第2話 百人目の魂
白い空間に、微かな風が流れた。
本来、この場所に風など吹くはずがない。風というものは概念として存在しないのだから。
だが、その瞬間、僕は確かに風を感じたのだ。
――何かが違う。いつもの転生とは違う。
机の向こうに、光の粒が集まり、人の形を成していく。
いままでの魂よりも、輪郭がはっきりしていた。その存在はまるで「まだ終わっていない」と言わんばかりの強い意志を放っていた。
「……ここは、どこだ?」
低く、落ち着いた声。魂とは思えないほど、意識が明瞭だ。
「ようこそ、ゼフィリアへ。驚かせてしまいましたね。僕の名前はミラン。あなたの新しい生き方を案内する者です。神と名乗った方が分かりやすいですかね。」
いつものように丁寧に告げるが、内心はざわついていた。
「案内? 転生ってやつか?」
彼は目を細め、まっすぐ僕を見つめた。魂のくせに目があるのだ。
「……ええ、あなたの魂は地球での生を終え、次の世界――ゼフィリアへ導かれます。」
「ゼフィリア……。そこに、俺の家族はいるのか?」
僕は思わず息を飲む。魂が“家族”を口にすることは滅多にない。この場所に来るころには、たいていの記憶は薄れ、または消えているのだから。
「覚えているんですか?」
「忘れるはずがない。俺にはまだ、やらなきゃならないことがある。」
その言葉に、胸の奥で何かが弾けた。転生とは、過去を捨て、新しい始まりを受け入れる儀式。だが、彼の魂はまだ過去に**“未練”**を残していた。
「お名前をお伺いしても?」
「……藤堂タクト。」
地球の名だ。魂に名などない。僕は書類の上にペンを走らせながら、そっと問いかける。
「あなたの魂は非常に強い。普通の魂はここに来るまでに記憶をほとんどなくしているんですけどね。」
「俺は名前も、家族の記憶も全部あるぞ。元の場所に返してくれ。」
「申し訳ありません。あなたは地球で死んだのです。」
「そうだ。そうだったな。分かっている。言ってみただけだ。」
「ほんとに申し訳ありません。」
「いい。わかってる。」
彼は僕の言葉を遮り、静かに笑った。
「でも、不思議だな。あんたの顔、見てると少し安心する。初めて会ったはずなのにな。」
……そんなことを言われたのは、初めてだった。転生者は、僕を“神”としてではなく“案内人”として受け止める。だが、彼の目は僕を“人間”として見ていた。
僕は小さく息を整え、転生の門を描く。
だが、その光が現れる瞬間――タクトの魂が微かに揺らいだ。
「ミラン。あんたは、どうしてこの仕事をしてる?」
「どうして……?」
思わず手が止まる。誰も僕に、そんなことを尋ねたことはなかった。
「神だから、でしょうか。」
「違うな。」
タクトは笑った。
「“そうするように言われた”って顔してる。」
胸の奥がざわつく。確かに、僕はそう教えられてきた。
“あなたは転生を司る神だ。迷える魂を導きなさい”と。
それ以上を、考えたことはなかった。
門の光が静かに揺らめく。タクトの魂が、その縁に立つ。
「なあ、ミラン。あんた、本当に神様なのか?」
その問いに答えられなかった。ただ、その言葉が消えるより早く、光が彼を包み込んだ。
――次の瞬間、白の間には僕ひとりだけが残っていた。
静寂。そして、心臓の奥で響く鼓動。
タクトの最後の言葉が、いつまでも耳に残っていた。
『あんた、本当に神様なのか?』
その問いは、僕の中に深く刺さり、抜けることはなかった。




