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01

 

 霧の深い森の奥。人々が住まう国から遠く離れた森の中に、趣きある古城が建っていた。

 森を守護する一族が住まう城で、人々は花の一族とも呼んだ。


「マリー! あたくしの可愛いマリー! どこにいるの!」


 ヒステリックな声が古城に響き渡る。数少ない召使いたちは、「またか」と溜め息を吐いた。


 古城の城主である女性には、月も隠れてしまう美しく儚い娘がいる。

 城主は「花よ蝶よ」と娘を愛で、愛し、尽くし、目に入れても痛くないほど可愛がっていた。そう、それこそ異常なほどに、娘である少女を愛している。


「お母様、マリーはここです」


 漆黒のドレスを靡かせながら、幽鬼の如く形相で城内を捜し歩いていた城主は、扉の影から顔を覗かせた娘にパッと表情を明るくした。

 艶のある、国を傾ける美貌の母は、満面の笑みを浮かべ、両腕を広げて少女をぎゅうっと抱きしめた。


「こんなところにいたのね。あたくしったら、マリーが浚われてしまったのかと……」

「心配かけてごめんなさい、お母様」


 雪の白さを秘めた肌、キラキラと透けて輝く白銀の髪。星が輝くインディゴの瞳。

 つるりとまろい頬に、口紅要らずの小さな唇、均整の取れた細く華奢な肢体。

 繊細な硝子細工のように美しい少女がそこにいた。


 美しい母と、美しい娘。絵になる様子をそっと伺い見た召使いたちはホッと胸を撫で下ろした。


 娘といるときだけ、城主は平静を保っていられる。朝はおはようから、夜はおやすみまで、少女の全てを管理していた。

 手ずから食事を与え、着替えさせ、入浴を共にする。少女に自由な時間はなかった。


 気の毒に思った使用人が「苦しくはないのか」と聞けば、感情の薄い(かんばせ)に笑みを浮かべ「お母様が幸せなら、わたしも幸せよ」と答えるのだ。

 世俗に疎く、母と数名の召使いだけの世界で生きる少女が、召使いたちは気の毒でならなかった。


 このまま、少女は一生を母親に支配されて過ごすのだろう。

 ――年頃の娘がいる庭師が、仕える主に逆らうことになろうとも、閉ざされた外界へと連絡を取ったのが、半年前のことだった。



 ◆ ◆ ◆



 趣きある古城の前に二人の男性が佇んでいる。


「……随分と、古ぼけた城だな」


 金髪碧眼の美丈夫と、薄桃色の髪と瞳をした神経質そうな面立ちの青年だ。


 いかにも、魔女の城と呼ぶに相応しい外観に眉根を寄せた。

 まだ昼間だというのにも関わらず、空は薄曇り、霧が立ち込めているせいで不気味な雰囲気だ。


 フラウアの森は、その筋では有名だ。

 花の精霊に愛された一族の住む霧深い森。

 花の精霊の一族というものだから、花畑や天上のような景色を想像していたが、まさかこんなにも不気味な雰囲気であるとは思いもしなかった。


「で、どうするんです、学園長。正面から行って話しを聞くような人物なんですか?」

「傾国の魔女、幽玄の女王、華の悪魔――などなど呼ばれている女性がマジメに話しを聞くとでも?」

「……愚問でしたな」


 嘆息した青年に、学園長と呼ばれた美丈夫が頭を抱えて悩み始める。


 ひと月ほど前に知人から回ってきた依頼が、目下頭を悩ませる原因である。報酬がたんまり貰えるとあって即日頷いてしまったが、もっとよく考えてから受けるべきだった。

 だってだってまさか、傾国の魔女と名高いフラウアの女城主の娘を保護(と言う名の誘拐)してほしいだなんて!

 そもそも、子は親と共にあるべきという考えを持つ学園長だが、話を聞いているうちに引き返せないところまできてしまったのだ。


 虐待疑い。依存。執着。

 聞いていて血の気が引いた。


 今年十六歳になる娘を保護して、しかるべき教育機関に通わせて欲しい。教育者として、首を横には振れなかった。


「――お、お、お客様、でしょうか」


 ぎぃ、と古城と学園長たちを隔てていた門が開く。


「! 門番ですか? それとも使用人? わたくし、とある方からの依頼で姫君の保護にやってきたのですが、」


 門からそっと顔を覗かせたメイドは、姫君の保護、と聞いて顔色を変えた。


()()()()!」


 ビュン、と目が回り、世界がぐにゃりと曲がっていく。地に足がついていない感覚に胃の奥が圧迫される。

 トン、と視界が安定して床にきちんと足をつけた青年とは反対に、学園長は無様に尻餅をついて頭を抱えた。


「うぅ……強引に空間転移魔法なんて……」

「格好悪いですな、学園長」


 滅多に見れない無様な美丈夫に口の端を上げる青年。

 メイドはぱたぱたと慌て、吃音を酷くして学園長へと手を差し伸べる。


「も、も、申し訳、あ、ありませ、んっ、ご主人様に見つかるわけには、い、いかないので」

「あぁ、平気ですよ。ちょっと目が回っただけですから。……それで、あなたはこの城のメイドさんでよろしいですかね?」


 イオと名乗ったメイドは栗毛を揺らしながらお辞儀をする。


「わたくし、カルミラ魔法学園の学園長をしております、リチャードと申します」

「教鞭を取っている、レギュラス・ブロッサムだ」

「よ、ようこそ、こんな森の奥までいらっしゃってくださいました」


 深々と頭を下げるイオから、好意的な感情が滲み出ており、垂れ目から大粒の涙が零れそうになっているのには驚いた。


「お、お嬢様の現状は、ご存知かと思います。だから、ら、お嬢様のことを、ほ、保護しに来てくださった、んですよね?」


 女王の娘、お嬢様はとても慕われているらしい。だから、親元から保護してほしいなんて依頼が回り巡って学園長にまでやってきたのだ。

 リチャードが経営するカルメラ魔法学園は、全寮制。衣食住は保障され、カルメラ学園に通っていたというだけでもステータスになる。世界でも五本の指に入る名門魔法学校だ。


「ご主人様は、今の時間なら執務室にいらっしゃいます。お嬢様は、と、図書室にいるかと」

「では、わたくしは女王にご挨拶に向かいましょう。ブロッサム先生はお姫様のところへ」

「分かりました。リチャード様はわ、私がご案内します。ブロッサム様は、」

「おおまかな場所を教えてもらえれば、探知魔法で行きますので案内は結構です」


 図書室は別棟に入ってすぐのところにある。

 なんとなく探知魔法を使ってみれば、近いところに黒く強大な魔力と、少し離れたところに純粋で煌めく魔力を感じられた。


「では、ブロッサム先生、任せましたよ」


 リチャードの役目はレギュラスが娘を保護するまでの時間稼ぎ。――娘がそう簡単に着いてくるとは思えないが、そうなれば実力行使も否めない。




 高い天井まで敷き詰められた蔵書の多さは圧巻だ。

 丸いテーブルにたくさんの本が積み重なり、ページを捲る音だけが静かな図書室に響く。

 たくさんの本に囲まれたお姫様はすぐに見つかった。


「御機嫌よう、お姫様」

「――だぁれ?」


 幼気な、美しい少女だった。


 学園には容姿の整った生徒が大勢いるが、今まで見てきたその中でも群を抜いて少女は美しかった。


 息を飲み、妖精じみた少女に見惚れてしまったレギュラスはハッとして手を差し伸べる。


「私はレギュラス・ブロッサム。お姫様のお名前は?」

「マリー・フラウアと申しますわ。星のお兄さん」

「おに、ごほんっ……私は君を連れていくよう言われている。一緒に来てくれるか?」


 戸惑い、視線をさ迷わせて囁きが小さな口からこぼれる。


「お母様は、なんと仰っているのでしょう?」


 かすかに眉根を寄せた。


「母君も納得されている。これから君は、私たちが暮らす学園で魔法について学ぶんだ」

「魔法……!」


 星降る瞳をさらに煌めかせたマリーに頬が緩む。机に置かれた本を見る限り、勉強は嫌いではないようだ。

 魔法薬学や、魔法生物について、植物魔法の応用――様々な種類の本が置かれている。


「でも、お母様が本当に学校へ行っても良いと仰ったの?」


 騙すのは心苦しいが、未来溢れる少女が狭い城の中だけで世界を完結してしまうなんて可哀想だった。

 これは同情と、レギュラスのエゴだ。子供は自由であるべきだ。


「――子供は学べる機会があるなら学ぶべきだ。今、うちの学園長が女王様にお話をしに行っている」


 事後承認だがな、とは心の中でだけ呟いた。

 ゆっくりと伸ばされる手をこちらから掴んでしまえば、少女は驚いたように目をぱちぱちと瞬かせた。


 手を取った瞬間、指先から流れ込む魔力にビリビリと痺れが走る。

 魔力と魔力が反応しあい、化学反応を起こしているのだ。


「ッ!」


 バチ、と静電気のように光りが弾け、小さな衝撃に手を離してしまいそうになる。――が、細い指先が絡み、きゅっと握り締められた。


「すごい……! 星のお兄さんも()()なのね」


 目と鼻の先に、美しい顔が近づく。薄桃色の瞳を覗きこむように、キラキラと星が降るインディゴの瞳が瞬いた。


 さきほどとは打って変わって目を輝かせるマリーが、何に興味を引かれたのかわからない。


「手を握り合うのもいいが、そろそろ行こうか、お姫様」


「あ、でも、行く前にお母様に挨拶をしないと」と思い出したように呟いたマリーに苦虫を噛み潰す。忘れたままでいてくれればよかったのに。


 長身のレギュラスと、小柄なマリーが並べば美女と野獣を思わせる身長差だ。ゴツゴツとした男の手と、水洗いなんて知らないつるりと滑らかな少女の手。

 学園へ行ったら気にかけてやらなければ。共学と言えど、マリーの容姿は男女性別関係なく人を惑わす魅力がある。


 用意するものやらを頭の中で考えながら、図書室を出ようとした目の前で扉が木っ端微塵に弾け飛んだ。


 とっさに、少女を腕の中に閉じ込めることができたのは実践魔法学を教える教師であったからだろう。並の魔法使いなら扉と共に吹き飛んでおしまいだ。


「ブロッサム先生!」


 学園長の声に顔を上げる。箒に乗った学園長が、後ろから迫り来る茨から逃げているところだった。


「逃げますよ! 掴まってください!」


 スピードを緩めることなく、横を通り過ぎる箒を片手で掴み、空いている腕でマリーを抱き上げた。

 入り口で植物たちが詰まるのを見ながら、少女を抱く力を強くする。

 天井が高いおかげだ。箒に掴まっても床に足がつくこともなく、茨たちを追い払いながら図書室の奥へと突き進む。


 大きなステンドグラスが青や紫の光を散らしていた。


「行き止まりだぞ、どうするんだ」

「立ち止まるわけにはいきません! 突き破ります!」

「正気か!?」

「――わたしがなんとかしましょう」

「マリー!?」


 茨の#化け物__モンスター__#が迫り来る。


「嗚呼、嗚呼、なんてこと!! あたくしからマリーを奪うだなんて!! 許せない、許せない、許せないわ!! ()()、マリーを奪う盗人を追いなさいッ!!」


 ざわり、と緑が茂り、茨の鞭が振り上げられた。


「学園長!」

「わかっていますよ!! ()()、燃え盛り、緑を絶やしなさい!」


 轟轟と立ち上った炎の壁に緑は焼かれ、勢いを失っていく。


 腕の中に抱いた少女は、懐から十センチ程度の小さな杖を取り出した。杖の先には色とりどりの宝石が装飾され、美しい輝きを放っている。

 オーケストラの指揮者のように緩やかに腕を動かし、呪文を紡ぐ。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 強大な魔力が収縮を繰り返し、放たれる。

 美しいステンドグラスは、眩い光を放ち、マリーたちを飲み込んだ。


「嗚呼、マリー! あたくしの可愛いマリー!! どうして……! あたくしの愛しい娘! 可愛いお人形さん! 尊い半身!! どこへ行くの、戻ってきて――!!」


 お母様の嘆きが聞こえる。


 光りが迸り、すぐにそれは納まる。声は遠のき、冷たい風が頬を掠めていった。


「――学園の、上?」


 学園長の呆けた声に、こくんと頷く。


「お二人の強いイメージで、空間移動をしました」

「そんな……! 空間移動魔法は上級魔法で、しかも三人をたった一人で移動させるなんて……!」


 なにかおかしいことだろうか。お母様も空間移動魔法は複数人を一度に移動させることができた。

 ひとえに、膨大な魔力と緻密な魔力コントロールを行えるために施行できるのだが、天才的な才能を秘めたマリーが理解するにはほど遠かった。


「はっ……こっちが悪者みたいだな」

「星のお兄さんは、悪者なの?」

「……お前の母親にとったら、大事な娘を攫う悪党だろう」


 腕の中で無言になった少女は、何を考えているのだろう。

 盗人から逃げ出す算段でも考えているのだろうか。


 とても軽い、華奢な身体だ。強く抱きしめれば折れてしまいそうなほど。大事に大事に、囲われて育てられてきたのだろう。

 日の光に当たったことのないような真っ白い肌は、いっそ透けてしまうほど白く、儚さを強調した。


「お姫様がなんと言おうと、私達はお前を連れて行く」

「……そう、ですか。でしたら、わたしは抵抗しません。わたしはお母様に何もしてさしあげられないから」


「それにわたし、不謹慎かもしれないけれど、今の状況が楽しいんです」と、少しだけはにかんだ少女に目を丸くする。


 ずっと狭い世界で生きてきた。お母様と、数名の召使いと変わらない毎日。

 表情は薄いし、感情の波も平らだが、マリーだって女の子。少女小説のような恋をしてみたい。少年漫画のように冒険をしてみたい。――けれど、それをお母様が許すはずなかった。

 だからきっと、今このときがお母様のそばから離れる一生で一度のチャンスだった。


「わたしは、外の世界を見てみたかったんです」


 すっかり日が落ち、夜の闇に包まれた空はキラキラと星が煌いている。満天の星空を、一筋の星が流れていった。


 流れ星に願い事を願うと叶うと言ったのは誰だったろう。

 絶対に叶うはずがないと思っていた願い事が、叶ってしまった。

 胸がドキドキと逸り、頬が紅潮する。


「これから、たくさんのことを学んでいきましょう」

「外の世界は、お前が思っているよりもずっと広い」


 優しいふたりの声に、今までに感じたことの無い感情が胸を温かくした。


 


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