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普通の人のアポリア

作者: gonky
掲載日:2026/04/14

アポリアという言葉を聞いたことがあるだろうか。

ギリシア哲学における、哲学的な行き詰まり、簡単にいうと、「矛盾」である。

「矛盾」もまた中国の故事成語に由来する、とこんなところでも、日本語の幅広さ、深さに心惹かれる。


さて、これは一つのアポリアに面した人間のお話。

普通の人間とは、普通でないとは、普通の人間でない人間とはいったい誰か。


そんなお話。

 アッポー・リア、仮にそう名付けよう。私からみて、彼の生涯に波乱と呼べるものは何一つなく、瀬戸内海もかくやというほどの凪だった。だがその内面はどうだったろう。


 中国地方のアッポー家に生まれたリアの両親は教育者で、リアには自身を除いて兄姉が1人ずついる。 リアは父親が43のときの子で、四三と名付けられる可能性もあったのだという。


 リアは捗々しくない自分の成績に口を出さない父母に対し、言葉にはしないものの好ましい感情を抱いていたそうだし、兄姉に対してもおそらく同様だったろう。だが主にリアに教育を施した祖母には敵対的感情も抱いたという。同世代の父母と比べて、少し年老いた己の父の姿に、言いようのない恥を抱えたともいった。とはいえそれらは幼少年期特有の、誰しもが抱くコンプレックスであろう。自己の無知と、祖母の知の間の対立、自己の延長にある父の老いた姿への恥じらい、といったところか。

 思春期を折り返す頃には、そういうものだと飲み込んで、自身を育ててくれた両親祖母兄姉に深く感謝していた。高校を出て、親元を離れて東京の大学に進学した。大学は寮生活だった。


 大学を出てからのリアにはハマっていることがあった。競馬と麻雀と哲学である。

 週末はWINSや競馬場に1レースから最終レースまで入り浸る。麻雀も初めこそ小金を懸けて友人とセット打ちだったものの、財布の中身を懸けてよく知らぬ他人と打つ方が、自分の素をさらけ出せる、自分の好きにできる。そう気づいたのか、仕事終わりにはフリー雀荘に独り通っていたようだ。

 そして哲学。アリストテレス、デカルト、フーコー、レヴィナス、西田、デリダ、ヴェイユ、吉本、色川。。。色川武大が哲学を書いたかという議論はおいておき、とにかく片っ端から読んでいた。特にヒュームの経験論と、色川の短編を気に入っていたようで、酔うと無言になる私によく高説をぶっていた。


 好みの哲学を伺うに、リアは生粋の人間好きだったに違いない。そしてその愛の対象は人間に限らないようでさえあった。それでも、それゆえに、人嫌いかのごとく意識して独りで動くことを選んでいたように思う。「誰かとの先々の約束が決まっていると、その日の、その時に近づくにつれ憂鬱が募る。その時を迎えると、それなりに楽しめはするけど」とリアはしばしば語っていた。とにかくそういった面倒な気質を、あの頃のリアは自認していた。周りからみると取っつきにくい奴だったが、一部の物好きにはひどく刺さっていた(私はその一人だった)。その取っつきにくさこそが、奴の色気だったのかもしれない。


 「約束」のない状態、おそらく「自由」こそがリアの最優先事項であったのだろう。それ以外を自ずから選ぶことはなく。それゆえ必然に「約束」とは周囲の他者からもたらされるものとなっていたようだ。遊びの「約束」、食事の「約束」、映画の「約束」、旅行の「約束」、あらゆる「約束」ごとは外から降ってくるもので、自分のうちからは、まったくもって仕掛けてこない。

 だが同時に、リアは寂しさを溢すこともあったと記憶している。遊びも食事も映画も旅行も、一緒に過ごす誰かを、価値観を共有できる誰かを求めてもいた。独りになっても、なかんずくそれを楽しむ心理的な強靭さを兼ね備えているリアだからこそ、いつも独りで週末を過ごしながらいつまでも待っていた。「約束」をもたらしてくれる他者を。「自由」を奪いにくる何者かを。


 あるとき旧友の結婚するを知ったリアは、それを素直に祝福できないでずいぶん苦悩しているようだった。訪ねると「みんな結婚して、子供を作って、そうして、世間の普通の幸せな家庭を築いていく。そういう普通の幸せってイメージ、自分には無理だ」と、今生後生無理だろうと、落ち窪んだ眼で詰られたことは忘れ難い。


 それ以来、リアとは疎遠になった。何かの拍子に凧糸がほつれて切れた、そういう類のもう掴むことのできない遠くまで行ってしまったような感覚に近かった。

 新たな生活が寂しさを押し流していって5年たち、娘が歩き始めたばかりのクリスマスに、リアの姉から唐突にもたらされた便り。リアが最後にみた空は、いつもより少し近かったはずで。そうしてリアは自らの手で終幕を曳いた。


 リアの姉からの知らせの翌日、参列する旧友たちに挨拶する傍らで思考を沈める。

 普通の幸せとは何だろうか。リアにとっての普通の幸せは、世間一般が抱くイメージからずれていたのだろうか、それとも世間一般の、普通の幸せを求めていたのか。記憶の中の最後のリアは、世間一般の幸せと自身の幸せとのずれに気づいていた。同時に、確かに普通の幸せを求めていて、けれどそこには決して至れない自身の異常性に懊悩していたようにも思う。

 ではその世間一般とはどこにあるのか。そうして考えると、自分だってどこか普通じゃないような、世界からずれているような感覚を覚えた。一時あれほど親しく付き合ったリアの訃報に、納得以外の感情を持たないのは、どこか普通ではないと言えよう。


 普通でないことを自認しつつも普通の幸せを求め続けたリア。リアの求める友人は、自分であるはずがなかった。


 相手に深く踏み込むことは、ときに相手を深く傷つける。思うにリアの中では「自由」と「約束」とが表裏に位置していたのだろう。いつまでも誰かの差し伸べる手を、独り待っていたリア。誰かを不自由にする「約束」を自分からは決して言い出さないこと。言い出せない弱さ。それは反面では、誰かを不自由にしたくない、という、切なくも力強い、前向きな誠実さともとれ。その果てに己の欲望を押さえつけて、理性的な終幕を選択する強さに映って。

 リアに比べて私は、何と弱い。 私はリアともっと「約束」するべきだったのだろうか。リアの憂鬱を生産するとわかっていながら?


 年が明けてしばらくたった頃、リアの姉から小包が届いた。中には一冊のノートと、短い手紙が入っていた。手紙には「弟の遺言で、貴方に託します」と記されていた。

 ノートを開くと、競馬の感想が、打牌選択の結果が、日々の哲学的考察が、脈絡なく混在している。時に几帳面に、時に乱雑に、思いついたときどきに書かれたとみられる、筆文字の羅列。初めて見たノートの中には、私が知らないリアがいた。どうしてか、これまでで一番リアを近く感じて、読み進む手が止まらなくなった。


 ―――

 240806

 本当ならアメリカ行きの飛行機に乗っていた日。広島県的には原爆投下を悼む日。謎感染症にやられた男の気づきを記す。動かなければ何もない。無。ゼロ。動くと必ず損か得をする。

 多分、「誰でも知ってるよ!」と思われるこの常識。経験値が基本論理準拠故に、これまでの動的経験から身に付かなかったようだ。

 何もしなければ0だ。損も得もしない。何もしないを身に付けて、落ち着きある冷静な生物になりたい。

 イスラエルとイランの同胞よ、ロシアウクライナ人よ、そうは思わないだろうか。

 ―――


 半ばあたりには、いつかの日本ダービーの記述と思しきもの。


 ―――

 250601

 一本のフリーハンド線が2次元平面に踊る。

(その下には一筆書きでアメーバか音符かわからない線が描かれていた)

 数多の平面と交錯しながら、どちらかへ、Fly by。

 6/1、府中、15時40分。皆、どこか緊張していたと思う。

 レース後、友一おめでとうの空気。よくやった。13番クロワデュノール号の馬上にてこぶしを天に突き上げる彼の姿に泣けてきた。当たり外れを超えた感動があった。確かにそこには。

 J.モレイラに足許をすくわれた皐月賞から、溜まっていた鬱屈した感情が解放されたんだ。何でか、救われた。あの場に居た者達は皆が北村友一に己を重ねてみて、ホッとして。擦り切れそうに輝く笑顔に、生への希望をもらう。いつ死んでもいいがまた明日が楽しみだ。線を引く。

 ―――


 終わり3ページに認められた一連の結末予告。


 ―――

 251120

 卵ニワトリ論争

 規制がなければ違反は生じない。ポスト構造主義的に言えば『差異は同一性に先立つ(ドゥルーズ)』

 地平の果てまで世界を平準化しようとしたことが、個・我にとってもとから有していた特徴への抑圧となっているのだろうか。金子みすゞ曰く『みんなちがってみんないい』、そんな価値観は近代史においては劣勢だったかに見えるが。

 幼い子供すらも不特定多数の目を気にして生きるような昨今、とくにスマホの普及以後、パノプティコンからの脱出は益々難しくなっているように思われてならない。

 自由な外界・フロンティアの矮小化。なれば僕らどこへ向かおうかAh._Shangrila

 ―――

 ―――

 251121

『朝焼け小焼けだ 大漁だ 大羽鰯の大漁だ 浜は祭りのやうだけど 海の中では何万の 鰯のとむらひ するだらう』

 金子みすゞの"大漁" 初めて読んだのはいつだったろうか。確か、小4~5の頃であったか。以来、ときどき思い返す詩である。

 己の立ち位置の分からない感覚。俯瞰したかのごとき世界把握。ある種の諦めさえ漂う様で、一方で真摯に現実を捉えてもいる。

 結局、自分というものの情熱、熱量をどこかに忘れてきたような、さびしさの影に魅かれてしまう。

 ―――

 ―――

 251224

 『もし運よく生き残ったらさ、必ず会いに行く、約束だ! これでお別れだ。じゃあな○○(私の名)、元気で暮らせよ。△△(妻の名)によろしくな』

 ―――


 リアの日記はそこで終わっていた。

 最期におちゃらけて、よりによってイブに「約束」だなんて、いくら洒落にしてもスパイスが効きすぎてあまりにもらしくない。らしく、ない。


 窓の外で娘も泣いている。彼女は何に躓いて転んだのだろう。妻が駆け出す気配がする。やはり、リアの求める友人は、自分であるはずがなかった、今でもそれは正しいと確信できる。


 だがここにもまた一つのアポリアがある。

 生きることは、いつか死ぬことへの同意を暗に含む。だとすれば、生と死は対義ではなく、生には死が織り込まれている。リアは死を選んだのか、それとも生の論理を最後まで正しく貫いたのか。

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