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左手首につけた腕時計を見る。十二時を少し過ぎたところ。二限が終わってこちらに向かっているのなら、鈴木愛弥が姿を現すのは時間の問題だろう。芹沢茜は大学の門の外に立ちキョロキョロと辺りを見つめる。
小柄な少女がこちらに駆けてくる。小柄な、というのは間違っているけれど。愛弥はすごく細い。病的といってもいいほどだ。水色のキャミソールに白のブラウスを羽織っているようで、そこから伸びる腕は茜の人差し指と同じくらいだ。
「ごめんー、待った?」
息を切らしながら愛弥が手を合わせる。
「全然待ってないよ、あたしも今来たところだし。わざわざ来てくれるんだもの」
「もう、講義がちょっと伸びてさぁ。きちんと終わらせろっての」
茜は愛弥の腕をとった。多分、茜に対してこれほど砕けた言葉を投げかけてくるの同級生は愛弥くらいだ。知らなかったというのも理由だろうし、知ってからも愛弥は態度を変えなかった。だから大好きなのだ。
一番近くの学食に入り、適当に料理を皿に載せてから会計を済ます。安いのだけがとりえで、大学で食べられる料理は心からおいしくない。けれどこれも社会に出るために必要なことなのだと茜は考えている。学園の学食はあまり利用しなかったが、やはりこの程度の味だったのかもしれない。
「そうそう、愛弥ちゃん、この前はミズちゃん誘ったんだけど、愛弥ちゃんもどう?」
「瑞穗先輩? 何を誘ったの?」
「あたしね、時々後輩と勉強会開いてるんだけど、一緒に教えてくれる人。だって愛弥ちゃん頭いいでしょ?」
「嘘ー、それって誤解してない?」
「大丈夫大丈夫、勉強会って名目だけだから」
「何それ?」
「要するに遊びたいんだ。あたしの母校って人によっては小学からの一貫だから」
「茜ちゃんもそうだったんでしょ?」
「そうだよ。だから世間ずれしてるところが多いのよ。分かるでしょ? それでこのまま大学に出ると大変だなぁてあたし感じるわけ。だって今時携帯さえまともに使えないんだよ?」
「茜ちゃんはだいぶ普通になったと思うよ」
「演じてるのよ」
「そうなの? だったらすごいけど」
「あたしとか、むやみに語尾上げてみたり。家でこれやるとお兄様のパンチが飛んできそうだもの」
「お兄ちゃんね」
「そこは、まだできないわ」
「それで、何、遊べばいいの?」
「そうそう、カラオケ連れて行ったり。何でもいいんだけど」
「別にいいよ、でも夏公演が終わらないとあまり時間がないかも」
「それはあたしも同じだよ」
茜と愛弥はN大を中心とした演劇のサークルに入っている。楠木瑞穗はそのサークルの先輩だ。普段は優しいのだけど、いざ芝居となるととても厳しい。最初お嬢様然とした茜の普段の様子に本気で突っ込みを入れたつわものだ。後で本当にお嬢様だと分かった後も、先輩だもの、の一言で終わらせたやはりつわものだ。面倒見がとてもよく、右も左も分からない茜の面倒をよく見てくれた。
「でも、あたし公演大丈夫かな、すごい不安なんだけど」
「そうかなぁ。わたしは高校のころからやってたから一種の快感なんだけど。茜ちゃん演技上手だから心配いらないと思うよ」
「問題はせりふよ」
「せりふなんて流れよ。そのために即興劇の練習やってるんだし」
「愛弥ちゃんはエチュード上手だもの」
「茜ちゃんも今回は地に近いんじゃない?」
「ジ?」
「わたしにどーんと任せて」
「ありがとう」
愛弥の前にあった少量のお昼はすでに空いている。もっと食べないと、と思いいつか茜は愛弥に注意をしたことがあったがなぜか怒られた。怒ったのではないかもしれないけど、それに近い感覚だった。ダイエットをしているのではないと思うけれど、見ていて痛々しく思うこともある。
「どうしたの?」
「なんでもないよ、とりあえず、あたしもがんばるよ」
「へ、何それ? それじゃあわたしもがんばる」
愛弥は目を細くして笑った。薄く引かれたブルーのアイシャドウがかすかに揺れる。