バルケインという男
都から馬を東に走らせ数日。
王国の領土ではあるけれど、その先には魔物の領域と言われる広大な山脈と不安定な高地が広がる小さな町。
他の国が攻めてこようはずもなく、危険を伴う調査採掘では金も鉱石も未だに姿を見せない。
それに加え、この山脈を避ける道の先には実りの多い大森林と魔物も少なく金脈も当たった鉱山がある。
というのであればこの場所からある程度人が離れていくのも頷けよう。
魔物避けの防壁の真ん中にある監視塔や田園風景、そこかしこにある水車を除いて見るものがあまりない。
そんな町であっても少し歩けば名物めいたもののひとつやふたつあるもので。
山の麓ならではの沸かす必要がないほどきれいな水であるとか、それを利用した食事処であるとかがそれだ。
聞くに高貴なる方々もお忍びで来るとか来ないとか。
それともうひとつ、この町を訪れて防壁をくぐったすぐ脇にある冒険者商会。
とはいってもこの片田舎。
名ばかりと言うほどではないが、お世辞にも堂々たるとは言いがたい佇まい。
度々現れる低級の魔物の討伐であるとか山脈調査の護衛であるとか、よくある盗賊退治などがほとんど。
ドラゴン討伐なんてものは小型ですらめったに張り出されない。
のだが、不思議と冒険者は少なくない。特に初心者は。
その理由はとても単純明快なもので、ドアを開いたすぐ目の前に鎮座する荘厳で美しい剣を見たいがためだ。
見るからに伝わる迫力
美しく磨き抜かれた表面の光沢、しかしそれはただの鏡面仕上げではない。
無垢であり、力強く艶かしい、仄かに青を含んだ光。
その光が液体になって滴るような滑らかで淀みのない刀身。
その表面に目を凝らせば、峰から刃にかける間にほんの僅かな光彩の差。
それは滑らかに、真っ直ぐに伸びる、匂いと呼ばれる美しい刃文。
この誰をも魅了する剣が、勇者を待つがごとく台座に掲げられている。
ひとつだけ違いをあげるなら、それが刺さっておらず、鍔で固定されているということぐらいだ。
これを見に来るという駆け出しが多いこと多いこと。
さながら都の最新式の楽器を覗いている子供そのもの。
これを見て多くの駆け出したちは勇者や英雄への憧れをいっそう強くしていくのだ。
信じがたく、かつ恐れ多くもこの剣は買うことが出来るそうなのだが……。
好事家で有名な公爵が頭を抱えて去っていったと言うのだから、相当な代物なのだろう。
噂では、ただ一度だけここにある剣は入れ替わりがあったらしい。
こんな国宝のような剣を買える人間がいることに驚きだが、それ以上にこの世にこんなものがもう一本あるのかと言うことが驚きである。
こんなすごい剣を、誰がどうやって作ったのか。
それは誰も知らない、こともない。
ベテランの冒険者は誰でも、中堅も、そして今日駆け出したものたちもすぐに知ることとなる。
「だから、んなくっだらねぇ依頼なんて受けねぇっつってんだろ」
受付からやかましい声が響く。
カウンター越しに受付嬢に食ってかかるその男は一見して人間の細身だが、ドワーフのように隆起した筋肉、よく焼けた肌を隠そうとしない軽装。
シャツにはだけた皮ベストだけという風貌だった。
「俺は忙しいんだ、いちいち呼んでくれてんじゃねぇ、剣置いてやってんだろうがよ」
そういいつ、どっかりと前屈みに肘をカウンターに置き、空いた手に付けた分厚い手袋でずいと指を指す。
悪人面という風でも無いが、目付きは悪く、深く刻まれている眉間のシワはどうにも威圧的な印象を与える。
周りの冒険者の面々はこのやかましい声を聞いても一切止めに入る様子はない。
それどころか、視線を向けるものすら少ない。
それは決してこの男を恐れているのではない。
言ってしまえば慣れてしまったのだ。
彼がこうしているのは所謂、日常茶飯事というやつなのだ。
聞こえてくると言えば、またやってるよ、何回目だ、あきねぇなぁ、という酒場のホールからの傍観者の言葉。
あえて例外を挙げるならこの町に初めてやってきた冒険者の一団。
その彼らもまた、少し離れた依頼張り出しのボード近くから心配そうに様子を伺うばかりだ。
喋る度に口元で上下する爪楊枝を眼前に突き付けられて、さぞ困っていそうな受付嬢。
当の彼女ですらそんな様子は見せない。
「あなたの物置じゃないんですよここは、逆に金を払っていただきたいのですが」
と、むしろ細面の笑顔に多量の怒りを込めて対応していた。
ピタリとはまったタイトな制服、細い三つ編みが幾本も左右から伸び、後ろにまとめられた赤毛の女性。
「はぁー?おめぇよ、冒険者のギルドにこんないっとうすげえ剣があったらよ、シンボルとして申し分ねぇだろ、むしろお買い上げ頂きたいね!」
そこまで言われても彼女の笑顔は崩れない、が。
「此方は金がないというあなたに仕事を斡旋して差し上げているというのに、言うに事欠いてそういいますか、そうですか」
後ろに行くにつれて語気が強まっていく。
それに眉をひくつかせる男ではあるがここで引き下がるようなタイプでもないようだ。
「大体なぁ、こちとら急に呼び出されるからって炉が冷めんの諦めて来てやってんだ、高級茶でも出しやがれ、あと燃料代、こっちゃあこっちで火の車なんだよ」
受付の1枚板のカウンターを人差し指の先でコンコンと忙しなく叩く、
「そもそもが、城が建つような高級品しか作らないから高くて誰も買えないんですよ、おつむよわよわですか?少しは売れる武器を作ってみては?」
女性は表情そのまま、だんだんと仮面が崩れてくる。
だんだんと言葉に遠慮が無くなってきているのがわかる。
「んなお手頃量産品なんかちまちま作ってられっかよ、他を当たんな、うちは土産屋さんじゃねっぃてててててて!!!」
言い切れないタイミングで片耳を掴んで持ち上げられる男。
その瞬間、受付嬢から笑顔が一気に消え、血管のキレる音がどこからか聞こえてきそうな豹変ぶりを見せた。
「おいこらガキ、てめぇは糞たけぇ素材代肩代わりしてもらって、担保で剣とられてんだよ、身の程弁えろや」
目が据わった受付嬢は言葉の端々で頬をはたく。
振りかぶらず、予備動作もない、今思い付いたようにはたく。
痛そうに見えないが、その分脅しの効いた口調と合間って青筋の浮かんだ顔が余計に恐ろしく見える。
だが、やはり周りの反応は薄い。
初級者は視線を向けるが中堅者は談笑を続けられるほど。
ことこの時に至っても心配そうな顔、まずいなという表情をしてるのは件の一団のみ。
彼らを知るものにとって、それは痴話喧嘩の域を出ないのだろう。
「この糞女、本性見せやがって……」
負けじと胸ぐらを掴み憎々しげににらみ返す男。
「ちったぁ腕が立つからって調子にのってんじゃねぇぞ、上級冒険者じゃなかったら工房の端まで差し押さえてやんとこだぞクラァ」
唇を尖らせ、顔面を寄せてメンチ切る。
「んだとコラぁ、職人なめてんじゃねぇぞ」
こちらも掴んだ胸ぐらを寄せる。
口は出しつ、手をあげていないのはポリシーか度胸のなさか、おそらく前者だろう。
「そもそもがてめぇに拒否権ねぇんだよ、この債務者風情がよぉ
言われた通り馬鹿みてぇに働いてろやカスが」
威勢の良さの権化たるこの男もそこを突かれるとぐぬぬと押し黙るしかない。
受付嬢はそこを好機とばかりにまた瞬時にニッコリ笑顔に戻り、煽り立てる。
「おつむよわいバルケインさーん、相場が変わったは言い訳にならないんですよー?」
笑顔であるが、それまでと意味合いが大きく変わって、加虐的な笑みに感じられた。
何も言えなくなったところで話をまとめるとばかりに悠々と案内を始める。
「じゃ、旅立って下さい、内容は隣町から遠征の冒険者さんの護衛です、もう見えられていますので、御願いしますね」
笑顔がまぶしい。
そして一団は思った、コイツかよ。と。
先が思いやられるという言葉の意味を復唱する一同。
一方、男は言い返す言葉が見つからず、押し黙るしかない。
「おい、返事はぁどうしたぁ!?」
そこへ怒号に近い詰問
「……わぁったっつの!!」
せめて語気だけだけでも負けじと強めた諦めの返事をするしかない。
敗者ここにありやという鬱屈とした態度をこれみよがしに撒き散らす、バルケインという男がそこにいた。