気持ちを読むボール
仲間内では変態科学者と呼ばれている友人が、遊びに来た。俺も決して歓迎しているわけではないのだが、彼が単なる変態ではなく、いわゆる天才の類のものだということも分かっているので、そう無下にもしたくはない。天才は天才として扱われるべきだと思うからだ。とはいえ、研究所内でも変態扱いされているのに、こんななんの知識もない一般人のところにこられても対応も出来ないのだが、彼はなぜか、新作ができると俺に見せに来るのだ。まあ、中学校からの腐れ縁なのだからしょうがないか。
彼は頭の大きさほどの箱を持って来た。
「先入観のないヤツの反応が知りたくってね。」
「反応って、なに、何か怖いの?実験?俺は実験体か?」
ちょっとビビった俺の顔を見て、彼は笑った。以前何度か知らぬ間に実験されていたことがある。勝手に俺で実験して研究結果をまとめるのはやめてほしい。しかも、場合によっては何か訳の分からないものに噛みつかれたり、火傷をしたりと、被害も受けている。疑いたくもなるだろう。
とはいえ、彼の研究は専ら「人工知能に代わる空気を読むおもちゃ」というわけのわからない分野なので、そんなに危険でもないことは承知だが。
「今回は大丈夫さ。もうほとんど完成形なんだ。だけど、どうしてもうまく作動しないところがあってさ。」
「うまく作動しない?危なくねぇの?」
「それも大丈夫。こいつが自滅するだけだから。」
「自滅って、危険じゃん。俺やだよ!」
やっぱりそうか。でも、今回はちゃんと事前に言ってきただけマシってもんか。勝手に実験して怒られたの聞いてたんだな。
「ホントに危なくないよ。金属も入ってないし、爆発するようなものないから。まあ、ちょっと濡れるかもしれないけど、そんなもん。」
「濡れるって、化学物質とかじゃないのか?皮膚が溶けたりしない?」
「そんなのおもちゃに入れないから。無害だよ。な、お願い。」
むー、無害でお願いされちゃぁ、仕方がない。危険はないらしいし、しょうがないので、とりあえず見るだけ見ることにした。
彼は箱を俺の前に置いた。ふたには「やわらかい」と書いてある。あと爪楊枝が数本あった。
「中にボールが入ってる。大人目線でどういうところが楽しいか教えてくれ。」
「分かった。」
俺は箱をとった。
直径18センチくらいの、黄緑色のボールが入っていた。小学生がドッヂボールで使うような普通のボールだ。でもちょっとツルツルしている。ヨガとかに使うボールかもしれない。
俺はそれを取り出した。両手でニギニギすると、すごく柔らかかった。中は空洞らしく机に弾ませるとよく弾み、テンテンと軽い音がした。普通のボールにしか見えないけどな。
「どのくらい柔らかいか試してみて。」
作者である変態科学者が言うので、俺はさっきよりも強くボールを握った。ボールは変形して潰れて、俺が力を抜くと元通りになった。
これは面白い。
柔らかいって言うのはこういうことか。俺は楽しくなってどれほど柔らかくて、どれほどグンニャリと曲がるのかを試してみた。
ふと、彼がボールと一緒に置いた爪楊枝が目に付いた。何の意味もなく置いてあるはずがない。
まさか、と思って爪楊枝を手に取り、俺はそれをボールに挿した。
「・・・」
爪楊枝は無言で(当たり前か)ボールに刺さった。
「やわらかい。」
思わずその挿しごこちに感動して声が出た。それっくらい気持ちのいい挿し具合。
「だろ?」
変態科学者はドヤ顔で俺を見ていた。
さすが、さすがだよ。お前は天才だ。
爪楊枝を抜いてもボールは空気が抜けたりしなかった。おおー、すごい発明だ。
「おい、これすげぇな。どうして平気なの?」
俺はちょっと興奮気味に、爪楊枝を挿しながら聞いた。
「だから、それが僕の研究さ。言ったろ?空気を読むおもちゃって。」
言ったっけ?言ったな、随分前に、聞いた気がするよ。だけど、空気を読むおもちゃって、意味が分からない。
「実はこれ、持ってる人の気持ちを読むんだ。このくらいの柔らかさが良いとか、これくらい跳ねると良いとか、無意識に思っただろ?それを手の感覚から読み取って、合わせることができるんだ。」
「マジで?すごすぎない?」
「いやいやいや、卵を割らないように持ち上げる人間と同じさ。そういう感覚のあるボールを作ったんだ。」
はー、意味わからなかったけど、さすが天才だよな。こいつは本当に天才だ。
「コレ何でできてるの?」
俺が聞くと、天才変態科学者は渋い顔をした。
「それを言うと、作動しなくなっちゃうんだ。」
彼はそれ以上言わなかった。
でもなぁ、たとえば商品化するとなると、いくら企業秘密だからって原材料名書かないわけにいかないよな。だいたいで良いんだよ、ゴムだとかプラスチックだとか、そういうので。
「実は・・・」彼は小さな声で言った。「人間の身体から出る物で。」
いやーな空気が漂った。こころなしか空気を読むボールの手触りが悪くなった気がする。
「え、皮膚とか髪の毛とか?」俺は恐る恐る聞いた。
彼は首を振った。そして意を決したように俺を見据えるとはっきりとこう言った。
「70歳以上の男性の鼻水。」
その瞬間、俺の手の中にあったボールがバチンと破裂して、液体化して飛び散った。俺たちはそのイヤーな液体を被った状態で、睨み合っていた。
無害か?・・・俺はそう思わずにはいられなかった。