第11話 魂の追跡者と神聖領の囚人
「……ミラン。――ただの、ミランです」
その声は、雪解け水のように澄んでいた。
女性騎士は、わずかに眉を動かす。瞳の奥に探るような光が走ったが、すぐに氷のような冷徹さへと戻った。
「妙だな……その名。どこかで聞いた気がする」
彼女は兵士たちに弓を構えさせたまま、一歩、ミランの目前へと歩み寄る。
淡い青の髪が揺れ、その視線が、ミランの碧い瞳の奥を射抜いた。
その瞬間、ミランは確信した。
《根源記録庫》で見た幻影、そして手のひらに残っていた、あの結晶の熱――それと同じ魂の気配が、彼女から伝わってくる。
「……あなたは」
ミランは、息を詰めながら口を開いた。
「リュシア、なのですか?」
風が止んだ。
草原のざわめきも、兵士たちの呼吸も、すべてが一瞬だけ遠のく。
女性騎士――リュシアの瞳が、驚愕と激しい怒りに染まり、強い金色の光を宿す。
「……どうして」
剣を握る手に、力が籠もる。
「どうして、私の名を知っている?」
ミランは答えられなかった。
ただ、神界で消えたはずの魂が、こうして別の人生を生き、再び自分の前に立っているという、運命の皮肉を噛みしめるしかなかった。
――リュシアの魂は、ゼフィリアで別の存在として蘇っていた。
しかも一市民ではない。この国の騎士団を率いる、剣の象徴として。
彼女は、ミランの足元に残る黒い痕跡へと冷たい視線を落とす。
「その魔の痕跡……転生者が無念のまま死んだときに残す残滓だ」
視線が再び、ミランへ突き刺さる。
「貴様も転生者か?
それとも、それを操る術者か?」
ミランは一度、深く息を吸い、静かに答えた。
「私は……神界から来ました」
兵士たちの気配が、一斉に強張る。
「あなたを、そして多くの魂を、ゼフィリアへ導いた者です」
リュシアは、嘲るように口角を歪めた。
「神? 導いた?」
冷笑が、吐き捨てられる。
「くだらない」
彼女は腰の剣を抜き放ち、その切っ先をミランの喉元へ向ける。
刃は微動だにせず、確実に命を捉える位置で止まっていた。
ミランは、一歩も退かない。
抵抗する意思を、完全に手放していた。
「神々は、この世界を見捨てた」
リュシアの声は低く、怒りを孕んでいる。
「私が信じるのは、目の前の仲間と、自分の力で生きる人間だけだ」
剣先が、肌に触れる寸前で止まる。
「あんたたちがやったことは、救済じゃない。転生者たちは皆、不幸の果てに死に、魂は世界に欠けを残して消えた」
その言葉は、刃よりも鋭かった。
「――救済という名の、新たな地獄だった」
ミランは、静かに目を閉じる。
それは、《根源記録庫》で見た魂の欠けの真実を、生きる者の言葉で突きつけられる瞬間だった。
「……申し訳ない」
声は震えなかった。
「僕たちは、真実を知らぬまま、君たちを苦しめていた」
剣が、ゆっくりと引かれる。
リュシアは一瞬、言葉を失った。
憎悪を向ける相手が、逃げも弁明もせず、すべてを受け入れたことに、動揺が走る。
「謝罪など、いらない」
だが、彼女は問いを投げた。
「お前の目的は何だ?
なぜ神の身分を捨て、この呪われた世界に降りてきた?」
ミランは、正面から彼女を見つめ返した。
その碧い瞳に、もはや神の冷光はない。あるのは、贖罪と決意だけだった。
「この世界の真実を知り、転生という名の呪いを終わらせるためです」
そして、はっきりと告げる。
「もう二度と、君たちに――この世界に、苦しみを与えないために」
沈黙が落ちる。
その言葉は、リュシア自身が抱いてきた願いと、確かに響き合っていた。
だが、信じるには、あまりにも過去が重すぎる。
彼女は感情を押し殺し、騎士の顔に戻る。
「捕縛しろ」
短い命令だった。
「王都へ連行する。監視下に置け。身分と目的が明らかになるまで、自由は与えるな」
兵士たちがミランを囲む。
ミランは、抵抗することなく、その成り行きを受け入れた。
そして、ほんのわずかに微笑む。
「これで、君たちの世界の中心に辿り着ける」
低く、しかし確かに届く声で。
「……ありがとう、リュシア」
彼女は一瞬だけ、動きを止めた。
過去の記憶が、胸の奥で微かに疼いたのかもしれない。
だが、すぐに顔を背ける。
こうして、神から人となったミランは、かつて救済を約束して送り出した転生者の手によって、神聖領の囚人となった。
皮肉な運命は、彼の新しい旅の始まりを、最も過酷な形で告げていた。




