣を撫でる。
「あら?」
その刀身には見るだけでは分からない、指の引っかかりがある気がした。
「まさか、ね」




