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ホラー的な類い

黒い子ども

作者: 枕木きのこ

 午前中の日照りが嘘のように、下校時間に合わせ学校近隣を集中豪雨が襲った。

 緊急放送として、校舎内に留まるよう連絡が行き渡ったとき、私は友人の百合子とともに女子トイレで化粧を直しているところだった。本来であればこれから、百合子の彼氏が所属するバンドのライブへと赴く予定だったが、小窓に打ち付ける雨粒の非情さを見れば、仕方ないと頷ける。

 校舎内にはまだそれなりの人数が右往左往しており、この事態に興奮を示す者、私たちのように落胆の息を漏らす者、様々であった。このまま泊まりになったりして、などと浮ついた男子生徒の声が耳を突いたとき、そんなことになるくらいならずぶ濡れになってでも帰ったほうがましだ、と百合子は呟いていた。

 教員が方々の戸締りを確認に歩きながら、すれ違う生徒たちに注意喚起を行っている。教室に留まるように、親へは必ず無事を連絡するように、そういった言葉に素直に従う者は少なく、私たちも、彼らの視界から逃げ回るように、体育館のほうへと歩みを進める。

 部活動は行われていなかったが、何人かの生徒が制服のまま、バスケットをしていたり、バレーボールを使ってリフティングをしていたり、四方八方で嬌声を上げていた。百合子はくすくすと笑いながら、子ども染みた彼らを横目に、ステージに上っていく。彼女の後ろをついていくようにそれに従った。

 しばらく、足を放り出しプラプラと揺らして遊びながら男子生徒たちの球技の様子を眺めていたが、次第に、止まない雨とじっとりとまとわりつく湿気に苛立ちが募ったのか、呻くような声を上げながら百合子は仰向けに倒れこんだ。私もそれに倣いぺたんと背中をつける。

「お前らパンツ見えるぞー」

 へらへらと笑う男子生徒たちの声を無視しながら、目を瞑り、この退屈にまみれるくらいなら、やはり私も、ずぶ濡れになってでも帰ろうかと考えていたら、

「ねえ」

 百合子の声が、すぐ近くから聞こえてくる。

 目を開けて顔を傾け、彼女のチークに染まる頬をじっと見つめて、

「なに?」

 返すと、彼女はまっすぐに腕を天井へ伸ばし、人さし指で、何かを指した。

 ピンクのマニキュアが施されたその爪の先へ視線を飛ばすが、そこにはただ無骨な天井が見えるだけで、彼女がなにを示しているのかはわからない。

「どうしたの?」

 続けて訊ねると、

「黒い子ども。黒い子どもが居る。女の子かな、ツインテールの」

 彼女はそう返し、緩慢に、ペタリと腕を下ろした。

 目をぐっと細め睨みつけるように天井を見つめるが、やはりそれらしいものは何も見えない。

「わかんない。どこ?」

「もう居ない。消えた」

 百合子はそれきり、目も、口も、閉じてしまう。


 結局雨が収まり帰宅を許されたのは、午後七時を回ったころだった。一番手だったらしい百合子の彼氏のバンドはすでに出番を終え、私たちはライブハウスに向かう意義を失っていた。最悪だね、私も見たかったのにな、と共感を示してみるが、熱望していたライブへの参加が無くなったと言うのに、彼女は、うん、という一言でそれを終わらせてしまう。どうも調子が外れる。いつもの百合子らしくなかった。

 駅までの道を歩きながら、百合子は何度も、わざと水溜りに足を踏み入れる。水しぶきが私の足を濡らして、冷たかったし、不快だったが、彼女の顔は喜色満面で、不満を言うのも躊躇われる。

 まるで子どものようだ、と思ってから、彼女の見たという「黒い子ども」のことを思い出した。

 私たちの学校にそれと明言される怪談話はひとつも無い。七不思議というより、ジンクスのようなものはいくつか存在するにはしたが、そのいずれにも「黒い子ども」というワードは出現しない。彼女の見た「黒い子ども」とはなんだったのか、そもそも本当に見たのかどうか、全てが不鮮明であった。

 隣の百合子は、マニキュアが気になるのか、右手の親指を左手の親指で引っ掻くように、何度も何度も動かしていた。雨で、閉塞感の中に居れば、なんとなく、今まで良しとしていたことが悪く思えることは、私にも経験があったが、彼女のそれは、そういうものとはどこか別のものにも、感じられた。

「ねえ」

 声を掛けるが、彼女はその所作をやめない。

「なに?」

「黒い子どもって、なんだったの?」

「黒い子ども?」

「ほら、体育館で」

 重ねるが、訝しげな表情をされるだけで、彼女自身の記憶の中にはすでにそんなものの存在はなくなってしまっているかのようで、もしかすると、ただ私が夢うつつの中、幻聴を聞いただけだったのかもしれない、と思ってしまうくらい、前後不覚に陥った。

「どうしたの?」

 はっとして百合子を見ると、口元だけの笑みに、背筋が薄ら寒くなる。

「なんでもない」

「変なの」

 そうして百合子はまた、次の水溜りに足を突っ込む。


 翌週の月曜日、百合子は学校に来なかった。先生は曖昧に誤魔化していたが、どうやら風邪や怪我の部類ではなさそうな気配が、或いは確信めいたものが、私には感じられた。

 幸いにも百合子の家を知っていた私は放課後になると、まっすぐそこへと向かった。インターホンを鳴らして返ってきた声音は、彼女の母のものには違いなかったが、今までに聞いたものとは異質だった。

 玄関を開け迎えてくれた彼女の母は、私が踏み入るより早く、私のことを抱きしめ、耳元で、わんわんと泣き崩れてしまう。良くない想像が、良くない事実として胸の中にすとんと落ちてくるのを感じた。

 居間に通されると、そこには彼女の父の姿もあった。初めて会ったが、そんな挨拶は交わされなかった。腕を組み、視線が一向に上がらず、私の存在をまるで認知していないかのように、じっとしていた。

 お茶も、茶菓子も出されず、唯一出されたのは、

「百合子は死んだ」

 という言葉だけだった。

 驚きと、悲しみと、わけのわからない焦燥感のようなものが、ぐちゃぐちゃと胸中を占め、泣くよりもまず、吐きそうだった。百合子は高校に入ってからの友人だったが、今までの誰よりも、ずっと身近に感じていた存在で、或いは姉妹のように、彼女のことを尊敬し、好いていたのだから、そうなっても、無理など無いのだろう。喉が詰まり言葉が出ず、結局、トイレを借りて一度嘔吐した。

 百合子の部屋を見せてくださいと、落ち着いてからようやく声を出したが、彼女たちは揃って首を振り、

「それはしないほうがいい」

 という旨のことを言った。

 百合子は自殺だったのだが、その死因というのが、意識のある限り、ひたすら身体中をカッターで切り続けたためによる失血死だったようで、部屋中夥しい量の血のあとが残っているのだと言う。

 百合子の母は、それを目の当たりにしながら、何も出来ず、ひたすら我が子が自分の身体にカッターを突き付ける異様な光景と、

「黒い子どもが入ってきた」「出さなくてはいけない」「気持ち悪い」「助けて」

 呪詛のような言葉を聞き、彼女が死ぬより早く意識を失ったそうだった。


 


 それから何年も経って、私は結婚し、子どもを産んだ。夫はこの娘に「百合子」と名付けたがったが、私はそれを受け入れはしなかった。彼にしても、私にしても、百合子は今に至るためのキーパーソンに違いなかったが、その名前を付けてしまうと、どうしても、あの惨劇を辿りそうで、怖かったのだ。

 ただ、私も、余りに彼の主張を受け入れないのは可哀想だと思い、最低限の妥協として「子」という文字を入れてあげることは、許した。

 そして彼がいくつかの候補を上げる中で、結局、私たちの子は、

「澄子」

 となった。

 

 あれ以来、母校で「黒い子ども」が目撃されたという話は、聞かない。

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