【第5話】眷属くんの決闘
遠くから街の雑踏が聞こえてくる人気の少ない公園。気付けば大我は、そこで初対面の男に竹刀を突きつけられていた。
「ちょっと信ちゃん! いきなり勝負だなんてなに言い出すの!?」
「日和は下がっていろ!」
大我に勝負を申し出た信介を、日和は宥めようと声を掛ける。しかし信介は握った竹刀を袋に納めようとしなかった。
信介の猛獣の様な瞳が、大我の瞳に反射する。
「……天宮、喧嘩禁止の命令解除しろ」
「黒島くん!」
大我まで闘争心に火を付けてしまい、日和は頭を抱えるしかなかった。
「言っておくけど信ちゃんはね! お父さんから徹底的に剣術を叩きこまれてて、剣道の全国大会にも出場した事があるんだよ!?」
「こいつが強いのは分かってる。だから本気でやりてぇんだよ」
日和がなにを聞かせても、大我が臆する事はない。大我は手にしていた鞄を、公園の端に投げ捨てていた。
「それに」
勝負の前の準備運動だと、大我は腕の筋肉を伸ばす。
「男が勝負申し込まれて引き下がれるかよ」
信介から申し込まれた真剣勝負。それを無視する事など、男の大我には到底できなかった。
女の日和はなにも理解できないまま、深く溜息を吐く。
「……今だけだからね」
日和がなにを言っても、この二人は勝負を始めるだろう。そうなるとなにも手を出せない大我が一方的に蹂躙されるだけだと、日和は観念して大我の言う通りにする事にした。
「この瞬間だけ、黒島くんの喧嘩禁止令を解除する!」
命令が解除されたところで、大我の体に明白な変化は訪れない。しかし大我は妙な高揚感を覚えていた。
久し振りに人と戦えるのだ。大我は溢れる高揚感を右手に握り締める。
「……それじゃあ」
目標を信介に定めて、大我は拳を構える。
「行くぞ!」
「待てぇ!」
「!」
いざ尋常に勝負の時だと走り出そうとした瞬間、信介の中断の声が高らかに公園に響き渡った。
「なんで止めんだよ!」
「今の俺とお前とでは、フェアな勝負などできないだろう」
「フェア?」
勝負を前に生殺しにされた大我は、信介に強く抗議する。信介はそんな大我の暴言など気にも留めず、スタスタと歩みを進めた。信介の歩く先は日和だ。
すると信介は日和の側まで歩み寄ると、竹刀を地面に置いて日和に傅いた。
「日和、俺を眷属にしてくれ」
「はぁ!?」
信介の突飛な言動に、大我は堪らず声を荒げる。
「なに言ってんだよ! そんなの後で良いだろ! やるならとっとと始めようぜ!」
「馬鹿者! 眷属と一般の人間とでは、発揮できる力が明確に違う! フェアな勝負をする為、俺が眷属になる方が先だ!」
公平な勝負の為、信介はこの順序を譲れないらしい。喧しい大我を放置して、信介は日和に向き直る。
「頼む。俺は日和を守りたいんだ」
どこか吸い込まれてしまいそうな綺麗な瞳。どれだけ背が伸びても、その瞳は幼少期から一つも変わっていない。そんな二人の幼少期を思い出して、日和はまた溜息を吐いた。
「……まぁ、ちっちゃい時からの約束だしね」
日和の呟いた言葉に、信介の表情がキラキラと輝き出す。
「本当か日和! ありがとう! 本当にありがとう!」
「分かった! 分かったから落ち着いて!」
「なにを見せられてんだ俺は……」
日和の手を取って感動する信介に、日和は困惑する。そのやり取りを見せつけられた大我の目は、まるで死んだ魚の様だった。
「それじゃあ早速契約の口付けを……」
「……ん?」
信介の言葉に大我は気付く。
――これってこいつら……今からここでキスするって事か?
日和に絶対服従となってしまった不可思議な毎日。その全ての発端は、日和の唇に自分の唇を重ねてしまったあの日からだ。あの忌々しい契約を、二人は今からここで始めると言う。
「おい! お前ら、やるならどっか余所でやっ」
大我が声を上げたその時、日和は信介の右手の甲に優しく口付けしていた。
「……えっ?」
日和は唇を離して、繋いでいた信介の右手も離す。どうやらこれで、信介を眷属にする契約は完了したようだ。
「どうした? 突然慌てて」
「……いや」
――契約って唇同士じゃなくても出来るのかよ……!
自分が唇同士の口付けだっただけに誤解してしまい、大我は恥ずかしさのあまり顔を背けた。
「さて……」
契約を交わした信介は、竹刀を持ち直して立ち上がる。こちらに歩いてくる信介に、特にこれといった変化は見られない。ただ火傷する様な敵意を大我に放つばかりだ。
「これにて準備は万全だ」
「……もう待ったは許されねぇぞ」
真剣な信介の瞳に、大我も気を引き締める。張り詰めた緊張感の中、微風に当てられてブランコがゆらゆらと揺れた。
二人は火花が散る程睨み合うと、息を合わせたように走り出す。
先手を取ったのはリーチの長い信介だ。信介は右手に握った竹刀で大我の頭を狙う。大我はそれを寸前で躱し、がら空きとなった信介の腹部に右の拳を撃ちつけた。しかしそんな行動は予想の範疇とでも言うように、信介の左腕が攻撃をガードする。
信介はくるりと右回転して、再度竹刀で大我の頭を狙った。大我はそれを屈んで躱したが、その後に襲ってきた左足には対処できなかった。
後方によろめいた束の間、竹刀の先端が大我の鳩尾を襲う。
「うぐっ!」
貫かれたかの様な衝撃に、大我は思わず呻き声を上げる。手を当てて確認するが穴は空いていない。
「やっぱ強ぇな……」
大我が最初に感じていた感覚は間違っていなかった。剣道で全国大会に出場したとの事だが、型に嵌った大会でなければその実力は更に発揮されていた事だろう。
「けど」
気を取り直して、大我は信介に向かって走り出す。正面から向かってくる大我に、信介は竹刀を振るう。大我はそれを右腕で受け止めると、返しに左足で信介の頭を狙った。信介はそれを容易く躱し、後方に下がって体勢を立て直す。
その隙を狙って、大我の拳が信介の頬を撃ち抜いた。
「!」
信介の頭にキックした足が空振りしてからの右ストレート。その攻撃の切り返しは正に一瞬である。
大我は今し方信介を殴った自分の拳を見つめる。日和の命令に縛られ、人を殴るという行為自体が久し振りだった。それにより大我の脳内は、危険な量のドーパミンに侵食されていた。
「……只者ではないな」
大我の拳に口の中を切ったようで、信介は地面に血を吐き捨てる。唇に付いた血をそっと拭って、大我を冷たく睨みつけた。
互いに実力を認め合った上で、二人は再び衝突する。最早二人に言葉など必要なかった。
♡
あれからどれくらいの時間が経っただろうか。二人の息は疲弊して荒れており、首筋には汗が滴っている。互いに些細なダメージは与えているものの、決定的な一撃を与える事はできないまま勝負は拮抗していた。
乱れた息を整えて、大我は拳を握る。竹刀を手にする信介の瞳もまだ死んでいない。次こそ相手を土に伏せるべく、二人は力を振り絞って走り出した。
「ストォーップ!」
「「!?」」
そこに一人の少女の声が響き渡る。
声が耳に届いたのと同時に、二人の足はぴたりと止まる。どれだけ動かそうとしても、その足が動く事はない。魔女である日和の命令が発動したのだ。晴れて眷属となった信介の足も同様に動かないでいる。
「おい天宮! 邪魔すんじゃねぇよ!」
「日和! 俺達は今真剣に戦って!」
「二人共いい加減にして! 今何時だと思ってんの!?」
「あぁ!?」
日和に促されて、大我は公園に聳え立った時計に目を向ける。時計の針が指し示す時間は六時。良い子は家に帰らなければならない時間だ。
「やばっ!」
勝負に夢中で全く気付かなかったが、空も徐々に薄暗くなっている。夜になれば、またあの恐ろしい化け物が出没するだろう。
「早くしないと、また悪魔が襲ってくるよ!」
大我は日和の眷属となってしまった日の事を思い返す。あの日の様な追い掛けっこをするのはもう懲り懲りだ。
「逃げるぞ!」
命令を解除してもらった大我と信介は敢えなく勝負を中断し、夜が来る前にと急いで公園を飛び出した。
♡
慌てて走る帰路の途中も、日は傾き続ける。しばらく慣れてきた道程も、今日はやけに長く感じた。
大我を先頭にして、三人は結界の張られた天宮家を目指してひた走る。このまま真っ直ぐ進めば目印の赤い屋根が見えてくる筈だ。しかし、そう事は上手く動かない。大我の前に、一足早く湧いてきた黒い影がひょこっと現れた。
「ちっ! 来やがったか!」
視認できるのは一体のみ。一体だけであれば、まだなんとか対処もできるだろう。
「お前ら! ここ曲がって先に行ってろ!」
「黒島くん!?」
大我は一同の足を止めて、右の拳を握り締める。人差し指に嵌めた破魔の指輪が、夕焼けに反射して光っていた。
悪魔の標的は日和だ。ここは日和を信介に任せ、悪魔に対抗する力の秘められた指輪を装備する大我が殿を務めるのが、この場の最適解だろう。
「ほぉ……あれが悪魔か」
そんな大我の決意を打ち壊すかのように、信介はそっと前に歩き出した。
「ここは俺が相手しよう」
「はぁ!?」
悪魔に対して竹刀を構える信介に、大我は顔を歪める。
「貴様は日和を連れて先に逃げるのだ」
「なに言ってんだ! あいつには普通の攻撃が一切通用しねぇんだ! いくらお前が強くたって、あいつには手も足も」
「問題ない」
大我の声に聞く耳を持とうともしないで、信介はそう言い捨てる。悪魔をじっと見つめたまま、右手を柄、左手を弦に竹刀を持ち替えた。
「魔女の眷属の力、今ここで見せてくれる」
すると信介の握る竹刀の弦が、不思議と淡く光り出した。
「なんだ……?」
それは街を照らす日の光とは全く異なる白い光。何故か見ていると心が洗われる様な、かといって触れたら強い衝撃を与えられそうな奇妙な光だった。
「行くよ!」
光に目を奪われていた大我の手を引いて、日和は角を曲がって走り出す。
「おい天宮!」
「信ちゃんなら大丈夫!」
日和はそう言って走らせた足を止めようとしない。命令によって大我も足は止められなかったが、視線はまだ後方に向いていた。
悪魔は目の前の信介には目も暮れず、まるで引き寄せられるように日和の背中を追い掛ける。そんな悪魔に、信介は竹刀を向ける。さながらその竹刀は、どこぞのSF映画に出てくるライトセーバーの様だった。
「ふっ!」
横を通り過ぎようとした悪魔に、信介は竹刀を振るう。光を纏った竹刀は悪魔の体を両断し、空に分解させた。
「あいつ、あれを倒したのか!?」
破魔の指輪を嵌めるまで逃げる事しか出来なかったあの悪魔を、信介は自力で討伐した。竹刀の弦を纏ったあの淡い光は、一体なんなのだろうか。
「あとちょっと!」
今はそんな疑問に頭を使っている場合ではない。信介も大我達の後を追って、天宮家に急ぐ。右手に握られた竹刀に、既に光は見えなかった。
目印の赤い屋根はもうすぐそこだ。三人は踏ん張りどころだと足に鞭を打ち、扉を開けて玄関に傾れ込む。大した距離を走った訳ではない筈だが、異様に息が苦しかった。
「おかえりなさい。今日は少し遅かったわね」
扉の開いた音を聞いて、典子がリビングから顔を出す。右手には銀製のおたまが握られており、奥から和風出汁の効いた良い香りが漂ってきた。
「あら、信介くん?」
日和と大我の他に来客が居る事に気付いて、典子が名前を呼ぶ。
「典子さん! お邪魔しております!」
信介は定規の様に背筋を真っ直ぐ伸ばして、典子に返答する。声に息の乱れは一切なく、横の二人との体力差が顕著に表れていた。
「今日はどうしたの?」
「はい! 石動信介! 晴れて今日より日和の眷属となりました!」
「そうなの。それは良かったわね」
他愛もない会話が耳を擽る。膝に手を突きながら、大我は心底どうでもいいと心の中で呟いていた。
「そうだ。よかったら皆、これからご飯食べてかない?」
「はぁ!?」
「丁度肉じゃがが煮立ったとこなんだけど、かなり美味しく仕上がったのよー」
折を見て退散しようとしていた大我に、典子が待ったを掛ける。その声色を聞くに、肉じゃがの出来はかなり会心のようだ。
「いいや! 俺はこのまま帰」
「是非いただかせていただきます!」
大我の声を遮って、信介は早くも靴を脱いでリビングへと足を進める。靴を丁寧に揃えたところから、信介の真面目な人間性が垣間見えた。
「諦めて。こうなったらお母さん、なに言っても聞かないから」
大我に耳打ちするように呟くと、日和も靴を脱いでリビングに向かう。気付けば玄関には大我だけ。この家の中に自分の自由などどこにもある筈がなく、大我は全てを諦めて乱雑に靴を脱ぎ捨てた。
その日の夜、五人で囲んだ典子の自信作の肉じゃがは、確かに絶品だった。
大我以外にも眷属が欲しいと思って、信介が生まれました。
日和と同じ高校生にしようか悩んだんですけど、学校まで一緒だったら相当ウザいだろうなと思って大学生になりました。




