【第9話】魔女ちゃんと開かずの扉
スマホの明かりしか見えない真っ暗な空間に、二人の影が見える。
「ほっ、本当にやるのか?」
「当たり前だろ。俺達はやるしかないんだよ」
「でも……」
どこか声を潜めながら、二人は声を交わす。スマホを握るその手の力は、まるで震える体をいなすように強くなっていた。
♡
それは普遍的ないつもの放課後だった。
「すみませーん、これここで大丈夫ですかー?」
長距離や走り高跳びの練習をする陸上部の姿が目に映るグラウンド。その隅で日和は、体育倉庫から白線を引く赤いラインカーを運んできていた。
「あーうん、ありがとう」
日和の確認に、眼鏡を掛けた青色のジャージ姿の男子生徒が頷く。日和より二学年先輩の陸上部のマネージャーだ。
「急にごめんね、こんな事お願いしちゃって。今年マネージャーの部員が少なくって、顧問の先生に相談したら、天宮さんなら手伝ってくれるかもって聞いて」
「いえいえ! なにかあったらいつでも言ってください!」
今日は陸上部からの依頼で、体育倉庫からの荷物の運搬の手伝いをしていた。力仕事もある為、今日はスカートの下に赤色の長袖ジャージを履いている。
先輩とは顔を合わせるのも今日が初めてだったが、昼休みに突然一年二組の教室にやってきて頼み込まれてしまった。本当は顧問の先生から頼む予定だったそうだが、多忙につき先輩直々に頼む事になったようだ。日和は初対面の先輩からの急な頼みにも、嫌な顔一つせずに即答で了承していた。
「先ぱーい、ハードルが一個足りないみたいなんですけど」
「えっ、本当?」
奥で別の作業をしていた部員が、先輩に声を掛ける。確認に向かおうとする先輩だが、他に対処しなければならない業務が手元のチェックボードにあるようで、その足はなかなか動かなかった。
「……よかったら、私がもう一個取りに行きましょうか?」
見かねた日和が、先輩にそう提案する。
「お願いしていいかな? 今度ちゃんとお礼するから」
「気にしないでください」
申し訳なさそうに頭を下げる先輩に、日和はそう頭を上げさせた。
体育倉庫はグラウンドの隅から校舎側の反対方向へと歩いた場所に、ぽつんと孤独に建てられている。駆け足で向かっていると、不意に視線を感じて日和は足を止めた。
「……ん?」
周囲を見回してみるが、グラウンドで汗を流す陸上部の練習風景が見えるだけ。そこに奇怪なものなど、なに一つありはしなかった。
気のせいかと違和感を片付けた日和は、足を走らせて体育倉庫に辿り着く。重い扉をガラガラと横に開いて、中に足を踏み入れた。陸上部や他の運動部が掃除をしているのか、中は綺麗に整理されている。ただ隈なく探してみても、白黒のハードルはどこにも見当たらなかった。
「んー、ないなー……」
日和が呟いたその時、背後からガラガラと音が立つ。
「え?」
振り返ると、開けっ放しにしていた筈の扉がどういう訳か閉まっていた。太陽の光が遮断され、中は途端に仄暗くなる。
疑念を抱きながら、日和は扉へと足を伸ばした。扉に両手を掛けて、力の限り横に引っ張る。しかし扉は微動だにしない。入ってきた時よりも扉が重くなった訳ではない。扉の裏側で鍵が掛けられている手応えを、日和は確かに感じていた。
「これって……閉じ込められた?」
言葉にした事により窮地が現実味を増して、日和は額から汗を垂らす。壁の外の太陽は、次第に西へと傾いていた。
♡
「遅ぇ」
一年二組の教室で、大我は不機嫌に声を漏らす。
放課後の教室には大我以外誰も居ない。数時間前には席が全て埋まっていたのに、今では大我しか座っていない光景を見ると妙な感覚を覚える。大我は最後列の自分の席で、机に両足を掛けて待っていた。
大我が待っている相手は勿論日和だ。「私ちょっとお手伝いしてくるから! 先に帰っちゃダメだからね!」と大我を教室に残してから、かれこれ一時間以上が経過している。
「全く……どこでなにしてやがんだよ」
窓から見える夕焼け空は、徐々に夜に染まりつつある。早くしなければ日和の命を狙う悪魔が湧いて出てくる事になるだろう。
すると教室の外から、暢気な鼻歌に紛れた足音が聞こえてきた。足音は次第に近くなっていき、開いたままだった前側の扉から顔を出す。
「あれ、黒島じゃん」
最後列に座る大我を見て、彼はそう口を衝いた。
前髪をセンターで分け、ワックスでバッチリとセットされた赤みがかった茶髪。そんな明るい髪型とは対照的に、瞳の下のクマはまるで暗い色の絵の具を混ぜて塗りたくったかの様に暗かった。
「……誰だお前」
「えー、同じクラスなんだけどー。超ショックー」
当然のように知らない反応をする大我に、男子生徒は肩を落とす。不良として恐れられている筈の大我だが、彼は大我に対してなにも恐れていないようだ。
「佐藤桂馬な。クラスメイトなんだから、これを機会に覚えてちょ」
覚えていなかった大我に、桂馬はそう自己紹介をする。暗い雰囲気の見た目で軽い挨拶をするそのギャップに、脳が混乱しそうになっていた。
「黒島はなんでこんな時間にここに居んの?」
桂馬は自分の席まで足を進めると、机の中から目当ての忘れ物を取り出す。忘れ物を鞄に入れたなら、桂馬の目標は達成だ。
「あー、天宮さん待ってんのか」
「なっ!」
「最近ずっと一緒に居るもんなー。仲が宜しい事で」
自分で尋ねておきながら、桂馬は自己解決する。最早大我と日和は、一年二組の共通認識でセットの扱いとなっていた。
「天宮さんならさっきグラウンドで見かけたぜ。まだ帰るような雰囲気には見えなかったけど、そのうち帰ってくるだろ。それまでここで大人しく待ってな、ヒューヒュー」
「んなんじゃねぇよ!」
大我の否定を背中で受け流しながら、桂馬は扉を目指して歩き出す。
「そんじゃ、また明日なー」
そう言い残して、桂馬は大我を置いて教室を後にした。去り際に見せた桂馬の表情は、瞳は死んでいるものの大我に優しく笑い掛けていた。
大我は視線を日和の席に向ける。窓際の日和の席の背景は、今も色がグラデーションに移り変わっていく。机には同じく主人を待っている鞄が、静かに取り残されているだけだった。
♡
グラウンドの隅に建てられた体育倉庫。そこから人知れずドンドンと鈍い音がこだまする。
「すみませーん! 誰か居ますかー!?」
扉を拳で叩いて、日和は大声で助けを乞う。声は壁の向こうまで届いている筈だが、生憎体育倉庫はグラウンドから離れた場所にある為、日和の声は誰の耳にも届く事がなかった。
日和はもう一度扉に両手を掛けて、全体重を乗せて横に引っ張る。しかし扉はピクリとも動かない。
「ダメだ……全然動かない……」
この手段での脱出はかなり希望が薄いだろう。
「マネージャーさん達はどうしたんだろう……まさかもう帰っちゃったとか!?」
日和が体育倉庫に閉じ込められてから、もうしばらくが経過している。にも関わらず先輩が様子を見に来ないのは、なにか情報の行き違いがあったのかもしれない。例えば既にハードルはグラウンドに揃っており、日和もそれを誰かから聞いて先に帰ったと誤解されているとか。
ふと壁上部の鉄格子から見える空を覗く。その色は宵闇。詳しい時間は分からないが、陸上部員達が帰り支度を済ませて学校を出ていてもおかしくない時間だ。
「どうしよう……」
どっと疲れが押し寄せてきて、日和は隅に置かれていたマットに腰を下ろす。夜が近付けば、日和には別の危険性もある。日和の命を狙う悪魔の襲撃だ。
「スマホも教室に置いて来ちゃったし……このままじゃ私……!」
脳裏に最悪な未来が過り、日和は表情から血の色を失くす。しかしスマホがなければ誰かにこの状況を連絡する事さえも叶わない。正に八方塞がりだった。
「……誰か」
恐怖から体は震え、声は弱々しくなる。
「……助けて」
瞬間、体育倉庫の分厚い扉を強く殴打する音が響いた。
「!?」
「あ? なかなか硬ぇな」
扉の外からそんな声が聞こえた気もするが、その声も気にならない程に扉を叩く音が連続する。何度音が響いただろうか。次第に扉は変形していき、遂にはあれだけ動かなかった扉が片側だけ体育倉庫の奥へと弾け飛んでいった。
しばらく振りに見た外の景色に、日和は目を奪われる。
「よぉ、こんなところでなにしてんだお前」
そこに立っていたのは、扉を蹴破った右足を上げたままの大我だった。
「黒島……くん」
突如として現れた救世主に、日和はなにも動けないままマットに座り込む。
「なんでここが」
居場所が分かった理由を尋ねようとしたその時、大我の背中からにょろっと黒い影が体育倉庫へと侵入してきた。
「!」
「来やがったか!」
夜の訪れにより出現した悪魔だ。悪魔は空中を彷徨いながら、マットに座る日和に一目散に牙を剥く。
「させるか!」
大我は人差し指に銀色の指輪を光らせる右拳を握り締めた。そのまま悪魔の背後へと駆けていき、日和が襲われる寸前にその拳を悪魔に殴りつける。悪魔を殴るこの感覚も久し振りだ。殴られた悪魔は光の粒子となって溶けていき、大我の拳によって浄化されていった。
「後ろ!」
一息吐く大我だったが、日和の声に振り返る。扉からは悪魔がもう一体体育倉庫への侵入を図っていた。
「くそっ!」
大我は日和の前に立ちはだかり、側にあったポールを左手で掴んで悪魔に放り投げる。ポールは悪魔に見事直撃したが、まるでその場に存在していないかの様に、するりと悪魔を通過していった。
ポールが不時着する音に反応する事もなく、悪魔は日和に襲い掛かる。大我は再度右拳を握り直し、悪魔に向かってその拳を振り翳した。
「おらぁ!」
拳を受けた悪魔は、その場で静かに浄化していく。このままここで突っ立っていては、また別の悪魔が出没するだけだろう。
「早く逃げるぞ!」
大我はそう言って教室から持ち出した日和の鞄を持ち主に投げ飛ばすと、併せて左手を差し伸べる。
「……うん!」
鞄を受け取った日和は、差し伸ばされた左手を握ってマットから立ち上がった。二人はその手を放す事なく、破壊された体育倉庫の扉から外へと飛び出す。
外は完全に夕方から夜にバトンタッチしていた。グラウンドを走っていた陸上部の姿ももう見えない。どうやら本当に日和は置いてけぼりにされていたようだ。
不意に大我は右側から気配を察知して目を向ける。そこには日和の魔力に誘われて出没した悪魔が一体。日和の手を引きながらでは対処が難しく、大我は繋いだ左手で日和を前に投げ飛ばした。
「キャッ!」
先導を失った日和は、為す術なくグラウンドに倒れる。ジャージを履いていなければ、今頃膝を擦り剥いていただろう。
大我はすぐに体勢を直して、近寄ってきた悪魔に右拳を叩きつける。拳を受けた悪魔に抵抗する手段はなく、そのまま光となって跡形もなく蒸発していった。
「ちょっと! いきなりなにするのよ!」
「んな事言ったってしょうがねぇだろ!」
なんの声掛けもなく投げ飛ばされた事に不服を申し立てる日和だったが、声を荒げた大我に一蹴される。大我も悪魔から日和を守る事にいっぱいいっぱいで、そこまで頭が働いていなかった。
「くそ……やっぱ右手だけじゃ厳しいな……!」
大我からの有効打は、破魔の指輪が嵌められた右拳のみ。左拳や両足では、悪魔に攻撃は与えられない。まるでゲームを縛りプレイで遊んでいる様な感覚だ。
「黒島くん!」
声を掛けられ、大我は振り返る。立ち上がっていた日和の前には、既に悪魔が二体待ち構えていた。
「!」
驚くのはまだ早いと、大我の背後からも悪魔が忍び寄る。その数三体。たった一瞬立ち止まっただけで、合計五体の悪魔が二人の周囲を取り囲んでいた。
「マジかよ……!」
日和と背中を合わせて、大我はここからの打開策を模索する。二人の所持する武器は大我の右拳たった一つ。どれだけ頭を回してみても、その拳一つでこの絶望的状況を打破する未来は一向に見えなかった。
ぎゅっと日和が大我のブレザーを握る。その握力から、日和も同じ事を考えている事が伝わってきた。
「どうすれば……!」
その時、二人を囲んでいた五体の悪魔が突然光の粒子と化した。
「「!?」」
悪魔はそのまま静かに光に包まれ、夜の空へと浄化していく。グラウンドには取り残された二人が、くっついて立っているだけになっていた。
「なに、今の……?」
日和が溢れたように口を衝く。大我も今の一瞬でなにが起こったのか、事態を把握できていなかった。
「……とにかく早く帰るぞ!」
このまま突っ立っていては、また悪魔に取り囲まれてしまうだけだろう。大我は日和の手を繋ぎ直して、再度結界の張られている天宮家へと走り出した。
その後迫り来る悪魔の襲撃から逃げ続け、なんとか日和を家にまで送り届ける事に成功した。しかしあの窮地の脱却には依然謎が残るばかり。数日後にその謎は晴れて解明されるのだが、今は大我の頭をひたすらに混乱させるばかりだった。
今回は伏線がメインの回です。単体の話としても楽しめるようにと書いたのですが、いかんせん謎が強過ぎますね。この回収はまたしばらく経った後で。
新キャラとして登場した桂馬ですが、実は初登場は第1話です。是非読み返して、彼の初登場を探し見てください。




