はじまりはここから。
「お母様!お父様!」
幼い少女は肩まで伸ばされた綺麗な白金色の髪をなびかせ ながら、手を広げて待っている両親の腕の中へと勢いよく 飛び込んだ。
お父様、と呼ばれた男の人はそんな少女を抱えあげると、 その綺麗な髪を撫でながら隣にいる自分の妻に顔を向け た。
「成長するにつれ君に似ていくよ、シャロン」
「あら。あなたに似ていくわよ。特にその瞳…私は青色な のにこの子の瞳は貴方と同じ金色よ」
微笑ましそうに少女を見つめる二人は、この国の王とその 妃。 国同士の政略的結婚にも関わらず、お互いを深く愛し、そ の結晶として少女を授かった。 そんななににも変えられない自分たちの宝物である少女を 見つめ、二人は優しく微笑む。
そんな二人の愛を感じたのか、少女もふにゃりと幸せそう に笑った。
実際に少女は幸せだった。 両親から惜しみ無い愛情を注がれ、城で働いている人たち からも可愛がられ、何不自由なく暮らせている。
その不自由なく暮らせているのは、国民達の犠牲の上で成 り立っているという事を少女は幼いながらにきちんと理解 していた。それは両親である国王と王妃の厳しくも優しい 教育のおかげである。 そんな二人の背中を見て育った少女は、ゆっくりと、だが 確実に女王としての気質を見せていた。
「クレア!」
ふいに少女の名を呼ぶ少年の声がし、クレア、と呼ばれた 少女は声のする方へと顔を向けた。 するとそこにいたのは、自分の背丈ほどもある大きな剣を 腰に携えた、少女と対して変わらないであろう年頃の端正な顔立ちの少年だった。
その少年の額には薄っすらと汗が浮かび、少女に会いに急いできた事を物語っていた。
その少年は男の人から強引に少女を奪い取ると、その小さ な身体をギューッと力強く抱きしめた。
少年の腕の中で少女は必死になってもがく。が、少年の拘 束の力は緩まない。
「お、お兄様、苦しいです」
やっとの事で抗議の声をあげられた少女は、ググッと少年 の胸を押す。 少年はその動作を見て渋々といった様子で少女を解放し た。 が、その代わりとしてなのか、手を繋がれてしまう。
その一連の行動をみていた王妃は優しく微笑み、国王は 困ったような苦笑を漏らしていた。
「クレアぁー」
「ど、どうしたの?お兄様」
急に呻き声をあげ、少女をぎゅーっと抱きしめた少年に少 女は驚いたような顔を向ける。 少女より頭一個分高い位置にある少年の綺麗な顔には苦痛 の表情が浮かべられていた。
「今日も王政についての講義を強要されたんだ」
「あら、いいじゃない。大事な事よ?」
「確かに大事だけど、俺は王政なんかよりも剣を振ってる 方が性に合ってるし好きなのも知ってるで しょ?」
「知ってるけど…でも」
「それに会うたび父上は"王になれ王になれ"って言うんだ。国王になる気なんて更々ないのに、毎回そんな事を言われたら嫌になるよ」
「そんな!それはお兄様が優秀だからでしょう?皆そう思うわよ」
「いや、あの人は俺の事を政治の道具としか見ていない。 それにもう次期国王は決まってるじゃないか」
そう言って、少年は少女の頬を優しく撫でた。
この国の王族は世襲制である為、現国王に第一子が 生まれればそれが男児であろうと女児であろうと王として人の上に立たなければならないのだ。 現国王の子供は少女ただ一人。 だから次期国王―女王はクレアという事が決まっている。
少女が「お兄様」と呼んでいた少年は、少女と血は繋がっているものの本当の兄妹ではい。 現国王の弟であるギジスの一人息子である。 二人は幼い頃からずっと一緒にいたため、兄妹のように 育ってきたのだ。 だから少女は少年を"お兄様"と呼ぶ。
そんな彼に習わしからいっても王位継承権は第三位と決して低いわけではない。が、なんとしてでも自分の子供を王にしたい少年の父親・ギジスはありとあらゆる手を使い少年を王へ仕立てあげようと日々画策していた。 それは時に命をも脅かす危険なものでもあり、そんな日々を少年が嫌になるのも無理はない。
―
少女はそんな少年を見る度しみじみ思う。
「この人こそが次期国王にふさわしいのではないか」
と。
高貴さを感じさせるプラチナブロンドの髪に、力強い翠色の瞳。 獅子王を思わせる整った顔つき。 勉強しなくても見ただけ聞いただけで記憶できる、天才。
政治、世論、心理、ありとあらゆる面において彼は完璧なのだ。
なのに少年は"王位"というものに全く興味がないという。 今少年が興味があるとしたら剣術だけだ。 彼は呪文のように毎日言っている。
"絶対に騎士になってやる"
と。 少女は思う。 彼ならあと5年もあればとても強くて素敵な騎士になれるだろう、と。
「…ごめんな、クリノス」
国王が悲しそうに眉を下げ、謝罪の言葉を口にした。 その様子を見た少年はプイッと顔を横に向ける。
「べつに国王のせいじゃありません」
少年は本当にそう思っている。 王位継承権を持っていたのは少女の父親で間違いないのだ。昔からの習わしでギジスが国王になれなかったのは仕方のないこと。なのに 少女の父親はそれを申し訳なく思ってるらしく、ギジスの話が出るたび謝ってくる。 だから少年は言う。「貴方が国王で本当によかった」と。
「ありがとう」
国王は緩やかに笑みを浮かべ、少年の頭を撫でた。
その行為に少年は恥ずかしそうに俯くも、頭を撫でる優しい手がとても安心できるものだったのでそのまま大人しくしていた。
「シャロン様!ルシル様!」
そんな穏やかな時間を切り裂くように、王妃付きの侍女が二人の名前を呼んだ。 国王とその王妃はそちらに顔を向けると、「もうそんな時間か…」と残念そうに呟いた。 。
「お父様、お仕事ですか?」
「あ、ああ。しばらく城に戻ってこれないんだ。シャロンも一緒だ」
不思議そうに首を傾げる少女の頭を撫でながら、国王は寂しそうな顔をする。 その顔を見て少女は小さな不安を覚えた。 自然と父親の洋服に手が伸びる。
「クレア?」
父親に名前を呼ばれ、少女はハッとしてすぐに手を離し た。
(行ってほしくない、なんて…)
思っていても、口にしちゃダメなんだ。 クレアが口にすれば二人は少女の側にいてくれるだろう。 だけどそれは大勢の人に迷惑がかかる。 そんな事にはしたくなかった。
少女は不安をグッとこらえ、笑顔で二人を見送る。
「行ってらっしゃい。頑張ってね!」
「…ああ。」
国王は何か言いたげに少女を見つめたが、侍女の催促の声にゆっくりと背を向けた。
まさか本当にこれが最後の会話になるなんて、この時は思ってもみなかった。