02
制服とローブ。とんがり帽子。一年生の教科書や筆記用具一式。
マリーのお世話係に任命されたレギュラスは苦虫を噛み潰しながら学生生活に必要な物を羊皮紙に書き出していた。
どうして自分がお世話係なんかに、と思いつつも、学園長に「少女の保護をするからついてきなさい」と言われた時点でなんとなくわかっていたことだ。
「星のお兄さん」
「ブロッサム先生、だ」
「ブロッサムセンセイ? でも、星のお兄さんは星のお兄さんよ」
こてん、と首をかしげるマリーに深く溜め息を吐く。
浮世離れした少女に、こんな調子で明後日からの学校生活に馴染めるのだろうかと不安でしかたなかった。
夜も遅く、教員寮の明かりはレギュラスの部屋しか点いていない。
レギュラス・ブロッサムという男は神経質そうな面立ちのとおり、几帳面で真面目で妥協を許さない男だった。
世話を任されたのなら、任されたなりに尽力する。それに、幼気な少女をほっぽりだすほど鬼じゃなかった。
学園についたとたん、「それじゃああとはブロッサム先生にお任せします」と言っていなくなった学園長はいつか禿げる呪いをかけるとして、生徒に見つかるわけにもいかず、教員寮へ連れて来たはいいが空いている部屋が埃だらけで仕方なく自室へと連れてきたのだ。
決して、連れ込んだわけではない。仕方なく、部屋に、連れて来たのである。
身ひとつでやってきたマリーをひとまず風呂に突っ込んで(ここでもひと悶着あったが割愛する)、寝巻き代わりのTシャツを渡し、ようやく落ち着いたところだった。
流石に女性用の下着はすぐに用意できなかったので、急ごしらえで新品のボクサーパンツを渡したが、ぶかぶかのTシャツも相まってショートパンツのようになっている。
白く細い足が視界にちらついて、レギュラスのこめかみは爆発しそうだった。
十以上も離れた少女に手を出す趣味はないが、マリーには人を魅了する、虜にする容姿が備わっていた。
「ねぇ星のお兄さん。明日はなにをするの?」
「学園内の案内や、編入手続きだ。あぁ、あと寮の組分けもだな」
「寮?」
カルミラ学園には三つの寮が存在する。
サラマンダーを司る火の寮。
ウンディーネを司る水の寮。
シルフィードを司る風の寮。
入学式及び入寮式で学園に通う生徒たちは所属する寮に組分けられる。
寮ごとに性質が異なり、サラマンダー寮は情に厚く、ウンディーネ寮は冷静沈着、シルフィード寮は不思議ちゃんの集合体だ。
ウンディーネ寮の監督教師を希望していたのだが、「ブロッサム先生はとぉっても真面目なので自由じ、えへんっ、シルフィード寮の監督をお願いしますね!」と押し付けられたことはいまだに根に持っている。
マリーは――シルフィード寮に組分けられるだろう。そこまで見越して城に同行させられたのだとしたら、学園長のスカした横顔をぶん殴ってやりたい。
「わたし、星のお兄さんとおんなじ寮がいいなぁ」
「……おそらく、お前はシルフ寮に組分けられるだろう。あと、ブロッサム先生と呼べ」
「本当? 嬉しいわ! だって、ブロッサムセンセイって長くて呼びづらいんだもの。……レギュラス、レギュ、そうだわ、レギュって呼ぶわ!」
ぱぁっと、薄い表情に笑みを浮かべたマリーに頷いてしまいそうになる。笑顔は大変可愛らしいが、愛称呼びなんて許可できるわけがない。
「ね、いいでしょ?」とニコニコ笑顔で上目遣いに首を傾げる少女に頬を引き攣らせた。
「――二人きりのときだけだからな」
はぁ、と額に手を当てたレギュラスは深く深く溜め息を吐き出した。
「やったぁ!」とベッドの上で跳ねる少女を嗜めて、嬉しそうなマリーを見やる。
十五歳の少女とはこんなにも可愛らしかっただろうか。それともマリーだからだろうか。おそらく後者である。
教師としてあるまじき。生徒と教師が愛称呼びだなんて、バレたら邪推されること間違いなしだ。
それでも許してしまったのは、遠い故郷に置いてきた幼い妹を思い出してしまったから。「レギーにいさま!」と後ろを着いて歩く、小さくて弱い妹だった。
愛称以前に、男性教師の部屋に麗しい少女がいるだけでも事案だというのに。
目下の問題はマリーをどこに寝かせるかだ。ソファに幼気な少女を寝かせるのは健康上よろしくないが、普段使っているベッドに寝かせるのも抵抗がある。
「……明日は忙しくなる。さっさと寝ろ」
考えて考えて、レギュラスは思考を放棄した。
マリーは、レギュラスに知的興味を抱いている。
外の世界の人。わたしとは違う男の人。ごつごつした手、羽ペンを繊細に扱う指先。薄桃色の髪は砂糖菓子のように甘そう。瞳なんて溶けてしまいそう。
切れ長の怜悧な瞳。彫りの深い顔立ち。スッと鼻筋が通って、薄い唇から綺麗な並びの歯が見える。
いつか少女小説で呼んだ王子様みたいな人。王子様はお姫様を迎えにくるのだ。
マリーにとって、小さな世界から手を取って連れ出してくれたレギュラス・ブロッサムは王子様だった。厳密に言えば、学園長もいたけれど。
ベッドに横になりながら、デスクに向かう彼を見る。
お母様と、数名の召使い以外の人間。会話をしたいけど、彼が頭を悩ませている原因が自分だと自覚があるから邪魔はできない。
枕をぎゅぅ、と抱きしめると、ほのかに甘い香りがした。
「あ、レギュのにおいがするわ」
「ブッ!? げっほ、げほっ! ごほっ! お、おまっ……なにを、」
ちょうどコーヒーを飲んでいたレギュラスは見事に噴出し、動揺に目を見開いてマリーを振り返った。
口元を濡らすコーヒーがワイシャツにシミを作っていく。
枕を抱きしめて思ったことを口に出しただけなのに、何かおかしかっただろうか?
白い生足をさらけ出し、男のベッドに横になった美少女。
いやいや好みのタイプは頭の良い勝気なレディで決してロリコンではないと頭の中で葛藤する男性教師(二十九歳)のことなんていざ知らず、ごろんごろんとベッドの上を転がるマリー。
「……盛りのついた童貞か」
「童貞! 知っているわ!」
知っている単語にきらん、と目を輝かせたら何を言い出すのかと胡乱げな目で見られてしまった。
「チェリーボーイって言うんでしょう?」
「はぁー……どこでそういう知識を手に入れてくるんだ」
「イオがくれた雑誌に書いてあったの」
意味もわからずに言っているのがバレバレだ。
奥深い森で暮らしていたマリーに、時折「ご主人様には内緒ですよ」と世俗の雑誌だったりをプレゼントしてくれるのはイオだった。おかげで外の世界に興味を持ったわけだが、母に見つかっていればイオは人形の呪文をかけられていただろう。
「過保護なんだかそうじゃないんだか……」
溜め息しか出てこない。仮にもお姫様にそんな俗っぽいものを渡すんじゃない。
偏った知識を披露する少女の平たい額をつま先で弾いて、指を振る。パチン、と音を鳴らして部屋の明かりが消えた。
ベッドサイドのほのかなオレンジ色のランプが室内を照らす。
「いい子だからもう寝ろ」
乱れた髪を梳くように、頭を撫でられる。なんだか、お母様を思い出した。
眠れない日はよく頭を撫でられながら、子守唄を歌ってくれた。ねんねんころりよ、ねんころり。
隣にいないぬくもりに違和感を抱きながらも、マリーは疲れていたのかいつの間にか目を閉じて静かな寝息を零していた。
闇は恐ろしい。
気まぐれに訪れては、お母様を飲み込むんだ。
「レギュ……レギュ、ひとりは寂しいわ、闇が怖いの、おねがい、そばにいて」
震えたか細い声に、眠りに落ちていたレギュラスは目を覚ます。
眠気眼をこすり、胸もとに縋りつく白い妖精にぎょっとして体を起こす。
「こわいよ――おかあさま」
「……はぁ」
これではソファに横になっていた意味がない。
泣き出しそうな少女を抱き上げて、ベッドへ移動する。
添い寝をするだけ、寝かしつけるだけ、と誰にしてるかもわからない言い訳を胸中で繰り返しながら腕の中に少女を抱いて、頭を撫で付ける。
「俺ならここにいる」
「……れ、ぎゅ」
す、と乱れていた寝息が整い、上下に胸が動き出す。
「……ほんとに子守じゃないか」
溜め息混じりの声は、夜の闇に溶けていった。
◆ ◆ ◆
生徒が来る前の食堂はがらんとしていて声がよく響いた。オレンジジュースとサンドウィッチを朝食に、一日の流れを説明される。
ぼんやりと、半分目が閉じかけているマリーは昨夜の様子を覚えていないようだ。寝起きに、「お母様の夢を見た気がするの」と言ったが誰がお前のお母様だ。舌先まで出かかった言葉を飲み込んだレギュラスは大人である。
深いネイビーにストライプ柄のスリーピーススーツを着たレギュラスは、薄桃色の髪をワックスで撫で付け、早朝だというにも関わらず準備はバッチリ終わっている。
片やマリーは、白銀の頭はところどころうねったりはねたり、かろうじて着ているシャツワンピースの胸もとのリボンは動いているうちに斜めに崩れていた。
「リボンも結べないのか」と出そうになった言葉を飲み込んだレギュラスはマリーと一回り以上歳の離れた大人である。
何もかも、一から百まで母親に管理されていた少女。
お母様の気分でその日のお洋服が決まる着せ替え人形。
先に朝食を終えたレギュラスは魔法でクシを取り出して、手ずから髪を整えてやる。
さらりとさわり心地の良い、背中で波打つ白銀の髪。白とも銀とも言いがたい、不思議な輝きを放つ髪はどこへ行っても目立つだろう。
「手先が器用なのね、お母様みたい」
「誰がお母様だ! んんっ、ごほんっ。外の世界で生きていくなら、身だしなみくらい自分でできるようになれ。今日は私がやってやるが、明日からはそうもいかないんだからな」
聞いているのかいないのか、上機嫌に鼻歌を歌うマリー。
トマトの汁で汚れた手を拭かれ、胸もとのリボンを直される。
深い青地に、白いストライプの入ったワンピースは、レギュラスが持っていたワイシャツを魔法で拵えたものだ。
少女の世話を全面的に請け負ったのだから、と学園長からもぎ取ってきたブラックカードでマリーの必要用品を爆買いする予定である。
「さきほども言ったとおり、今日は分刻みのスケジュールだ」
「最初は、制服とローブと帽子を買いに行くんでしょう?」
「なんだ、聞いてるじゃないか」
かすかに目を見開いて驚きを露わにする。
眠たげに頭が揺れていたが、人の話はちゃんと聞けるのであれば、他のシルフ寮生よりは扱いやすそうだ。
まだマリーがシルフ寮に入るとも決まっていないのに、寮生たちと同じ扱いをしてしまっていることにレギュラスは気づいて苦虫を噛み潰した。
「採寸をしている間に、私は教科書類を取りに行ってくる。日用品はそのあとだ」
腕時計を確認すれば、そろそろ早起きの生徒が食堂へやってくる時間だ。
「移動魔法で行く。手を」
「なんだかお姫様になった気分」
気分、ではなく正しくお姫様であるが訂正するのも面倒になったレギュラスは無言で手を差し伸べた。
つるりと滑らかな手のひらを乗せて、きゅ、と握る。
移動魔法の最中に離れてしまっては身体がぶつ切りスプラッタな状態で移動先に着いてしまう。せっかくこれからの学校生活を楽しみにしている少女をそんな目に合わせるわけにもいかず、ぎゅっと強めに手を握り返した。
「トパーズ服飾店へ」
ぎゅるん、と視界が回る。天と地がひっくり返り、ごちゃ混ぜになる感覚がマリーは好きだった。
朝早い時間だが、前もって連絡をしておいたおかげで店のシャッターは開いている。
もちろん、箱入り娘なお姫様はレギュラスのそんな気苦労も知らず、目新しい景色にきょろきょろと視界が定まらなかった。
「おい、こっちだ」
くん、と手を引かれて店の中へと連れて行かれる。
華やかなワンピースや凜としたスーツを着たマネキンが並ぶ中、奥のカウンターにけぶる美しさの女性がいた。
マーメイドラインの真っ赤なドレスにケープを羽織り、とんがり帽子をかぶった女店主をレディ・トパーズと人々は呼ぶ。
「――ようこそいらっしゃい。可愛らしいお嬢様」
「朝早くにすまない。今日一日で編入の準備をしなくてはいけなくては……」
「あらまぁ、あたくしとの会話も惜しいということかしら」
「そういうことじゃ、」
「まぁいいわぁ。せっかく可愛らしいお嬢様なんですもの、隅から隅まできっちりはかって、素敵なお洋服をプレゼントして差し上げますわ。ということで、お邪魔な男はさっさと出ておいき」
しっし、と犬でも追い払うかのように手を振られたレギュラスは深く息を吐き出した。ここ数日で幸せが一生分逃げていった気がする。
けぶる美しさの奇抜な女性は、腕は確かで顧客も多いが、男嫌いで有名だった。
「女性には優しいが、セクハラをされたらすぐに呼べ」
「失礼ね! さっさと出ておいきなさい!」
「セク……?」と首を傾げた少女を横目に、足取り軽くレギュラスは店を出て行く。目指すは町でも随一の図書店、ではなく裏路地でひっそりと店を開いている行きつけの本屋だ。
レギュラスがいなくなり、心細さを覚えたマリーは胸もとできゅっと両手を握る。
レディ・トパーズは頬を緩ませて迷子の子猫のように愛らしい少女を店の奥へと案内した。
「服を着たままで結構ですよ。両腕を上げてくださいね。すぅぐに、魔法のメジャーが測りますので」
言われたとおりに両腕を上げると、複数のメジャーが独りでに動き、しゅるしゅると身体のあちこちを測っていく。
数値をメモしていきながら、時折「細すぎ」やら「折れそう」やら聞こえてきた。
「お嬢様のお名前は?」
「……マリー・フラウアと申します」
「フラウア? まぁ! あのフラウアなのね!? あたくしったらなんて運が良いのかしら! あのフラウア一族であるならば、確かにその美しく浮世離れした容姿も頷けますわ! これは腕がなりますわぁ! ねぇ、お嬢様、他にお洋服は入用ではなくって? 今ならあたくし、何着でも作れてしまいそう!」
突如テンションが天元突破したレディ・トパーズは、名と同じくトパーズの瞳をキラキラと輝かせて頬を紅潮させた。
興奮した様子に戸惑い、元来人見知りの気があるマリーが小さく「服はあとで買いに行くって……」と零した言葉を拾い上げたレディ・トパーズは「ぜひウチでお買い求めになって!」と言うものだから頷くことしかできなかった。
早くレギュラスが戻ってくることを祈りながら、「リクエストはございまして?」と聞かれて「お任せで」と思考を放棄した。
「――待たせた、って、随分疲れた様子じゃないか」
一時間ほどで戻ってきたレギュラスだったが、すっかりくたびれたマリーにぎょっとして、レディ・トパーズを見る。
カウンターには数枚のデザイン案が散らばっており、なんとなく状況を察してしまった。どうやら彼女に気に入られたらしいマリーの頭を撫でておく。
頭を押し付けてくるマリーが迷子の子猫のように思えた。
「服を買いに行く手間が省けたな」
「レギュ……疲れた……」
椅子に腰掛け膝を抱えてしまったマリーの頭を撫でながら、一度学園に戻ろうかと考える。
この時間なら生徒たちは授業中だ。寮の組分けと説明を済ませてしまおう。ランチ後にまた街へ生活用品を買いにくればいいか、と自己完結する。
「一度学園に戻るぞ。制服は何時頃できそうだ?」
「全て今日中にお届けいたしますわ! ネグリジェからパーティードレスまで! 一式揃えてお届けいたします」
「助かる。レディ・トパーズ、請求は学園長宛に」
カードを切った女店主は「どうぞ、ご贔屓に♡」と笑顔で手を振っていた。
教科書類の入った紙袋を持ちながら、しょんぼりするマリーの手を引いて歩く。平日の朝、ほとんどの店が開店準備をしている中、見目麗しい二人はとても目立った。
親子にしては歳が近く、恋人同士にしては歳が離れている。奇しくも、ストライプ柄のスーツにワンピースということで似ていない兄妹だろう、と人々は勝手に納得した。
「……レディ・トパーズは好き嫌いが激しい女性だ。気に入られたのは喜んでいいことだ」
「わたし、ああいう女性はなんだか苦手……。レギュと違う寮になったらどうしよう」
今にも泣き出しそうな少女に焦るのはレギュラスだ。大通りで人の目もある。
何か気を紛らわせるものはないかと、目についたのはポップでカラフルなアイスクリーム屋。少し待っていろ、と足早に店員に声をかける。
ほんの数分で戻ってきたレギュラスの手にはワッフルコーンに乗った丸いストロベリーアイスがあった。
何味が好きかわからず、ぱっと目に入ったストロベリーアイスを選んだ。けっして、自分の色だから選んだわけじゃない。
「――ほら、女性は甘い物が好きだろう」
手渡されて、きょとん、と目を丸くした。しげしげとアイスクリームを見つめて、「これはなぁに?」と首を傾げた。
「アイスだ。冷たくて甘くて、美味しいぞ」
「冷たくて甘くて、美味しい」
繰り返して、ぱくり、と一口食べてみる。
ひんやりと冷たく、口の中にストロベリーの甘酸っぱさが広がっていく。
「お、おいし~!!」
「こんなの初めて食べた!」と飛び跳ねそうなマリーに、レギュラスのしかめっ面も緩んでしまう。
子守なのかデートなのか、これは必要なことだったろうかと内心複雑ではあるが、マリーの泣き顔は見たくなかった。
表情の薄い、人形めいた美しい顔には、花が綻ぶ笑顔が似合う。
ご機嫌取りをしていることに呆れながらも、マリーとの時間を楽しんでいる自分がいることに溜め息が止まらなかった。