第8話 異端の聖女リア
ミランは、転生管理局の机に戻り、リュシアの残した淡く光る結晶を強く握りしめた。結晶は手のひらで微かな熱を放っている。その熱は、単なるエネルギーの残滓ではなく、リュシアが抱いた創造神への怒りと、ミランへの強いメッセージだった。
「この周波数……異常すぎる。」
彼はすぐに管理システムを起動し、結晶から発せられる波長を解析した。その結果は、ミランの神としての常識を再び覆すものだった。
転生システムの一部が、誰かの「祈り」によって激しく干渉を受けている。それは、神の領域に届くはずのない、人間から発せられる波長でありながら、神界の理を揺るがすほどの強度を持っていた。
即座に、干渉源の特定を開始する。モニターに浮かび上がったのは、見慣れない記録――リア=フィエル。
ゼフィリア北部、常冬の国アルメリアの聖女とされる少女だった。
「転生者ではない。ゼフィリアで生まれ育った、ただの人間……なのに、この波長は。」
彼女の祈りの周波数は、驚くほど純粋で、そしてミランの銀の印章が発する光の波長に、奇妙なほど似ていた。
「この祈りは、単なる信仰心ではない。まるで、僕自身の存在を、この地上に“引き寄せよう”としているようだ。」
ミランの碧い瞳が、深い戸惑いと衝撃で揺れる。彼は、根源記録庫で見た、創造神アルマの古い映像を思い出した。
――神が人の純粋な祈りに引かれれば、世界の均衡は崩れる。
神が人の祈りに「引かれる」ということは、リアの祈りが神界に届くだけでなく、神である自分が「地上に引き寄せられつつある」ということ。これは、神と人との間に存在する世界の理に反する禁忌だ。
ミランはリアの記録を深掘りする。彼女は転生者ではないが、彼女の周囲を包む光の粒子は、神の力の『原初の残滓』によく似ていた。
「異世界の人間にして、神界と通じる波……彼女は、世界の歪みを直感的に感じ取っているのか。あるいは、僕と同じ『鍵の欠片』をその身に宿している?」
ミランはすぐさま、リアの祈りを遮断しようと試みたが、彼の力ではその波長を完全に断ち切ることができなかった。創造神の分霊であるミランの存在そのものが、リアの祈りの力を無効化できず、むしろ増幅させている。そうこうしているうちに祈りの力はなんの前触れもなく消えた。
「これはいったいなんなんだ…」
その夜、ミランは深く、そしていやにリアルな夢を見た。
――場所は、ミランが常にいる白の間。しかし、そこに聖女リア=フィエルが立っている。
真っ白な空間に立つ、金髪碧眼の青年。それは、鏡写しの彼自身だった。リアは驚く様子もなく、静かに組まれた手を胸元に置いていた。
『君は……僕の姿が、見えるのか?』
『ええ。でも、あなたは……神様?』
彼女の瞳には、ミランへの畏れよりも、深い優しさと、何かを労わるような温かさが宿っていた。それは、ミランが転生者たちから向けられたことのない、純粋な慈愛だった。
『神、というには未熟だよ。僕はただの“魂の案内人”だ』
ミランがそう返すと、リアはわずかに顔を曇らせた。
「でも、あなたが苦しそうだったから。ずっと、ずっと……孤独で、出口のない場所に閉じ込められているように見えたから。」
リアの言葉が、ミランの心臓を、肉体を持たないはずの魂の核を、鋭く射抜いた。
神に「孤独」などあるはずがない。彼は感情を持つようには創られていない。けれど、彼は確かに孤独だった。三百年の間、ただ一人、偽りの希望を送り出し続けるという虚しい作業の中で。
『僕が……君に会いたいと、心の底で願っているのかもしれない。』
ミランは無意識に、本音を漏らした。それは、「機能」であるミランではない、ただの「ミラン」自身の初めての願いだった。
そう呟いた瞬間、空間が軋んだ。夢の中の白い世界に黒い裂け目が走り、光が乱反射する。ミランとリアの距離が、一気に引き寄せられる。
ミランは夢の中で、世界の理の崩壊を直感的に悟った。
このままでは、「神界とゼフィリアの境界」が崩壊する。創造神アルマが恐れた世界の歪みの、最も危険な形だ。
――これは、転生ではない。神と人との「融合」だ。
ミランは初めて、恐れという感情を知った。それは、システムの崩壊への恐れではなく、ミラン自身が、「人として、この世界に落ちていく」ことへの、抗いがたい予感だった。
彼は目覚めた。周囲は静かな白の間。しかし、心臓は激しく高鳴っていた。
リア=フィエル。彼女の存在は、創造神の作ったすべての理を破壊する。そして、ミランが「神」であることを終わらせる、最後の扉なのだと。




