甲賀跋扈
伴左京介の御屋敷。
いつもは忍びの子弟たちの稽古で騒がしい前庭も、今日は虫の声くらいしか聞こえない。
ちなみに伴一族の本家であるこの屋敷は、配下の忍びが住んでいる近隣の百姓家とは秘密の地下道で結ばれていた。それは伝令の通路であり、火薬など秘伝の道具を密かに運ぶ道であり、また一朝事あるときの避難路でもあった。
だが今はそれらはいっさい関係なく、フォーカスされるべき主要人物はこの屋敷の廊下にいた。
女中に案内されて奥にむかっているのは、大河原徳馬である。
名門大河原家の嫡男にして、甲賀忍びの現エースだ。三三歳の男盛り、いや忍び盛りというべきか。ハンサムで好感の持てる第一印象だが、これといった特徴がなく深く記憶には残らない。百姓といわれても武士といわれても商人といわれても納得できてしまう。忍びとしては理想的な外見だ。
徳馬はふすま越しに奥の間にむかって、
「惣領、徳馬にございます。ただいま戻ってまいりました」
「入ってくれ」
徳馬は、ふすまを開けて中に入る。
八畳の畳敷き(ちなみに畳みは贅沢品であり、本家の御屋敷でも敷かれているのはこの部屋だけだ)で、一段高くなっている上座に、左京介が腰をおろしている。
全身、包帯だらけの痛々しい姿。
「遠路ご苦労じゃった」
徳馬は惣領の姿をまじまじと眺めながら腰をおろす。
「そのありさまはいかがなされた?」
左京介は不機嫌そうに、
「話しとうない」
「わしの不肖の甥が、また馬鹿をしでかしたとか」
「存じておるなら訊くな!」
思わず声を荒げてしまう左京介。
徳馬は口元に悪戯な笑みを浮かべる。こうして惣領をからかえるのは甲賀でも徳馬くらいであろう。
余談ではあるが、あれほど劣等生である太郎太(とオマケで善吉も)がいつまでも忍び修業を続けられたのは、実はこの徳馬の後ろ盾があったからだった。といっても彼が太郎太の秘めたる才能を買っていたわけではなく、犬が野山を駆けまわってはしゃいでいるのを微笑ましく眺めるように、戯れとして放任していただけなのだが。
「さようなことより」
面白くないので左京介はさっさと本題に入る。
「彼の地の様子はいかがであった?」
徳馬は鼻で笑いながら、
「金目衆の刺客はみじめに首級を晒しておりましたな」
「あやつらでは荷が重かろうて」
そこで左京介は声を潜めて、
「しておぬしの見立ては如何じゃ?」
「予断は許されませぬが、このまま作戦を進めるべきかと」
「そうか」
と満足げにうなずく。
「では残りもおぬしに任せよう。頼んだぞ、徳馬。この大仕事を成せば、甲賀の名はさらに高まり、子々孫々にまで誉れは語り継がれよう」
「心得ております」
「今宵は酒でも飲んでゆるりと養生してくれ」
「では出立は明朝に」
「うむ、再び兵馬へ飛んでくれ」