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Foxy  作者: 永山容
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第一章

キャンバスに向かいはしたものの、筆が動くことはなかった。

構図はもう決まっている、簡単な油絵の風景画。

四日前に夢で見たのがきっかけで、妙に印象に残ったのだ。

この学校に入学して初めて描く絵。

美術部へ入部した当初、私は顧問や先輩たちに知らない技術を教えてもらえるものと、とても期待していたが今では失望に変わってしまっていた。

初めてカメラを買ってもらったとき、その奥の深さに感心した。

そして様々な写し方を知り、その度に一々私は感心したものだ。

例えば、カメラを地面に置いて被写体を見上げる技法・・・ただの花瓶が威厳に満ちて写る。

実はこれは小学校の時に同じクラスの男子に教えてもらった、というよりパクった。

そいつはとにかく地面に這いつくばってカメラを撮っていたので、クラスのいじめっ子からは「スカートの中を撮っている」とか色々イジられた・・・とにかく変なヤツだった、もうよく覚えていないが。

その後、飽き性で多趣味の私は油絵へ興味をシフトした。

美術部は主に絵画専門だと思っていたのだが、部では主力を陶芸に注いでいた。もちろん絵画もやることはやるのだが形だけというか、なあなあだった。

私自身が己の絵画の力を多少過信していたのかもしれないが(ティーンエイジャーなら誰でもあるでしょう?)顧問も先輩たちもうまい絵は描くけれど、それはあくまで「写実的」なうまさで心に響くものがなかった・・・少なくとも私には。

入部一週間でこのように幽霊部員、文科系の部活じゃなければちょっとできない芸当だろう。

今日もバイトが休みだったので、六月の空が仄暗くなった頃に駐輪場に向かっていたら

「そうなんだよ、オレは病気なんだ」

昨日のヤツだ・・・同じ声だ。


天は二物を与えない・・・私はあまりこの表現が好きではない。

それは概ね、いやほとんど、才能あるものにとり弱点の強調に使われる。

或いは望まぬ才能を持ってしまったもの・・・つまり私のことだ。

中学時代に2度県大会の女子陸上800メートルで私は優勝している。

もちろん陸上部に所属していたが、それは友達の進められて何となくだった。

瞬発力は人並み、持久力はいうほどでもない私にとって800メートルという距離は妙にぴったりときた。

しかし、短距離のように華々しくないし長距離のように尊敬をあまり得られないように感じた。

だけど、元々走ることはとりたてて好き、という程でもないが別に仮病を使うほど嫌いでもない。

正直、初めて県大会で優勝した時は嫌な気持ちはしなかったし2回目の時は少なからず自信になった。

だが、それを高校進学の武器にだけはしたくなかった。

私よりたくさんの努力をしたのにも関わらず、一人の勝者と多数の敗者が存在する。

面接官に「中学時代は部活を精一杯頑張りました。2度の県大会は努力の賜物です」などと言えるほど私の面の皮は厚くない、少なくともそうでありたい。

志望校の特待生に志願しなかったのは、そんな自分の考えを貫きたかったからだ。

宝くじを買うくせに、当たりくじの換金が怖くて-或いは妙なプライドで-出来ない、そんな性格だと我ながら思う。

志望した新南高校は元々女子高だったが、少子化の煽りで去年共学になった。

偏差値は神奈川県内で10位以内。

専願にしたものの合格する為に、受験シーズンを赤目で過ごしたことはあまり思い出したくない。

私が美術部に入部した事を同じ中学から進学した同級生はとても意外な顔で見た。

当然私は陸上部に入部すると思ってたらしい。

今でもたまに走る、特に新しい絵のきっかけを掴んだ日など特に。

四日前、グラウンドの体育部たちの後片付けまで図書室で粘り、中学時代の格好でトラックを4周走った・・・やはりちょっとキツい。

「何部っすか?」

膝に手を付いていたが、すぐに何でもない顔で声の主に振り返る・・・私は見栄っ張りなのだ。

男・・・ってことはタメか、敬語を使う必要はないな。

「は?」

「部活、なに?」

男女共学と聞いた時、私は正直少し胸がときめいた。

以前は女子高だった事を知っている男子学生はそれどころではなかったろう。

目の前の男のように。

「美術、部、だけど」まだ息が整っていない。

「俺、陸上部なんだけど君速いねー。どう?陸上部入らない?」

馴れ馴れしくしてるつもりだろうが、あまり慣れていないらしく照れを隠せないようだ。

「入らない。それに男女別でしょ?」

正直、タイプではないのでキッパリと。

「そりゃ、そうだけど・・・もったいないよ、入りなよ陸部、紹介するからさ」

「せっかくだけどいいよ、ごめんね」

2日前も(次の日はバイトで走れなかった)そいつは話しかけてきた・・・名前は金城というそうだ、おかげでこっちも名乗る羽目になる。

そして昨日、携帯の番号とアドレスを聞かれた・・・あまりにしつこいのでうんざりを通り越して段々と不安を感じてきた。

周りはというと、数人の男子連中(金城の友達だろう)がニヤニヤとこちらを見ているものの、他の学生はみんな関心がなさそうだった。

このようなボーイ・ミーツ・ガールの光景は入学当初は珍しかったが、5月を境によく見かけられるようになる。

とうとう金城は前もって用意していた自分の番号を書いたメモを強引に渡そうとした。

それを返して(さすがに破るだけの度胸はなかった)後ろを向いた時に腕を掴まれた。

情けないが恐怖で金城に向き直った。

抜き差しならない顔の金城(仲間たちと賭けでもしてたのだろうか?)の後ろからコロコロとサッカーボールが転がってきた。

サッカーボール・・・?なんで?

その後、金城が前のめりに倒れた。


「いやぁ、すいません。ボール負い掛けてたら。近視なもんでねぇ」

金城が立っていた場所の斜向かいに痩せっぽちの男が立っていた。

男は私に眼もくれず申し訳なさそうに金城に手を差し伸べる、男の眼鏡が夕日に反射して一瞬眩しかった。

だが、金城は中々立てない・・・何だか分からないが相当なダメージを受けている。

すぐにニヤニヤと見てた連中が顔色を一変させて走ってきた。

3人で、まぁ・・・いうまでもないがその手の連中だ。

一人は金城に、二人は眼鏡に向かった。

「お前、いま蹴り入れただろ・・・!」

眼鏡は体の前で両手をひらひらと小刻みに振りながら、

「違う違う、ボール追いかけてたの。ほら、あそこに転がってるでしょ」

男がサッカーボールを指差す・・・二人はボールをちらっと見た後、一人が片腕を後ろに引いた。

すかさず眼鏡が左手を伸ばし一人の肩を押さえ

「まぁまぁ」

とだけ一言。

肩を押えられた男は不思議な顔で眼鏡を見る・・・何が起きてるんだ、と表情が告げていた。

もう一人が「おい!」と言ったとき、なんだ喧嘩か?と大人の声がした。

「違うよ先生、こいつがほら、蹴り入れたんだよ」

教師はまだ転がっている金城を見ながら

「ああ、見てたよ」

目はそのまま眼鏡に流れた。

「・・・お前が?ナガヤマは4人もいたから分からなかったよ」

眼鏡はおどおどしながら

「はい・・・永山っすけど。それが何か?」

「眼鏡してんのか・・・そういえば初めて会ったよな。学校に行った時、確か休んでたからな」

「あんま学校行ってなかったから・・・」

「何で部活に来ないんだ?話が違うじゃないか」

「何の事ですか?」

「どうせいつかは分かるんだから無駄な事はしないほうがいいぞ」

「ちょっと先生!」

肩を掴まれた方の男が、教師と永山という生徒だけで話が進んでいるのに痺れを切らした。

「見てたんでしょ?こいつが蹴り入れたの」

永山がまたボールを指差しながら

「だからボール追い掛けてたらって言ってるでしょ。ほら」

「そいつがその子ににしつこく付きまとってる時から見てたよ」

教師は目で私を見た後、言った・・・うちの親父より少し若い、少しでかい、多分ずっと強い。

「そこで一人でボウリングしてた永山が走ってきてローを一発」

永山は眼鏡を外し目頭押えた・・・参ったなぁ、という感じ。

「お前が殴ろうとしたときにこうやって・・・」

教師はさっきの永山のように男子の肩に手を伸ばした。

「動きを封じたのも・・・こうされるとちょっとパニクるよな?」


結局その場は「偶然の事故」ということになって永山は不問に附された。

しかし、教師は念の為とと言って金城達と永山を別々に帰した。

「先生さ、最初から見てたなら止めて・・・下さいよ」やっぱ、ちょっと恐い。

「いや、止めに行こうとしたら永山がボールを転がしたんだよ・・・古臭いヤツだな」

「やっぱ、わざとですか?」

「きっかけはな」

「サッカー部?先生も」

「どっちも違うよ。とにくかく君、よかったね」

そういった後、教師は職員室に戻っていった。

金城達と時間差を付けられていた永山が自転車に乗ってきた。

永山は軽く会釈した後、通り過ぎようとしたが

「ちょっと待った!」

私はつい止めてしまった。

「・・・何すか?」

「ちょい待ってて!」

駆け足で駐輪場に向かい自転車に乗り、永山のもとに向かった。

聞いておきたい事が一つ、いや何個かあったのだ。

「さっきのあれ、わざと?」

「だから偶然だって」

「先生が見てたってあたしに言ったよ。全部」

「なんて?」

「サッカーボール転がしたって、古臭いヤツだって」

戸惑ったように鼻を掻きながら

「・・・だって、誰も止めなかったからなぁ。どうしたもんかって思ってたらボールかごがあってさ・・・ひょっとして余計なお世話だった?だったらごめんね」

ちっとも余計なお世話じゃない。

「いや、助かったよ。ありがとね」

「それはよかった」

「でも、なんであんなことしたの?」

「別に」

「サッカー部かなんか?」

「違うよ、帰宅部」

「ローって何?」

「そんなこと女のコは知らなくていい」

「殴ろうとしたのを封じたってどういうこと?」

「なんかさっきから聞いてばっかだね」

苦笑いで永山が言う。

「・・・あいつらに目をつけられちゃったよ?ヤバイんじゃないの?」

う~ん、と唸った後

「でも、これからは心置きなく走れるからよかったね」

「そんな、あたしのせいで永山君が酷い目にあったらとてもそんな風には・・・」

「大丈夫だよ、こういうの慣れてるから。昔から何にでも首を突っ込んじゃうんだ、オレ。えぇっと、きみ・・・」

「高野」

「高野さんね、オレこっちだから。じゃあね」

いつの間にか三叉路まで来てしまった。

無意識に家の方角に向かってたので「あたしもそっち」と言えなくなってしまった。

「ちょ、なんであんな事してくれたの?」

慌ててたので変な質問になってしまった。

永山は少し考えた後

「思い出したら、教えたげるよ」

とニッっと笑った後、自転車で去っていった。


声は駐輪場のそばの灯油置き場(ブロックでできた小さな小屋)の影から聞こえた。

「イカれてるって事か?」

挑発気味の金城の声。

「頭?体?」

飄々としている永山の声。

「頭だよ、大丈夫か?」

この声の主は知らない。

「ああ、そっちは問題ないよ」

「お前、分かってんの?状況」

金城と二人の男、永山の後姿。

・・・ヤバイ。

「そこまでバカじゃないよ、ちゃんとここ受かったんだから」

「ナメてるってコトか?」

フフっと笑った後

「・・・別に」

「イキがってるのか?」

「違うって。だた、オレは病気なんだよ」


数秒後

「あ、えーと・・・高野さん?」

小屋の影から出てきた永山が声をかけた。

コトが終わった後、慌てて自転車に駆けていた私は振り返った。

「ひょっとして・・・聞いてた?」

首を横に振る。

「見てた?」

首を縦に振る。

がっくりとうなだれてため息を吐いた・・・ちょっとオーバーじゃない?

「・・・仕方なかったんだよ、どうせこうなった」

「ケガ?大ケガ?」

「大丈夫、でもしばらくは立てないと思う。先生には・・・」

「うんうん、分かってる」

「ありがとう、それじゃ」

「帰るの?」

「いや、図書室に本返しに行かないと。借りたいのもあるし」

「行ってもいい?」

「帰ったほうがいいと思うよ、もう遅いしさ。バイトとかあるでしょ?」

「今日は大丈夫」

「じゃあ別に、構わないよ」

自転車を本校舎玄関に止めて職員室から鍵をもらい図書室に。

薄暗い廊下の明かりをうっすらの月光がリノリウムの床を反射する。

永山は何も言わずに図書室に向かった。

とにかくこの男は無口なのだ。

質問されないと答えない。

容姿は悪くはないのだが、性格的に少ししっくり来なかった。

これでは彼女は出来ないだろうな、と思った。

「何を読んでたの?」

「ライ麦畑で捕まえて・・・読んだコトある?」

「名前は知ってるけど」

「読んだ方がいいよ、オレ大好きなんだ」

「うん、借りる」

「いや、プレゼントするよ。ぜひ読んでほしいんだ」

「いーよ」

「じゃあ、さっきの口止め料としてさ。それならいいでしょ?」

「口止め料か、だったらいいよ。ありがとね」

「いえいえ」

永山が本を返却した後、口止め料の為にあたし達は新城駅の紀伊国屋に行った。

その後、永山は帰ろうとしたがあたしは近くのマックに誘った。

今までのお礼として。

永山は照り焼きマックバーガーのMサイズ、あたしはフィレオ・フィッシュのSサイズ。

「永山君は何かやってたの?」

「中学の時に空手を少しだけね」

「少しだけ?空手って少しやっただけで3人もやっつけられるの?」

「教え方がうまい人でね、もちろん鬼のように、いや鬼がいたとしてもそれより強い」

「有能な指導者がいたわけね、顧問か先輩?」

「部活じゃないよ。近所のバラックみたいな小さな道場。そこの師範がすごい人だった」

「どんな風に?」

「強さは言うことなし。頭も抜群。多彩な人でまさに理想の父親像だよ。性格はちょっと過激だけどね

「過激?」

「中学の時ね、クラスで喧嘩に巻き込まれたんだ。殴られてもオレはヘラヘラ笑って喧嘩にならないようにしたんだけど、そいつは調子に乗って2発目を殴ろうとした」

私にはそのイメージがしっくりきた、どんな場面かもすぐに思い浮かんだ。

さっきの惨状は全然永山のイメージじゃない。

「さすがにこのままじゃケガするって思ったからやっつけた。その日、道場で師範に怒られた」

「喧嘩で空手を使ったから?」

「逆だよ。お前、何の為に月謝払って空手やってるんだ!ってね。なるほど、師範の言うとおりだと思った」

「そりゃ凄いね・・・そういえばさっき何の本借りたの?」

空手や凄い師範とやらにも私はあまり興味はなかった。

「死に至る病って本、生意気って思うだろうけどさ。昔は途中でやめたけど今なら少し分かるかなって」

「聞いたことがないなー。誰が書いたの?病気の本?」

「キルケゴールって昔の人で、病気じゃなくて哲学書だね」

「テツガク?」

「そう。死に至る病はペストでも結核でもないって言ってる」

「癌かエイズ?」

「だから病気の本じゃないって。絶望こそが死に至る病だって。そうかも知れないケド、分かるような分からないような。とにかく暗いよね」

「暗い。それだけの本?」

「テーゼって知ってる?」

「名前はね」

「本題っていう意味。アンチ・テーゼはそれの逆、ジン・テーゼが中間論・・・いわゆる論証法ね。そういうことも書かれてる」

「あたしはパスだわ、そういうの。他にお勧めはない?暗くて難しくないので」

「プレゼントしたつもりだけど」

「それの他で」

「読み終わったら、ね」

・・・ムカつく、こいつ。

私は全部食べきれず、トレーを戻したあと勘定をした。

「オレが払ったのに」

「いいよ、それにこの本の方が高いしね」

「いや・・・どういう問題じゃないと思うんだけど」

「マックに誘ったのもあたしだし。もう帰るね」

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