ひまわり畑に咲く手品
「フラウア、起きて。行くよ」
まだ、目を擦り意識の覚醒しない少女を無理やり抱えて、宿の外へと出る。勘定は昨日の内に済ませてあるので、何も心配はいらない。あるとすれば、未来への心配だけだ。
ひっそりとアガルタへの道のりを進み行く。
「フラウア、逃げるよっ!」
ーー衛兵とばったり会ったり、
「また兵がいる、迂回するよ」
ーー遠目に衛兵が立っているのを見たり、
「危ないフラウア!」
ーー時には魔獣に襲われ、
「フラウア、朝ごはんだよ」
ーー作り置きしていた、冷めたホットドッグを胃に流し込んだり、
そうして、アガルタ大橋へ着いたのは日が昇りきった正午頃だった。
「ここからが正念場だよ」
ゴクリと、同時に喉を鳴らす二人。目の前には千を超える武装した兵士たちがそびえ立つ。
エンカブレ共和国に逃げ込むただ一つの道なのだ。元々、ここで衛兵たちと対峙するのは予想していたため、道を逸れる事はしない。
国境さえ超えれば、国の兵士たる彼らはエンカブレの地を踏みしめる事はできないのだ。つまり、ルーカス側の勝利条件は国境まで走り切ること。
ただ一つ、予想外だったのはその数。そしてとある一人の圧倒的存在感。
王国の切り札。最強の兵。王国に仕える数万の魔法兵士たちの頂点に立つ男。ーーヘラクレスだ。
「お目にかかるのはお初ですねぇ。まさかあなたまで引っ張り出すほど、この子は重要なのかい?」
「薄汚い口を開くな、ニセモノが。我が王国の栄光のためにその子は必要なのだ。貴様などと共にいて良い存在ではない。失せろッッッ!!」
地を揺らすような怒号。それをきっかけとして、兵士たちが雪崩れ込んでくる。もはや逃げ切れる未来はない。そう思われたのだがーー。
「僕が道を作る。……フラウア走るよ」
手を一層強く握り、ルーカスはフラウアを引き連れ、千の兵士達に突撃する。鬨の声を上げる兵士達に対し、彼は奇奇怪怪な笑みを浮かべて、指を鳴らした。
「僕がマジックショーをする回数が一番多い場所はここだよ?万が一のための奥の手が無いとでも思っているのかなぁ」
その瞬間、ルーカスの足場が跳ね上がり、フラウアと二人、宙へと舞う。繋いだ手を離さぬように少女を引き寄せ、抱きしめる。
「そ、空飛んでるっ」
「やっほぅぅぅぅぅぅぅぅう」
宙を歩くルーカスは至極楽しそうだ。対して、兵士達は唖然。正気の沙汰ではない。
その後華麗にとはまでは行かないまでも、無傷で着地。その勢いのまま走りだす。ただ、歴戦の兵士は彼らを見逃すわけもなく、
「何をしているのだッ!! 追え、追え!!」
その声で、意識を集中する兵士達。凄まじい勢いで、ルーカスとフラウアを追う。距離を離したにも関わらず、彼らの放つ魔法の火の玉にはそれは意味をなさない。
幸い直撃してはいないものの、二人が焼き焦がれるのは時間の問題だ。
ーーせめて、フラウアだけでも。
「フラウア、僕が時間を稼ぐからその間に国境を超えてくれ」
「でも、ルーカスッ!!」
フラウアの言葉が続く前に彼女を地面に降ろして、ダッシュで軍勢へ向かう。
フラウアの小さな歩幅がルーカスを追ってくる前に、再び指を鳴らす。
「さぁて、次の奥の手だ」
すると、地響きが聞こえて多大な質量を誇る大きな一本橋の一部が崩壊する。兵士の軍勢に相対するルーカスとフラウアただ一人を分ける形でだ。
「ルーカスゥゥゥゥゥウ!!!」
哀しみに悲しみを乗せたような声が後ろから聞こえてくる。振り返れば、せっかく固めた決心が溶けていきそうで、振り返る事はできない。
「逃げてフラウア!僕の……僕の気持ちを無駄にしないでおくれっ!」
フラウアの顔は見えない。だが、ルーカスの真意を察した少女は涙を流している事は分かる。だから、卑怯な言葉で別れを告げた。そうでもしなければ少女は走り出してくれない。
数秒、世界から音が消える。音が消えた世界で残るのは、フラウアと過ごした数日間だ。手を前に伸ばして、叫ぶ。臆さぬように叫ぶ。君を守ると決めて叫ぶ。
戻ってきた世界は、雑音や自分の叫び声でうるさい。しかし、少女の泣き声ははっきりと耳を貫く。耳を通じて、鼓膜を揺らし、脳に直接響く。
小さな歩幅で遠ざかって行く少女に、
「サヨナラ」
小さくそう零した。
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「よしぃ、これからルーカスのマジックショーを始めるよぉ。度肝を抜く、そんなマジックをご覧あれ」
そう言い終えて、光る魔法の剣を振りかざしてくる一人の兵士。対してルーカスはーーいるはずの場所から消えていた。
「まずは瞬間移動のマジック。これを成すためには人の意識の間を感じれるようにならなければいけない」
三歩、横にズレた位置にルーカスは立っている。兵士は驚きを隠せない。
が、それでも切り掛かってくる兵士。ーー否、更に数を増している兵士達、だ。
「次のマジックに行こうか。次は世にも奇妙な火を噴く人間だよ」
一塊となって襲ってくる兵士達目掛けて、思いっきり息を吐く。すると、ルーカスの喉奥から炎が巻き起こった。言葉にするなら、人間火炎放射器と言ったところか。
武装した兵士に火が移る。怯み、焼き焦がれる兵士にルーカスは一瞥。
「このマジックのコツは、日頃の練習と熱さに耐え抜く根性さ。火の魔法を扱う君たちが、そんなに火に対して弱くてどうするんだい? 呆れるね」
火だるまが次から次へと伝染して行く。まさに地獄絵図。だが、ルーカスのマジックショーはまだまだ続く。
「次は召喚マジックだ。僕の帽子を見ててくれ」
片手で黒の帽子を掴み、思いっきり横に振る。すると、そこから現れたのは鶏に見た鳥類。ーーマ鳥だ。
魔力を持つ人間に対して獰猛に襲い掛かるその鳥は、ルーカスには無害でも、魔法兵士の彼らにとっては邪魔な敵。鋭い牙が、襲い来る。
前線は崩壊した。それでも次から次へと湧いてくる兵士達。
次に用意したのはフォーク。いつの間にかルーカスの両手に握られていたフォークだ。その数、二十を超える。
それを敵に向かって投げるルーカス。その全てが一人一人の頭蓋を貫通した。
次々と、魔法の使えないニセモノに本物達が倒れていく。
ーーニセモノ。だが、その身に纏う鬼気は本物だ。奇奇怪怪な笑みが不気味にそれを助長させている。
そんなルーカスの姿に軍勢は怯んだ。イカれて怒れる手品師に恐怖を抱いたのだ。
生まれる停滞。それを引き裂くのはやはりあの男。
「貴様ら、何を腑抜けているッ!もういい、どけぇぇぇえッッッ!!」
一瞬にして道が開かれる。そこから現れるのはオーラからして特別な人間なのだと分かるほどの大男。
「ヘラクレス様、直々にお相手とはねぇ」
奇奇怪怪な笑みに陰りは見えない。
「マゴルア様の息女を返してもらおうか。そこをどけッ!ニセモノ!!」
「それは無理な相談だぁ。そして、勘違いするなよ。ーーフラウアは僕の娘だ」
向かい合う二人は共に、道を譲る気は無い。
だから、力尽くで使命を奪い合うしかないーー。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
ここは、エンカブレ共和国の辺境地、ひまわり畑が一面に広がる丘。そこにひっそりと佇む小さな小屋の中である。
「ひぐっ、ううっ……」
声にならない声を上げ、泣き過ぎて喉も枯れた。そんな少女がいた。
小屋の中にルーカスの面影を見つけるたびに、悲しみが押し寄せてくる。
その場に蹲り、膝を抱えて泣きじゃくる。何も考えられない。いまフラウアの心にあるのは喪失感というぽっかり空いた大きな穴だけ。
そんな心の穴を埋めてくれたのは、胸ポケットに入っていた一枚のトランプ。あの時のマジックショーでもらったスペードのエースだった。
ふと、最後のプレゼントが胸にあったのを思い出し、取り出してみる。何の変哲もないスペードのエース。だか、その裏には一枚の手紙がテープでくっ付いていた。
「もしもの時のために、これを君に残しておくよ。なぁに、何も無ければただの笑い話になるだけさ。残しておきたい事って言っても特に思い浮かばないな……。
あっ、そうだそうだ、このひまわり畑とこの小屋は君のものだ。そうだね、僕のプレゼントさ!是非とも、この幻想的な風景を堪能してくれ。
君は料理の才能があるから、この小屋を改装してレストランをひらくのも良いかもねっ!! 僕は、この場所を独り占めしたかったからそんな事しなかったんだけど、君なら大丈夫かも知れないなぁ。
心配しなくても、レシピなら奥の引き出しの中にあるんだ。君の好きなグラタンもきっと作れる。
僕がいなくても、きっと。きっとうまくやれる。だって、君は人に好かれる性質してるからね。どこへ行っても誰かをうまく頼って行くんだよ?もちろん、その時は感謝とお礼を忘れてはいけない。
ーー幸せに生きてくれ」
途中から涙で滲んでいた手紙が、更にフラウアの涙で滲んでいく。
「泣いちゃ、ダメだっ」
袖で涙を拭くフラウア。あそこまで未来を考えてくれだ人がいるのだ。それに応えなければ。
ーー幸せにならなければ。
強く、強く少女の胸の中に言葉は刻まれた。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
「いらっしゃいませ! 一名様ですか?こちらへどうぞ!」
一人の男性と思われる人物をカウンター席へと案内する。
ここは、「ルーカスレストラン」。ひまわり畑に囲まれた、今話題の美味しいレストランだ。
ルーカスと言う名がなぜ付けられているのかという問い掛けを何度も受ける。だか、ひまわりを写したような髪を持つ店主は頑なに答えようとしない。
「それは、秘密ですっ!」
二人が建てたレストラン。怪しい手品師はそこには居ないが、確かにフラウアと共にこのレストランを建てた。
「注文、いいかな?」
「はい、ただいまっ!」
先程、入店してきた男は見れば見るほど怪しい。片腕がなく、フードを深く被っているために顔もよく見えない。
「このグラタンを頂けるかな?」
「グラタン、ですね。かしこまりました」
そんなどこにでもあるようなやり取りをしてるうちに、店主はいきなり涙を溜め始めた。端から見れば、いきなりのアクションで何が起こったのか理解できない。
ーーが、彼女には一目で分かったのだ。
「久しぶりだねぇ」
その男が奇奇怪怪な笑みを浮かべていたからーー。
「ひまわり畑に咲く手品」
〜終わり〜