泣いた悪猿30
永山には幸せというものがわからない。
そんな概念を持ったこともないので、幸せというものが何のことなのかわらなかった。
クラブでチケットを切り、酔っ払い客が騒ぎを起こせば叩き出す役が終わり、帰りにコンビニでコーヒーを一本だけ買う。
地下鉄に乗れば楽だが交通費をケチって三十分の道のりを歩けば、ユウコが料理する臭いに誘われるように帰宅する。そんな、平凡で慎ましい毎日。
おそらく十年前の永山が今の彼の姿を見たら、酷く失望しただろう。
永山には野望があった。元は仲間たちの長だった飛騨申兵衛という老害を打ち倒すことだ。人間との共存などという馬鹿馬鹿しい生き方を押し付ける飛騨派を、首俵らと徒党を組んで殲滅させる日を夢見ていた。今頃永山は悲願を達成し、国中のマシラを統べ、あらゆる邪鬼から一目置かれる集団の一員となっているはずだったのに。それが人間に化け潜伏し生活することばかりに専念しているのだ。
永山は完全な“負け犬”の一匹に過ぎないというのに。夢破れた敗者に残されるものといえば、死或いは地獄のように惨めな毎日だと恐れていたのに。どうしてか、永山には笑顔が絶えなかった。




