十
『米軍機の八割がたを撃墜。現在、米編隊は母艦に向けて引き返しています』
沢口の声がスピーカーの向こうから聞こえた。その口調には震えがあった。沢口は、いつもは氷よりも冷めている人間であったが、この状況ではそれも消えていた。
黒沢は目を伏せたまま、艦長席に腰を下ろしている。その両肩は、真っ先に攻撃を始めた責任を背負うつもりらしい。
彼の下した命令は独断専行であったが、結果的には良い方に転んだのだ。
「副長、米編隊を撃退できてよかったですね。来るままに任せていたら今頃海の藻屑でしたよね」
話しかけてきたのは航海科の津田二尉だった。彼は、暴れん坊の川村が長を務める航海科の中では毛色の違う人間だった。どちらかと言えば他の科員は粗暴な感じで、漢という字をそのまま人間にしたような姿だったが、彼はどこぞの貴公子かと問いたくなるような優男だった。ゆえに、女性に不自由はしたことが無いらしい。同じ軍人としてうらやましい限りだ。
「だが、一概にはそうとは行かんぞ。前代未聞の兵器が襲ってきたと残存機が報告すれば、我々に対する関心が高まる。それに、旧日本軍を助けたことになるのだから、協力を要請されるかもしれんしな」
相間の返答に、津田は微笑みながら頷いた。髪を肩口くらいまで伸ばせば、十分女として通じるような笑みだった。
「自分たちに対する日本軍の要求を飲んでしまえば、燃料や食糧は確保できるのでは?」
再始動を果たした機関を使いながら波を切っている長門に吹き付けた風が、窓にぶつかり音をたてる。耳に響く嫌な音に、相間は津田に言い返そうとした口を閉じた。
確かに彼の言うとおりである。だとしても、我々はどうしてここに現れたのだろうか。黒沢は有無を言わずに米軍への攻撃を命じたが、本当は米軍は我々の敵なのだろうか。そして、今の日本は我々を受け入れてくれるのだろうか。
しかし、それは自分の考えることではなかった。相間の行きついた結論を肯定するように、後ろの方で電話が鳴った。
「艦長、秋山司令からお電話です」
その声に呼ばれて、黒沢は席から立ち上がった。津田との会話は聞こえていたらしく、こちらを一瞥した後、受話器の方へ向かった。
おそらく会議か何かを招集するための電話だろう。もし、内容がまともなものであれば、黒沢の責任問題とこれからの方針が話し合われるはずだ。
津田も自分と同じように受話器で受け答えをする艦長の方へ視線を向けていた。
その時、不意に黒沢が声のトーンを上げた。
「分かりました。指令のご指示があるまで、艦の指揮は副長の相間二佐に任せます。・・・はい、会議の出席も相間に行かせます。では、失礼します」
わざとらしく大きな声を出したのは相間へのあてつけではない。そのことは再び艦長席に腰を下ろした黒沢の言葉から分かった。
「相間、津田。お前たちを足して二で割った意見が私の考えにもっとも近い。指揮権を一時凍結された私に変わり、秋山司令たちを説得してくれ」
それに艦橋内はざわめいたが、すぐに黒沢が鎮めた。
「これより、本艦の指揮権は一時的に副長に移る。しかし、本艦の行ったことは間違ってはおらん。ゆえに、副長の出す指揮にしっかりと従え」
その言葉に艦橋にいる乗員は一斉に返事を返した。相間は大変なことになったと、隠れてため息をついた。