表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女ちゃんの仰せの儘に!  作者: 越谷さん
【第1章】魔女ちゃんの日常

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/5

【第1話】魔女ちゃんと契約の口付け

 呪いを掛けられたお姫様は、王子様との口付けによってその呪いから解放される。しかしお姫様は知らない。その時お姫様もまた、王子様に呪いを掛けているという事を。

「日和? あんまりお友達にくっつき過ぎてはダメよ」

「どうしておかあさん」

 物心もまだついていないような幼い少女に、女性が膝を屈んで声を掛ける。全てを包み込んでくれる様な優しい瞳で、黒髪を小さく二つ結びした少女の手をぎゅっと握った。

「それはね……」



 とある快晴の午前。黒島(くろしま)大我(たいが)は虫の居所が悪かった。

 大我は不良である。服巻(はらまき)高校の濃紺のブレザーは雑に羽織られており、左眉の端には痕に残った古傷。おまけに産まれついた瞳は、まるで飢えた猛獣の様な目付きをしていた。今日はその目付きが一段と悪化している。

 ――くそっ……最悪だ。

 通学路を歩くその足取りは重い。本来の登校時間はとうの昔に過ぎており、井戸端会議を嗜む近所の主婦の向ける視線は、腫れ物を見るものと同じだった。

「おい」

 聞こえた声がこちらに掛けられたものだと気付くのに、数秒のタイムラグが発生する。顔を上げるまで気付かなかったが、目の前には柄の悪い他校の不良生徒が群れを成していた。

「お前、服巻高校の黒島だよな?」

 先頭に立つドレッドヘアの男が、代表して声を上げる。175cmある大我を見下ろすドレッドヘアは、プロレスラーの様に逞しい体つきをしていた。

「この前うちの可愛い後輩共を随分可愛がってくれたようで。是非そのお返しをさせてもらおうと思ってよ……」

 群れの奥には、包帯やガーゼで傷を塞いだ負傷者が見える。負傷者はざまあみろと大我に下卑た笑みを浮かべていたが、生憎その顔を大我は覚えていなかった。

 ドレッドヘアは大きな拳をボキボキと鳴らして大我に威嚇する。ごめんなさいと頭を下げたところで、不良達の鬱憤は晴れないだろう。当然大我はその事に気付いていたし、それとは別に謝る気もなかった。

「……あのなぁ」

 ふらりと体が揺れて、黒髪の隙間から大我の瞳が覗く。そのあまりにも猟奇的な瞳に、先程までの不良達の威勢はどこへやらと吹き飛んでしまった。

「俺は今今世紀最悪に……機嫌が悪いんだよぉ!」

「ぐはぁっ!」

 大我は八つ当たりを右手に握ると、渾身のストレートをドレッドヘアの顔面にぶつけた。弾き飛ばされたドレッドヘアの巨体に、背後に立っていた不良は下敷きとなる。早くも戦闘不能となったドレッドヘアだが、このままでは引き下がれないと、残った不良達が一斉に大我へと立ち向かった。

 大我も己の憤りの儘に、襲い来る不良達を次々と薙ぎ倒す。白昼堂々と始まった住宅街の乱闘は、時計の針が正午を過ぎるまで続いた。



 服巻高校の授業は只今四時限目。生徒達の空腹がそろそろ限界に差し掛かる中、一年二組の教室では数学の授業が行われていた。

「ではこの問題の解答を……佐藤」

「へ?」

「なんだお前、眠そうな顔して。また寝てたのか」

「いやいや心外だなー先生。寝てなんかないですよ。ただ単純に分かんないだけで」

「それはそれでどうなんだ」

 能天気な生徒の返答に、教室は笑い声で溢れる。教壇に立つ教師の表情もやれやれと困ってはいたが、眼鏡の奥は楽しそうだ。

 その時、教室の後方の扉が音を立てて開かれる。

『!』

 突然の物音に、教室中の視線が後方に集まる。扉の前に立っていたのはクラスメイトの大我だ。先程の乱闘で傷を負った大我の姿に、クラスメイトの顔色がゾッと青くなる。

「おっ、おはよう黒島くん……随分と遅れての登校だね」

 大我の登校に、教師は声を上擦らせながら眼鏡を調整する。不良生徒の珍しい服巻高校では、教師すらも大我相手に慄いていた。

 教室中から向けられる畏怖の視線に、大我は目を逸らす。

「……別に。ただ忘れ物を取りに来ただけだ」

 そう言って大我は教室を歩くと、最後列に用意されている自身の席に向かった。机の中から忘れ物を鞄に戻して、用は済んだと踵を返す。やけに早足に教室の外へ出ると、また物騒に音を立てて扉を閉めた。

「……怖っ」

「なんなんだよあいつ」

「なんであいつが同じクラスなの?」

「マジ意味分かんね」

 大我が教室を出た後、教室に大我の陰口が蔓延る。その感情は恐怖だったり軽蔑だったりと人それぞれだが、総じて大我をクラスメイトとして認めるものではなかった。

「でっ、ではっ! 授業を再開するぞっ!」

 額から冷や汗を垂らした教師は、気を取り直して授業を進めようと声を裏返す。何事もなかったかのように黒板にチョークを滑らせる教師に、次第に生徒も口を塞ぎ、まるで大我の存在などなかったかの様に授業は再開した。

 しかし窓際の席に座る彼女だけは、大我の出ていった扉をじっと見つめていた。



 誰も居ない中庭に寝そべって、大我は空を見上げる。空にはいくつもの雲が浮かんでいた。雲にはそれぞれ形があり、あれは猫に似ているだとか、あれは魚に似ているだとかと子供の頃はよく考えたものだが、今の大我はそれを考える気力すらなかった。

 授業終了を報せるチャイムが鳴り、校舎から昼休憩に入った生徒の談笑が聞こえてくる。この中庭も、すぐに昼食を食べに集まった生徒達で溢れる事だろう。そんな生徒と鉢合わせないよう、大我は体を起こした。

「居たぁー!」

「!」

 不意に飛び込んできたその声に、大我は肩を弾かせる。声の聞こえた方向に目を向けて、大我は顔を顰めた。

「……またか」

 その声は、この学校で唯一大我に向けられる声。左右均等に分けられたおさげに、控えめな胸囲。小動物の様な円らな瞳を精一杯吊り上げてこちらを睨んでくる。彼女は大我のクラスメイト――天宮(あまみや)日和(ひより)だ。

「ここに居たのね黒島くん! 今日という今日は逃がさないわ!」

 日和は大きな歩幅で、校舎から中庭に座る大我の側へと歩み寄る。ローアングルからだとスカートの中が見えそうなのだが、日和はそんな事考えてすらいないだろう。

 真面目な外見からも予想がつくが、彼女は一年二組の学級委員長だ。入学初日からろくに授業を受けていない大我を見つけると、いつもこうして注意しようとやってくる。正直言って、大我は彼女の事が苦手だった。

「いい加減私達と一緒に授業受けなさい! 皆貴方のせいで困ってるのよ!」

「うるせぇな。俺がなにしてようと俺の勝手だろ」

「そんな事ない! 黒島くんも一年二組の生徒なんだから、私達と一緒に授業を受ける義務がある!」

 日和の説教を、大我は左から右に聞き流す。何度もこのやり取りを繰り返しているが、日和が諦めた事は一度もなかった。

「……その傷、また喧嘩したのね」

 腫れた左頬を見て、日和が口を溢す。もう意味などなかったが、今更大我は腕で傷を隠した。

「見せて」

「はぁ!? なにする気だよ!」

「なにって、手当てに決まってるでしょ」

 大我を見つける前に保健室から持ってきた救急箱を開けて、日和は傷の手当てを始めようとする。まずは消毒だと、消毒液をガーゼに付着させ、それを傷口に当てる。

 しかし傷口に当てる直前に、大我は日和の手を振り払った。

「やめろ! お前にそんな事される筋合いはねぇ!」

 脅迫紛いの乱暴な怒鳴り声。耳にした生徒達は離れた校舎から視線を向け、決して近寄ろうとしない。学校生活を平和に生きるべく、誰もがその行動を選んでいた。

 しかし彼女だけは違う。

「うるさい。いいから早くその傷見せて」

 日和だけは顔を歪ませて、反論を口にしていた。

 これが大我が日和を苦手とする一番の理由。彼女は大我がどれだけ凄い剣幕で罵声を浴びせても、決して怯まないのだ。中学の頃から女子供は勿論教師や不良でさえも、大我と対峙すれば足は竦み、額からは冷や汗が溢れ出していた。しかし彼女はどういう訳か、大我を前にしても平然としている。恐怖という感情を、母体に置いてきたのではないかと疑う程だ。

 ここまで強気で来られると、大我もなにも言い返せない。仕方なく頬の傷を晒し、日和に手当てしてもらった。

「これで良し」

 救急箱を閉めた日和の表情は、実に満足そうだった。

「午後の授業は出席するのよ」

「する訳ねぇだろ」

「安心して。次の授業は体育。学業の追いついてない貴方でも、思う存分楽しめるわ」

「馬鹿にしてんのか!」

 日和の無自覚な挑発に、大我は声を荒げる。全く耳を貸そうとしない大我に、日和も頬を膨らませた。

「なによ! 折角人が厚意で言ってるっていうのに!」

「それが余計なお世話だって言ってんだよ!」

「なにぃ!?」

 二人は歯を軋ませながら、互いに睨み合う。こうして大我と睨み合えるのも、この学校には日和しか居ないだろう。

 このままでは埒が明かないと、大我は一人立ち上がった。

「とにかく、俺は授業なんか受けねぇ。適当にそこら辺散歩してるよ」

「ちょっと待って!」

 日和が声を掛けても、校舎に歩き出した大我はその足を止めようとしない。聞く耳を持たないまま、どこかへと逃げられる。いつものお決まりのパターンだ。

 しかし今日の日和は覚悟が違った。

「今日という今日は逃がさないって言ったわよね……!」

 日和の瞳には熱い闘志が滾っていた。



 それからというもの、日和による大我の追走劇が始まった。例え保健室に逃げようと、屋上に逃げようと、男子更衣室に逃げようと、日和は執拗に追い掛けてくる。それはまるで犯人逮捕に奔走する警察官の様だった。それでも授業の間だけパッタリと捜索の手が止まるのは、実に優等生の日和らしい。

「待てぇー!」

 追ってくる日和から逃げるべく、大我は階段を駆け下りる。窓から差し込む陽の光はすっかりオレンジ色になり、校舎には他の生徒の影もなくなっていた。

「どんだけ追ってくんだよ! もう授業は終わったろ!」

「今日は良いの! 明日からの授業を全部受けさせる為に、これからみっちり説教させてもらうわ!」

「やってられるか!」

 廊下は走るなという学校特有の掟は守らなくていいのだろうか。とにかく日和に捕まっては、家に着くのは随分遅くなりそうだ。

「俺はあんな教室に居たくないんだよ!」

 どれだけ息を切らしても、大我との距離は縮まらない。それでも日和は諦める訳にはいかなかった。

 意を決して、階段の途中で日和は足を止める。

「それじゃあなんで! 教室に忘れ物なんてしたの!?」

「!」

 日和の言葉に大我も足を止める。その言葉は、大我の心を突くものだった。

「普段教室に来ない貴方が、自分の席に忘れ物をしたなんて! 私達の居ない間に、こっそり教室に入ってたからじゃないの!?」

「……違う」

 大我の声は先程とは違う。どこか弱そうで、闇の中を彷徨っている様な声だった。

「じゃあ私に追い掛けられてるのに学校に残ってたのはなんで!? 中学の時から不良だったのに、不良の居ないこの学校に入学したのはなんで!?」

 日和の言葉が何度も心を突く。そのどれもが大我を蝕んでいき、息も出来なくなる程苦しめていった。

「本当は学校が、好きだからじゃないの!?」

「違うって言ってんだろ!」

 遂に耐えられなかった大我が、日和の口を塞ごうと振り返って手首を掴む。

「キャッ!」

 突然伸ばされた手に、日和は思わず体勢を崩す。日和の体は、大我の立つ前方に傾いた。

「え?」

「わぁっ!」

 為す術もなく、大我を巻き添えにして二人は階段下に倒れる。

 そこで事故は起こった。

 衝撃で瞑っていた瞳を開けた大我が見たのは、眼前にまで迫った日和の瞳。間近で見ても尚きめの細かい肌に、おさげから香るシャンプーの香り。そして唇に感じる謎の感触。妙に柔らかい感触の正体は、日和の目と鼻の位置から推理すれば明白だ。


 大我と日和は、階段下でキスをしてしまったのだ。


「なにすんだよ!」

 逸早く事態を把握した大我は、体の上に倒れる日和を慌てて引き離す。事故とはいえ、まさかあの苦手な学級委員長とキスしてしまうとは。

「あっ、あぁっ……」

 日和は言葉にならない声を漏らし、唇に手を当てておどおどしている。外見通り、この手の事には慣れていないようだ。

「あー……もしかして初めてだったか? 悪かったな。その……急に手なんか出して」

 自分の非を認めて、大我は謝罪する。感情に任せて、つい女子に手を上げてしまった。頭を下げる大我だったが、日和からの返事は聞こえない。

「どっ、どうしよう……。気を付けてたのに……これじゃあ」

 日和の顔色は火照って赤くなるどころか、どこか青白く染まっていた。余程大我とのキスが嫌だったのだろうか。そう思うのも無理はないが、大我はどこか不服そうに顔を顰める。

「安心しろ。こんな事故、数に入れなくたっていい。俺達はなにもなかった。お互い忘れて、それでおしまい」

 そう口にしながら、大我は立ち上がった。

「そんじゃ、今日はもう良いだろ」

「ちょっ」

 鞄を持って昇降口から出ようと、大我は歩き出す。そんな大我を止めようと、日和は声を上げた。

()()()()()()()!」

 瞬間、大我の足は硬直する。

「……ん?」

 一歩前に踏み出そうとしても、右足も左足もその場を動かない。どれだけ動かそうとしても、頑なに。まるで下半身がコンクリートに沈められてしまったかの様だ。

「なっ、なんだこれ!?」

 謎の金縛りに大我は困惑する。就寝中に襲われる事はあっても、今は目が覚めている。

 ふと視線を感じ、大我は首を回して振り返った。涙ぐんだ日和の瞳が、じっとこちらを見つめている。

「……話がある」

 そう告げた日和の表情は、なにか事情を知っているようだった。



 日の落ちる一年二組の教室。そこで聞かされた日和の話は、あまりに突飛なものだった。

「魔女!?」

「うるさい!」

 大声を上げた大我を、日和が叱責する。叱られはしたものの、大我からすれば声が大きくなるのも仕方ない事だった。

「だってお前! 実は自分は魔女だとか言われてもな!」

 魔女とは火の玉を自在に操ったり、箒に跨って空を飛んだりする魔法の使い手。ファンタジー作品によく登場するキャラクターだ。実は私がその魔女と告白されても、どこかで頭を打ったのかと疑うしかない。

「私の家は代々魔女の家系なの。今までは力が解放されてなかったから普通の人となにも変わんなかったんだけど、その……さっきので力が解放されちゃって」

「さっきのって?」

 あやふやに口籠った日和に、大我が追及する。すると日和は頬を薄く赤らめ、恥ずかしそうに人差し指を突き合わせていた。

「その……キス、で……」

 キスと口にするのも恥じらう程、彼女は純粋らしい。

「相手に口付けして眷属にする事で、初めて力が解放されるの! 今まで誰ともキスしないように気を付けてたのに、まさかこんな事になるなんて!」

 一生の不覚だと、日和は頭を抱える。力説する日和だったが、どれも信憑性に欠ける話ばかりだ。

「……その、眷属ってのはなんだ?」

 疑惑の目を向けつつも、大我は一旦話を進める。

「口付けされた相手は魔女と契約し、絶対服従の眷属になるの」

「絶対服従!?」

 聞こえてきた不穏な単語に、大我は声を荒げた。

「ふざけんな! そんなの付き合ってられるかよ! 大体魔法なんてそんな不可思議な話信じられる訳」

()()

 日和が口にした途端、大我は座っていた椅子から姿勢良く立ち上がる。

 捲し立てていた大我の舌が止まる。勿論大我が立ち上がったのは、自分の意思によるものではなかった。

()()()()()()()()()()()

 大我はその場でぐるぐるぐると三回回ると、両手を丸めて顔の近くに持ってきた。

「わん。なにさせんだテメェ!」

 突然命令された羞恥プレイに、大我は顔を赤くして机を強く叩く。顔を合わせる日和は至って平然だ。

「どう? これで信じてくれた?」

「信じる! 信じるから二度とこんな命令するな!」

 こんな事を強要されては、信じたくなくとも信じる他ない。

「くそっ、それじゃあとっととその契約とやらを解いてくれよ」

 どっと息を吐きながら、大我は改めて椅子に腰を下ろす。しかしどういう訳か、日和の声は一向に返ってこなかった。

「ん? どうした?」

「そっ、そのぉ……」

 目を向けると、日和は分が悪そうに体を悶えさせている。

「眷属は一度契約すると、二度と解除できなくて……」

「はぁ!?」

 日和の信じ難い告白に、大我は今度は自分の意思で立ち上がった。

「なんだって!? じゃあ俺は一生お前の命令に従うしかねぇのか!?」

「うぅっ! ごめんなさい!」

「冗談じゃねぇ! なにしてくれてんだよ!」

 間合いを詰めて抗議してくる大我に、日和は泣いて謝るだけ。泣きたいのはこっちだと、大我は叫んでやりたかった。

「そうだ! もう一回キスしたら契約も解けんじゃねぇのか!?」

「ちょっ! なにする気!?」

「いいから一回試させろ!」

 そう言って大我は日和の肩を掴み、自分の唇を日和の唇に近寄せる。

「キャーッ! ()()()ー!」

 瞬間大我の体は磁石に弾かれた様に、後方のロッカーへと弾き飛ばされた。衝撃でロッカーに仕舞われていた誰かの荷物が、ぼとぼとと大我に雪崩れ落ちる。日和の命令は、時に物理学すらも無視するようだ。

「わっ! ごめんなさい!」

「テメェ……マジで覚えとけよ……」

 教室の後方で倒れる大我に、日和は深く頭を下げる。今の大我には日和になにも出来ないのが現状で、大我は行き場のない憤りを募らせるばかりだった。

「とっ、とにかくまずはお母さんに相談しないと……」

 そう呟いて日和は気付く。そういえば今日の授業が終了してから、既にしばらくの時間が経過しているという事に。

「!」

 慌てて窓に目を向けると、空の色は知らぬ間に夜に染まっていた。

「いけない……!」

 大我を前にしても崩れなかった表情が、今は引きつっている。なんとか起き上がった大我には、なんの事だかさっぱりだった。

「逃げるわよ!」

「はぁ? 逃げるってなにから」

「いいから早く!」

 緊迫した様子の日和だが、大我は訳も分からず首を傾げている。

 すると視界の隅に、なにかが映ったような気がした。

「!」

 振り返って確認しても、開けっ放しの教室の外にはなにも居ない。否、姿形は見えないのに、なにかの影だけはそこに確かに存在した。

「なんだ……?」

「来た……!」

 影は空中を彷徨いながら、教室の中に侵入する。その数は一体ではない。一体という数え方で合っているかはさておき、影は複数体存在した。そこに意志などは感じられないが、進行方向だけは分かる。影の進む先は、何故か日和だ。

「キャッ!」

 一体の影が口らしきものを大きく開けながら、日和に襲い掛かる。その影に、大我は右の拳を強く殴りつけた。

「黒島くん!」

「なんなんだよこいつら!」

 間違いなく大我は影を攻撃した。しかしそこに手応えはなく、影は空中を漂うばかりだった。

「なっ……効いてない!?」

 謎が謎を呼ぶ影に、大我の頭は混乱する。

()()()()()()()()!」

「なんだよ急にってうわっ!」

 日和が大我の手を取って命令すると、大我の足は勝手に教室の外へと走り出した。手を引かれて逃げる日和に、影はふらふらと追跡する。まるで餌に釣られてやってくる魚の様だ。

「おい! あいつらは一体なんなんだ!」

 事情を知っているだろう日和に、大我は振り返って問い詰める。

「あれは悪魔よ!」

「悪魔!?」

「夜になると魔女の力を狙って襲ってくるの! 今までは力が解放されてなかったから大丈夫だったけど、今は……」

 悪魔とは、またファンタジー作品に出てくるような名前だ。しかし襲ってくる影を見ると、確かに悪魔と称するに相応しい。

 大我は正面に向き直って、校舎を奔走する。攻撃が効かないのであれば、今は逃げる他手段がない。

「くそが……!」

 面倒な事になったと、大我はすぐに帰らなかった数時間前の自分を強く恨んだ。



 学校を跳び出して住宅街に紛れても、悪魔は容赦なく追い掛けてくる。家路についた街の人々は、全力疾走で通り過ぎていく大我と日和に訝し気な視線を送っていた。

「なんで他の奴らはあれに気付かねぇんだよ!」

 人々は大我達に目を向けるだけで、悪魔には一切目も暮れない。目の前を通過しても、声の一つも上げはしなかった。

「悪魔は魔女とその眷属にしか見えないの! 貴方も今まで見えた事なかったでしょ!?」

「そんじゃあこいつらは元々俺達の側に居たって訳かよ……!」

 今までの何気ない生活の側に悪魔が紛れ込んでいたと考えると、大我の背筋はゾッと凍った。

「あっ! ()()()()()()()!」

「うわっ!」

 突然進路変更の命令が下り、大我は急カーブする。

「急に命令するな! 大体今どこに向かって」

「着いた!」

「はぁ!?」

 日和が報せた到着のアナウンスに、大我は視線を向ける。

 赤い屋根のバルコニー付き二階建て住宅。なんて事ない普通の一軒家だ。目を凝らせば表札に『天宮』の名前が彫ってある。

()()()()()()!」

 言われるが儘に大我は敷地内に足を踏み入れ、ノックもせずにドアノブを掴む。扉を開けて日和と共に中に入ると、悪魔が入り込む前に急いで扉を閉めた。

「「……はぁ」」

 ようやく訪れた安息に、二人は揃って深い息を吐く。教室からここまで一度も止まらずに走り続けたのだ。もう足に力など入る気がしなかった。

「おかえりー。遅かったわねー」

 扉の音に気付いて、家の奥から誰かが玄関に姿を見せた。日和と同じ髪色の長髪をゆったりと結んでおり、聖典に載っている様な優しい表情をしている。夕食の用意をしていたのか、エプロンで両手に付いた水を拭っていた。

「あら、お客さん?」

 初対面である大我を目にして、女性は首を傾げる。緊急事態とはいえ人の家に上がってしまった訳だが、大我に緊張は一切なかった。

「どうしようお母さん。私、力が解けちゃって……」

 日和はなにから話せばいいものかと、動揺でしどろもどろする。『力が解けた』という言葉の意味は、日和の母親であろう彼女にも理解できた。

「まぁ、という事は……」

「彼氏?」

 そう言ったのは、女性の背後から顔を出した小学校高学年くらいの少年だった。

「「違う!」」

 大我と日和が声を揃えて否定するも、少年は手元のゲーム機に夢中である。そのやり取りがおかしくて、女性は小さく微笑んだ。

「まぁ、取り敢えず上がっていって」

 いつまでも客人を玄関に立たせる訳にはいかないと、女性は大我をリビングへと案内した。



 薄型テレビに柄物のカーペット、丸型ローテーブルに座り心地の良さそうなソファー。三百六十度どこを見回しても一般的なリビングだ。まさかこの家に住んでいるのが魔女だなんて、誰も夢にも思わないだろう。

 リビングに案内された大我は、言われるが儘にカーペットに胡坐を掻いていた。周囲に目を回していると、とある部分に目が止まる。

 紫色の布が敷かれた寝床。そこでは小さな黒猫が、丸くなった状態で尻尾を揺らしていた。大我の視線に気付いたのか、黒猫がくるりとこちらに目を向ける。その人を小馬鹿にしたような瞳に、大我は直感的に苦手意識を覚えた。

「そう……力が解けたのね」

 日和からここまでの経緯を聞き、日和の母親――典子(のりこ)は頷く。

「安心して。この家には結界が張ってあるから、窓でも開いてない限り悪魔は入ってこられないわよ」

 典子の言葉を聞いて、大我はほっと胸を撫で下ろす。扉の隙間から悪魔が侵入しないだろうかと、内心冷や冷やしていたところだ。

 大我達と向かい合わせに座った典子は、自分の用意した粗茶をそっと口にした。

「……それで」

 気を改めてと、典子は尋ねる。

「二人はどこまで進んだのかしら?」

 典子の質問に、二人は酷く赤面した。

「ちょっとお母さん! だから違うって言ったでしょ!? あれは事故で!」

「そうだ! アンタの娘が勝手に俺にキスしてきたんだ!」

「ちょっと! その言い方は語弊があるでしょ!?」

「成程。今はまだそういう関係なのね」

「今はとかじゃない!」

 誤解を解こうと狼狽する二人に、典子は微笑むばかり。その微笑の裏で一体なにを考えているのか、大我は一向に読めなかった。

「……黒島くん」

 不意に名前を呼ばれて、大我は顔を上げる。

「ごめんなさいね。私達の問題に巻き込んでしまって」

 典子はそう言って、大我に頭を下げた。自分の失敗により母親に頭を下げさせてしまった罪悪感から、日和は目を逸らす。

「……全くだ」

 謝罪を前にして、大我は口を溢した。

「今日は朝から気分最悪で、気付いたらこんな訳の分かんねぇもんにまで巻き込まれて。せめてあの悪魔とかいう化け物を一発ぶん殴ってやりたいぜ」

 登校中に不良に絡まれ、教室でクラスメイトから冷たい視線を浴び、隣の学級委員長には散々追い掛け回された挙句、キスの魔法によって絶対服従の眷属にされた。こんな災難がたった一日で起こっていいものなのか。なにかにこの理不尽をぶつけないと、やっていられなかった。

「あら、それならぶん殴れるわよ」

「えっ?」

 大我の要望を聞いて、典子は答える。

「いやでも、あいつら攻撃が効かなくて」

 立ち上がった典子は、大我の声も聞き流してどこかへ出向いてしまう。大我の言う通り、悪魔は大我の拳を受ける事なく、するりと通り抜けてしまった。まるで実体のない幻。そんな化け物を殴る手段があるとは、到底思えなかった。

 戻ってきた典子の手には、小さな箱が握られていた。中を開けると、銀色に輝く雅な指輪が眠っている。

「……これは」

「破魔の指輪よ」

 名前を聞いても、聞き覚えは全くない。

「この指輪には悪魔に対抗する力が込められていて、これを嵌めた状態で攻撃すると、悪魔を打ち倒す事が出来るの」

「!」

 幻の様な悪魔を倒せるとは、またしても信じ難い話だ。元を辿れば悪魔という存在自体、数時間前まで信じられなかったのだが。

「って事はこれがあれば!」

 瞬間家の中で、なにかが倒れるような轟音が響く。

「!」

「なに!?」

「マズいよお母さん」

 そう淡々と口を開いたのは、自室に戻ってゲームをしていた筈の日和の弟――利空(りく)だった。

「利空!」

「二階のベランダ、開いてたみたいだよ」

 典子の話では、窓が開いていない限り悪魔は家に入ってこない筈だ。ベランダが開いていたとなると、話はかなり変わってくる。

 利空の背後から、ふらりと黒い影が現れる。見違える筈ない、悪魔だ。

「出た!」

 見たところ、侵入したのは一体だけのようだ。無論標的は日和で、彷徨うようにしてリビングへと入ってくる。

「キャッ!」

 家の中では大して逃げ場もない。かといって外に出ようものなら、そこは悪魔の袋小路だろう。

「くっ!」

 大我は覚悟を決めると、典子の持っていた箱を奪い取る。

「これ借りるぞ!」

 箱から指輪を取り出した大我は、そのまま指輪を右の人差し指に嵌めた。不思議な力が目覚める訳でも、力が漲る訳でもない。ただ右手に銀色の指輪が飾られただけだ。

 大我は日和の前に立ち塞がって、悪魔と対峙する。悪魔はこちらの覚悟など気にも留めない様子で、口を大きく開けて襲ってきた。そんな様子が気に食わず、大我は憤りを右の拳に握る。

「おらぁぁぁ!」

 大我は大きく振りかぶって、渾身の右ストレートを悪魔にぶつける。温度のない粘土を殴っている様な妙な感触。その感触は確かに悪魔のものだった。

 悪魔は指輪の触れた部分から徐々に白く光り出し、光の粒子となって消えていく。どこかの物語から引用するなら、浄化したといったところだろうか。

「倒し……た?」

 あまり実感が湧かず、大我は言葉の最後に疑問符を付ける。背後の日和はまだ足に疲労が残っているのか、カーペットから一歩も動けないでいた。

「お見事ー。黒島くん強いのねー」

「ベランダは閉めておいたよ」

 真面に口を動かせないでいる大我達を余所に、典子と利空は平然と会話する。二人は先程の緊迫した状況を分かっていなかったのだろうか。

「これだけ強い眷属が居てくれるなら、日和も安心ね」

「……は?」

 典子の言葉に、大我は耳を疑う。この一日で大我の悪い予感を察知する能力は、異常なまでに発達していた。

「日和をよろしくね。黒島くん」

 両手を合わせて、典子は大我に頼み込む。振り返った先に見えたのは、バツの悪そうな日和の顔。視線を合わせないように泳がせている日和の瞳に、大我は思い知らされた。永遠の眠りからも目を醒ましてしまう程の衝撃的な呪いを、自分は彼女に掛けられてしまったという事を。

「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 今日という日の出来事が、大我と日和の人生に多大な影響を与えたのは言うまでもない。一体これから二人の身にどんな出来事が巻き起こるのか。それはこれからのお楽しみ。

はじめましての方ははじめまして。お久し振りの方はご無沙汰しております。

越谷さんと申します。


随分昔にこちらのサイトで小説を投稿しておりまして、実に約4年振りの小説投稿となります。

趣味で小説を書き続けてはいたのですが、ネットには投稿せず、ずっと自分のパソコンで肥やしを蓄えておりました。しかし自分の中で色々転機がありまして、こうしてまたネットに小説を投稿する運びとなった次第です。


前作を書き始めた時はまだ高校生で、約5年間毎週小説を投稿しておりました。今考えると凄い。よく投稿してたな。

自分でもたまに読み返すのですが、文章とストーリー構成に稚拙さを感じて苦しくなる事があります。気に入ってるから読み返してるんですけどね。今作では少しは成長した部分をお見せできるといいのですが。


しかし今や僕も社会人。流石に毎週小説投稿は体力的にも時間的にも難しいので、章ごとに分けて投稿していこうと思います。

ひとまず第1章までは毎週小説を投稿して、また書き溜めたら第2章を順次投稿していくという流れで。第1章はほとんど書き終えておりまして、今年の春頃までは毎週小説が投稿される予定です。


今作のテーマは魔法です。

相も変わらずラブコメですが、前作と違ってバトルもあってストーリーに本筋がございます。これからどんどん面白くなっていく予定ですので、是非お楽しみください。

読んでくださった皆さんに、少しでも楽しんでいただけるような作品を目指していきます。


それでは今回はこのあたりで。ここまで読んでくださりありがとうございました。

次回から応援の程、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ