以上。
人って本当愚かだな。
無知でいることを恥としている、何も知らないほうが幸せに生きていけるというのにだ。
なぜどうあがこうといずれ迎えるだろうエンドを考える。
終わりは終わりだ、その先に何を望む。『今』『過去』『未来』を考えて何になる。なぜ考える必要がある?
生き方を考えて、その生き方に悩み、混乱し、落ちていく。
あぁ、中つ国の昔のかしこい人よ、自分が蝶になる夢を見た。彼は自分が蝶になったのか、自分はもともと蝶であり、人の夢をみているのかと考えた。
彼がもし蝶であったとて、人であったとて、同じことなのに。
蝶であり、蝶として生き、蝶であるとして存在していたのなら彼は蝶だ。けれどそこに彼は人である自分の存在を認めたなら彼は蝶ではない。
意識しなければ彼は蝶だった。意識しなければ彼は人ではなかった。でも意識したから彼は人だった。
考えることは人として当然の行為だ。
されど、生き方を考える必要はない。
彼は自分の性格を考えすぎ深く世界と自分の関係性を考えた。そして自分の価値を見いだせず、絶望し、そんな結論に至った自分を責め、嫌いになった。
そして、それでも彼は生きることを選んだ。
「悠馬!見てみて」
彼女は空を指さして笑った。
「今日は綺麗な青空だよ」
「そうだな」
彼はそんなことをいう彼女を見守りながらうすっぺらい笑みをはにかんだ。
「綺麗な空」
彼女はうっとりしながら言い
「こんな日はなんだか幸せな気分になれるね」
といった。そして彼は
「あほ」
とだけ言った。
考えること、それは生きているということ。
感じること、それは生きているということ。
「死のうかな」
死を望むこと、それは生きているということ。
「何か言った?」
「なんもいってねぇ」
苦しいこと、それは生きるということ。
欲しい、自由になりたい、笑いたい、幸せになりたいと思うことは悪いことではない。
生きることは義務じゃない。死を望むのならば望めばいい。
けど、あなたを必要としている人はどこかにいる。いないと思っていても必ずいる。
「悠馬」
「ん?」
「卒業おめでとう」
「おまえもな」
あなたを必要と思っているのは、あなた自身。
否定しようがお好きに。
結局あなたが見捨てない限り、ずっとそばにいるのは自分だから
「ありがとう」
さようなら。またお会いできる日まで