刃物研ぎと長い夜
不本意ながら冒険をしている。
しがない最高の職人、バルケインことバルはそれでよかった。それがよかった。
未知の興奮、仲間との友情、命をかけたスリル。
自分には無く、別段求めていないし、興味もないものが日々めぐっている。
早く帰って、鋼を叩きたい。バルはそればかり考えていた。
夜の帳に焚き火がひとつ、用を足して戻るだけでも記憶を頼らずには帰れないような闇が辺りに無限に広がる。
深い森林であったはずの光の外の世界は虫音ひとつせず、存在そのものがないかのように感じられる。
バルは親に半ば無理やり冒険者にさせられた。
よくある話、自分のうまくいった、いかなかったはとかく、息子はもっと上手くやるに違いないと託す。(傍迷惑ではある)
多少の才能もあったのか、今は上から二つ目の等級となっている。
そんな冒険者の手を指名で使うには莫大な金がかかる。
おいそれとは使えない。
そういった大仕事は都から離れるほど減っていく
自然、腕の立つ冒険者は都へ向かい、中堅どころより上の人手が足らなくなってくる。
すると任務達成率の底上げのために、商会側から仕事を最小限にした付き添いのような仕事がまわってくるのである。
それも度々。
正直、時間を使ってやってるのだから指名時の満額、いや半分くらいは払ってもらいたいものだ。
こちとらとっとと帰って鋼を打ちたいのだ。
というか、職人として仕事をしているのだから名指しで依頼してこないで欲しいのだ。
そんな改善の余地のない愚痴を思い浮かべては溜息を漏らす。
まぁ、自分の職人業が儲かっているかと言われれば、火の車よりではあるのは自明なのだが。
ともあれ、また不本意ながら冒険に出てしまった。
現在パーティーは眠りについている。
お守りを頼まれたからって夜営の見張りをする義理はない。
対処できない化け物だけ相手をしてくれればいいとも言われた。
そんな彼とはいえ、本当になにもしないのは気が引けた。
それになんだ。
和に入らず、協調性みたいなものを消耗しない時間が欲しかった。
そうして買って出た見張り、交代まではまだしばらく先だろう。
あいも変わらず退屈という一番の結果を享受している。
こんな時に人は孤独感と戦うのかもしれないとぼんやりと思う。
ただ、彼はこんな夜が好きだった。
風音さえも闇に飲まれ、時折はぜる薪の音と揺らぐ炎だけが時間の経過を教えてくれる。
(ちっとくらいならいいか)
心のなかでバルは独り言を放ち、懐の闇から探り当てたひとつと一本を取り出す。
一見して先の丸まったナイフのようなもの、直方体をした石のようなもの。
バターナイフと砥石だ。
使うのは初級にも満たない極小規模な水魔法。
ちょっと多い汗だと言っても信じてしまう、滲み出るような水滴が、少しずつ、少しずつ石と刃物を濡らしていく。
すこしの緊張でこわばった手でもって石を固定して、ナイフの刃を擦り始める。
そして自分と刃物との対話が始まる。
(あぁ、この時間だ)
何者にも犯されない自分だけの時間。
刃物と石の触感に神経を研ぎ澄まし、微かな音に耳を傾け、心が無限に穏やかになっていく高揚を感じる。
しかして、その高揚で刃を波たたせてはならない。
虚無の精神から滲み出るほんのすこしの充足を溶かして纏い帯びる。
最良であり崇高、神の救いすら要らないほど満たされた、そんな時間。
これが彼にとっての至上の幸福だった。いわばゾーンに入った状態。
当然それが無限に続くことはない。
次第に雑念が混じる。
しかしその雑念さえも薄く研ぎ下ろされ、摩り溶けていく。その感覚すらいとおしいと感じる。
経験上それまでの雑念が何だったかを思い出そうとして思い出せなくなるくらいで大体一区切りとなる。
完全なる時から立ち返り、刃の出来を確認するほんの一瞬。
「それ、バターナイフ、ですよね?」
不意に聞こえてきた足音と女の声に驚くと同時に少し気持ちが落ちてしまった。
また現実に引き戻される。
彼にとっては突き落とされる、という表現の方がある種しっくり来たわけだが。
(こういうお客様ってのはあまり好きではない)
声をかけてきたのはお守りしているパーティーの女だった。
かなり高いところから結んだ金色のツインテールがこちらの肩に垂れてきて、ともすればくしゃみでもしてしまいそうだ。
艶やかではなく、犬で例えるなら雑種といった毛並み。
道中と比べると局所をまもる防具が無いだけの軽装で、とても前衛とは思えない。
とはいえ、こう言うこともよくある。金がないか、機動力に重きを置いているか。
後者で盾持ちをしているなら、とんだ猛者か阿呆なのだが。
ともかく、あからさまに無視するわけにもいかない。
「バターナイフだが、なんだ?」
不機嫌さを隠すのはあまり好きではない。調子にのられても困る。
手を止めずに口だけで答える。
「いえ、研いでる人初めて見ました
ばっ、馬鹿にしてないですよ?そんな人いるんだぁって、それだけ、です」
脇に移動しながら手に違う違うといわせる。
分厚い手袋。下半身を中心にがっしりした体、なのに顔はすこし馬鹿っぽいと言うか、もっと正しくいうなら抜けているって感じだ。
取り繕ってはいるが、本当に馬鹿にしてはいないのだろう。多分。
「怒ってはいない
ただ、いい時間を邪魔されたくなかっただけだ」
手を動かしたままそういうと、目の端にいたたまれない表情になった彼女がいることがわかる。
こういう顔って、内側向きの矢印二つで表せそうだなとか、ぼんやりと思う。
瞳は青く、顔立ちは悪くないのに、なんか損というか、かわいそうな感じがする。
例えるなら鬼教官にむちゃくちゃにしごかれて、苦悶の表情を浮かべるのがありありと浮かぶような。そんなかんじ。ぴえんとか言いそうな。
なんてことを考えていると、バルはふっと笑みを浮かべてしまっていたらしい。心なしか彼女の表情が和らいだ感じがした。
「剣術、お見事でした」
「そういうお前は足元がお留守で、使いなれてない感じだったな、本職があると見たが?」
「ええ、まぁ」
バルはふと一瞬手を止め、答えと共に手の動きを再開する。
「剣か、ゲルトルート、だったか?」
「トゥルーテでいいです、みんなそう呼ぶので」
「なんていうか、不幸体質とか言われないか?」
「わかります?私、そう見えちゃいます?」
「まぁ、なんとなく、な、話とか、聞かなくもないぞ。
盾なんか持ってるのは、そういう事情ってやつなんだろ?」
「いやいやいや、そんな、誰も得しませんし、大した話でもないです」
大仰にぶんぶんと否定する様を横目に、セルフツッコミでも始めそうだなと思っていると、ふと静かになった。
「勇者になれるってずっと言われて来たんですよ」
バルは心のなかで、いや結局と話するのかよとツッコミを入れてしまう。
たっぷりと間を置いて、一息つく音と火の粉の舞う音とが重なり、今夜は長い夜になりそうだという漠然とした予感がした。