夜の天気雨-水玉傘と天気占い-
「二人っきりですね、先輩」
「ああ、見てごらん。とても星が綺麗だ」
「はい。本当に綺麗です」
「でもね、僕は空を見上げることが出来ないでいるんだ。何故だと思う?」
「え? えっと、どうしてですか?」
「それはね、この星空よりも綺麗な君が、僕の隣にいるせいさ」
「あ、雨宮先輩、そんな……恥ずかしいです」
「晴香……」
「先輩……あの、雨宮先輩? 自分で自分を傷つけるのは、もうやめませんか?」
「……そうね。私もやってて何か悲しくなってきた」
抱いていた晴香の腰から手を離し、私は盛大にため息を吐いた。彼氏がいない女二人、もしも彼氏が隣にいたらというシチュエーションで交互に彼氏役をやっては今みたいなやり取りを繰り広げていたのだがさすがに空しくなってきてしまった。
今日は夏祭りということで、私はさっきまで一年後輩の晴香と一緒に隣町まで遊びに行っていた。
祭りの目玉はなんと言っても打ち上げ花火で、それを見るためにわざわざ遠くからやってくる人も多い。そのため花火が打ちあがるときには祭り会場は人でごった返している。
人ごみがあまり好きではない私は、毎年花火が打ちあがる一時間ほど前に自分の住む町へ戻り、この高い所にある丘へとやってくる。
この丘は昔から私のお気に入りの場所で、登るのは少し大変だけど、その分ここからの眺めは最高だった。
町が見渡せるのはもちろん、ここからなら打ちあがる花火もよく見える。おまけに、祭りの日には人も全然いない穴場スポットだ。
「女二人でも、私は楽しかったですよ。雨宮先輩と一緒にいるのは楽しいですから」
こんな恥ずかしい台詞を平気で言ってのけるこの子は私が所属する水泳部の後輩で、色々と指導をしている内に段々と仲良くなっていった。
素直ないい子で、正直同じ女から見て敵わないなってくらい可愛い。でも、それを鼻にかけている様子もなく、とても好感の持てる子だった。
そんな子が浴衣姿で笑いながらあんな台詞を言うのだ。私が男だったら、きっとここで押し倒しているに違いない。
「晴香さ、何で彼氏とか作らないの? クラスの男共が放っておかない筈。告白されたりするでしょ?」
「それは、何度かありますけど……そうですね、いつかいい人が現れたら考えます」
「あんま理想が高すぎるのも考え物よ?」
「誠実で、ちゃんと芯が通っている人ならそれでいいんです。それ以外は求めません」
「不細工で、貧乏でも?」
「はい」
「臭くて、お風呂入らない人でも?」
「……不潔な人はちょっと」
「あはははは!」
引きつらせた笑いを浮かべる晴香が面白くて笑った。
「何で笑うんですか! 雨宮先輩だって、不潔なのは嫌ですよね?」
「そりゃあね。汚いより綺麗な方がいいに決まってるよ」
「ですよね。お風呂はちゃんと入ってくれなきゃ困りますよ。うんうん、困る」
一人でブツブツ言いながら、地面を見つめて首を縦に何度も振って頷く晴香は、可愛いだけじゃなく面白かった。
晴香を見ていてふと思い出す。そういえば昔、晴香のように見ているだけで楽しい気持ちになる女の子がいた。
青いサンダルと、水玉模様の傘が脳裏に浮かぶ。
「雨宮先輩、どうしました?」
「……ん? ああ、ちょっと昔のことをね」
「昔のことですか?」
「小学校低学年の時の事なんだけど」
「雨宮先輩の過去ですか、ちょっと興味あります」
「いや、話してもいいけど、そんな面白い話じゃないよ?」
「聞かせてください」
「いいけど、まあ花火が打ちあがるまでまだ少し時間があるし、暇つぶしにはなるか」
草の上にハンカチを敷き、体育座りをする。同じように晴香もハンカチを敷き、肩に掛けていた手さげ鞄を両手で持って私の隣に座った。
「昔出会った女の子の話なんだけどね。小学三年生の時に出会ったんだ。ほら、私が住んでる家の近くに公園があるでしょ? そこで天気占いをしている子がいたんだけど……」
「……え?」
「あ、天気占いって知らない? 靴を飛ばして、表なら晴れ、裏なら雨ってやつ」
「あ、いえ、知ってます」
「そっか。まあ、それをしている子がいたんだけど、私はその時、天気占いのこと知らなくてさ、何してるのか気になって声かけたんだ」
話しながら私は過去の光景に思いを馳せる。その忘れられない過去の思い出は、今でも鮮明に思い出すことが出来た。
◆ ◆ ◆
「ねえ、何やってるの?」
人の少ない公園で、履いているサンダルを宙に飛ばしている同じ歳ぐらいの女の子に私は聞いた。女の子は片足でケンケンをしながら答える。
「天気占いだよ。知らないの?」
「天気占い? 何それ」
「んとね、ちょっと待ってて」
私に待つよう言って、女の子はケンケンしながら飛ばしたサンダルを拾いに行った。女の子はサンダルを拾うと少し苦戦しながらそれを履いて戻ってくる。
「昨日ね、お父さんに教えてもらったの。こうやってサンダルを飛ばして」
女の子が履いているサンダルを飛ばす。サンダルは表向きになって地面に落ちた。
「表向きだから、明日は晴れだよ。もし裏向きだったら、明日は雨なの。昨日は裏向きだったから、今日は雨だよ」
空を見上げる。雨雲がたくさんあったけど、雨は降ってなかった。
「雨、降ってないよ」
「きっとこれから振るんだよ。天気予報で、夕方から雨が降るって言ってたし」
「そういえば、言ってたね。私もお母さんに傘を持たされたし……それじゃあ、占いが当たったってこと?」
「うん。でも、占いだから百発百中じゃないんだって」
「そうなんだ……私もやってみる!」
靴を半脱ぎの状態にして、私は履いていた運動靴を宙に飛ばした。
「あっ、でも運動靴は……」
宙に舞う私の運動靴を目で追いながら、女の子が何かを言いかける。女の子が言葉の続きを言う前に、運動靴は何度か地面を跳ね上がり、表向きで静止した。
「明日は晴れだね!」
「えっとね、運動靴だと晴れになる確立が高いんだって」
「え、何で?」
「そういう構造なんだって、お父さんが言ってた」
「えー……」
なんだかがっくりとした。それはズルな気がする。
「んっと、私のサンダルでやってみる?」
「いいの?」
「うん……よいしょっと、はい。履いていいよ」
ベンチに座って、女の子はサンダルを脱ぐ。私はケンケンしながら女の子の下へいき、女の子のサンダルを履いた。
今度はちょっと本気を出そうと、手に持っていた鞄と傘をベンチに座っている女の子の横に置く。
「よし、それじゃあ、行きます!」
思い切り足を振り、サンダルを宙に飛ばす。放物線を描き地面に落ちていくかと思われたサンダルは、近くにあった木の枝に引っ掛かり、落ちてはこなかった。
「……明日は雹だね!」
「ええ! 木の枝に引っ掛かると雹なの!」
「いま作った! そんなことより、サンダル取らないと……傘を使えば届くかな?」
さっき地面に放り投げた傘までケンケンで戻り手に取る。傘を使えば、かろうじて木の枝に引っ掛かったサンダルに届きそうだった。
サンダルが引っ掛かった木まで行き、傘を使ってサンダルを落とそうとする。しかし、届くかと思ったのだが、あと二センチ程足らない。
「う~……あと少しなのに~」
「たああああ!」
「え?」
後ろから声が聞こえたと思った瞬間、木の枝に引っ掛かっていたサンダルに石が投げられ、見事命中しサンダルは地面に落ちた。
振り返ると、投球モーションを保ったままの女の子が、私の運動靴を履いて立っていた。
「……フォアボール!」
「え、何で?」
「フォアボールって言いたかった」
「そ、そうなんだ」
苦笑いをする女の子だった。
「あ、本当に雨降ってきたね」
ベンチに座り、頬に落ちた水滴を指で拭きながら言った。女の子は雨を見て、顔を顰める。
「あのね、今思い出したんだけど、家出るとき、玄関に傘置いたままだった」
「じゃあ傘ないの?」
「うん……どうしよう」
「まっかせなさい!」
膝の上にあるバッグを開き、私は中から青い折り畳み傘を取り出した。
「いつもバッグに入れてあるんだ。これ、貸してあげる。サンダルを貸してくれたお礼」
「わあ、いいの? ありがとう!」
うれしそうな顔で、女の子は私が差し出した青い折りたたみの傘を手に取った。その笑顔を見て、何だか私も嬉しくなる。もっとこの女の子を笑顔にしようと、私は傘にある秘密を話すことにした。
「ねえねえ、その傘開いてみて」
「え、うん……うわあ!」
女の子が折りたたみの傘を開くと、傘の裏は水玉模様だった。
「凄い、何で裏側だけ水玉なの?」
「前にね、お兄ちゃんが作ってくれたんだ。見て、こっちの傘も」
私はベンチに立てかけてあった傘を手に取り開く。傘の裏側は、女の子に貸した折りたたみ傘と同じように、可愛らしい水玉模様だった。
「わあ、そっちも水玉だ。可愛い! お兄さんが作ったんだよね? 凄いね!」
「私のお兄ちゃんは凄いよ。何だって出来るんだから。急にバク宙とかするしね」
「え……何でバク宙するの?」
「分かんない」
ていうか、急にバク宙することの何が凄いのか、よく分からなくなった。
「あはは。あ、でも、傘返さなくちゃ行けないよね。んっと、明日もここに来れる?」
「うん。来れるよ」
「それじゃあ、明日もここに来て。その時に返すから。約束」
「うん。約束!」
「じゃあ、雨も降ってきちゃったから、今日はもう帰るね。傘、ありがとう」
私が貸した折りたたみの傘を差して、雨の中を女の子が公園の出口へと走り去っていく。途中何度も振り向いては手を振り、私はそれに手を振り替えして女の子を見送った。
私も帰ろうと、お気に入りの傘を差し公園の出口に向かう。
見上げれば、大好きな水玉模様がそこにはあった。
◆ ◆ ◆
お腹に響くような大きな音と共に、夜空に光り輝く花が咲いた。花火の打ち上げが始まったようだ。
「綺麗だね、晴香」
「……はい」
「でもね、僕は空を見上げることが出来ないで……」
「またやるんですか!」
「あはは、ついノリで」
二発目の花火が上がる。もう何度も見たこの祭りの打ち上げ花火は、何度見ても変わることなく綺麗だった。
「……それで、その後はどうなってんですか?」
花火を見上げながら、晴香は話の続きを促す。
この話はもうすぐ終わってしまう、本当につまらない話だ。けれど、つまらなくても途中で話をやめようとは思わなかった。だから私は過去の思い出話を終わらせるために話の続きを口にした。
「私さ、行けなかったんだ。女の子との約束、破ったの」
「そうですか」
まるで答えが分かっていたかのように、晴香はすぐに返事をした。少し気になったが、構わず話を続ける。
「天気占いでは晴れだったけど、次の日はまた雨だったんだ。きっとあの女の子は、雨の中ずっと私の事を待ってたと思う。でも、私は行かなかった」
「何か理由があったんですか?」
「実はさ、女の子と出会った次の日に、兄さんがバイクで事故ってね」
「……え?」
連続で花火が打ち上がり、夜空が光で満たされる。この思い出は、女の子との楽しい記憶と、約束を破ったという嫌な記憶の二つがあった。
「私って小さい頃はお兄ちゃんっ子だったんだよ。その兄が事故にあったなんて連絡が入ったもんだから私と家族は慌てて新幹線に乗って、兄が住む所まで行ったわけ。女の子との約束をふいにしてね」
「そうだったんですか……お兄さんは無事だったんですか?」
「それがさ、全然大したことなかった。いや、右足を骨折したんだけどね、事故ったとは思えないほどのニコニコ顔で、病院に来た私たちに『やあ、久しぶり。事故っちゃった。あは』とか言ってさ。あれからだね、私がお兄ちゃんを兄さんと呼ぶようになったのは」
「あ、あはは……それは、良かったですね」
「まあね、大事無くてよかったんだけどさ。その次の日に、私とお父さんだけでこの町に戻ってきて、私はすぐに公園に行ったんだけど……いるわけないわよね。それから何度か公園に行ったけど、結局、その日から女の子とは会えなくて、それっきりだよ。ね、つまらない話だったでしょ? でもさ、私が約束を破ったってだけの本当につまらない話だけど、私は何故か忘れることが出来ないんだ。あの公園を通るたび、頭に浮かぶんだよね。雨の中、私が貸した傘を差して一人で佇む女の子の姿がさ。そして同時に思うんだ。もしあの日、私が公園に行くことが出来たら今頃あの子と友達でいられたのかなって」
「……雨宮先輩は悪くないです。仕方ないと思います」
「仕方なかったっていえばそれまでなんだけど。何て言うのかな……事情があったにせよ、女の子とは会えなかったわけだし、ままならないって感じだよ……あの子、今頃どうしてるかな」
「きっと、その女の子は……」
ラストフィナーレの花火が上がる。晴香が言おうとした言葉は、今までで一番大きな花火の音に掻き消された。止め処なく聞こえる音と空に光る花火。私も晴香も無言でそれを見つめた。
全ての花火が打ちあがり、辺りが静寂に包まれる。耳鳴りと少しばかりの余韻を楽しんだ後、私は立ち上がった。
「ああ、綺麗だった! さて、花火も終わっちゃったし帰りますか」
「そうですね……それ!」
「え?」
晴香は何を思ったのか、立ち上がったかと思うと履いていた黒塗りの下駄を宙に飛ばした。下駄は裏向きになって草の上に落ちた。
「あ、もしかして、話聞いてて晴香もやりたくなった?」
「はい。そんなところです」
そういう子供っぽい所も男はくらっときそうだなとか、そんなことを思いながら、私は晴香の下駄を拾って晴香の足元に置いた。
「ありがとうございます」
「犬になった気分だよ」
「雨宮先輩は運動神経抜群ですから、きっとフリスビーも犬より上手に取りそうですね」
「犬と比べられてもね」
「あはは」
「さて、行こうか」
晴香が下駄を履いたのを見計らって、私は先に歩き出した。
「子供って、無力ですよね。どんなに駄々をこねても、親の言うことには逆らえません」
歩みを止め、振り返る。
「え、急に何?」
「私の家、田舎にあるんですよ。今はおばさんの家にお世話になってるんです」
「へえ、それははじめて聞いた……あっ」
ぽつりと、頬に水滴が落ちた。
「雨? 月は出てるけど……珍しい、夜の天気雨だ」
少しずつ、空から降る雨の量が多くなる。見上げても雲はなく、星空と月を確認することが出来た。夜の天気雨を見るのは、これがはじめてのことだった。
「凄いよ晴香! 夜の天気雨、こんなのはじめて見るよ!」
「私もはじめて見ます……花火の後に、夜の天気雨……何だか今日は、凄い日ですね」
二人でしばらくの間、夜空を見上げる。体中に降り注ぐ雨は、何故だか温かい気がした。
「先輩、濡れると風邪ひきますよ」
空を見上げていた私の頭上を何かが遮る。
「……え?」
視界が星空から、水玉模様に変わった。ぽつぽつと、雨が傘を叩く音が耳に届く。
「その女の子は、ずっとこう思ってました。この傘を私に貸してくれた女の子に会いたいと、会って傘を返して、そして友達になりたいって」
「あ……そうだったんだ……私も……思ってたよ。また会いたいって」
「会えましたね!」
晴香が笑う。
その笑顔は今まで見てきたどの笑顔よりも素敵だった