第四話 エドガン領
私はダロワ殿の背に、父上さまとノウル兄上さまはワイバーンに騎乗して帝国最南端のエドガン領、旧エドガン王国を訪れました。もちろん速度はワイバーンに合わせての飛行です。
この地は王族の身分を剥奪されて侯爵となったサミュエル・トマス・エドガンが、事実上の総領主として治めております。そんな彼はエドガン城の玉座に座った父上さまを、苦虫を噛み潰したような表情で見上げておりました。
サミュエルは現在三十七歳。あの戦の前年に王位を継承したばかりで、これからという時に無条件降伏させられたのですからそれも無理からぬことでしょう。ですが父上さまを恨むのはお門違いです。
むしろエドガン家が取り潰されなかったことを感謝すべきなのです。恨むならエリック元ジルギスタン国王を恨みなさい。そして彼に従った己の浅慮を恥じるとよろしいですわ。
なお、玉座の両側には私とノウル兄上さまが立ち、ダロワ殿とワイバーン騎兵も護衛として壇上で控えております。
「サミュエル殿、勅使から話は聞いているな?」
「此度は我が領に対する多大な配慮、感謝する」
「貴様! 皇帝陛下に向かってその物言いは無礼だぞ!」
「構わんノウル」
「ですが……」
父上さまはノウル兄上さまを一睨みすると、すぐにサミュエルに視線を戻されました。
「して、準備の方はどうだ?」
「およそ十日もあればご所望の網の制作、漁師の手配も整うだろう」
「大儀である」
「ライオネル皇帝陛下、一つ聞いてもよろしいか?」
「許す。申してみよ」
「黒竜のことだ」
「黒竜がどうかしたのか?」
「あれが我が領内で暴れるということはないのか?」
「ない、と断言しよう」
「そうか……」
「ただし!」
「ん?」
「敵意を向ければその限りではないと知るがよい」
「敵意だと?」
「黒竜殿は人の心が読めるでな。そのこと、努々忘れるでないぞ」
「まさかそんなこと……」
もう少し脅しておきましょうか。
「サミュエル殿」
「シャネリア殿下か、なにかな?」
「以前私の邸に侵入を試みた賊がおりました」
「賊が?」
「ですがダロワ殿、この度私が乗ってきた黒竜に見つかり、ヒョムラピオ山の頂上に捨てられる羽目となったのです」
「ヒョムラピオ山の……頂上……?」
「そんなことがあったのか!?」
「申し訳ありません、陛下。お話ししておりませんでした」
「よい。それよりシャネリア、其方は無事だったのだろうな?」
「ご覧の通りです。ご心配には及びませんわ。私も後から聞いたほどでしたから」
「そうか。ヴァスキーダロワ殿には後ほど改めて礼を申さねばなるまい」
すぐそこで聞いておられますが、サミュエル殿には彼の正体は明かしておりませんので、彼のことは護衛の騎士としか思っていないはずです。
「サミュエル殿、聞いた通り黒竜殿は広範囲を焼き尽くすばかりでなく、巨体ですが人一人だけを殺めることも造作ありません」
「なに……!」
「そして我がコートワール家、特に私に対する敵意には容赦なされませんの」
「敵意などはないが……」
「ならよろしいのですけど、間違っても妙な気を起こさないことですわよ」
「フン!」
不遜な態度を続けた元国王の青ざめた様子は爽快でしたわね。ダロワ殿にお山に捨てられなければよろしいのですけど。
その後、私たちは予定していた通り漁港を訪れました。案内役は漁港一帯を領地に持つウィリアム・アゼル・バイヤージ。この方も伯爵から子爵位に降爵されましたが、サミュエルと違って毒気は感じません。
「皇帝陛下御自らお越し下さるとは、領民一同に成り代わり深く感謝申し上げます」
周囲には多くの領民たちが集まっていました。魚の輸送に携わるダロワ殿は、今後を見越して竜の姿で彼らから見える位置におられます。
そんな中、手を振っている子供の姿が見えましたので笑顔で手を振り返しますと、皆が子供を真似て大騒ぎとなってしまいました。黒竜姿のダロワ殿を恐れている者はいないようです。
父上さまも兄上さまも、さすがにこれでは手を振り返さないわけにはいきません。
「こ、これ皆の者! 無礼であるぞ!」
「ウイリアム殿、構わんよ」
「はあ……陛下、恐縮にございます」
「それだけ歓迎して下さっているのでしょう? 喜ばしい限りですわ」
父上さまも兄上さまも、笑みを浮かべて歓声に応えておいでです。
すると突然小さな女の子が、とてとてとこちらに走り寄ってきました。慌てた母親らしき女性が女の子を追いかけましたが、少女はすでに護衛兵のすぐ前まで迫っていたのです。
「無礼者!」
「おやめなさい!」
剣を抜いた兵に対し、私は怒気を含めた声を上げました。驚いた彼がこちらを振り向いた隙に、女の子は私のすぐ傍まで近寄ってきていたのです。
真っ青になって彼女を追いかけてきた母親は、兵に剣を向けられて立ち止まるしかありませんでした。
「おねえちゃん、おひめさまなの?」
「あら、どうしてそう思ったのかしら?」
私は身を屈めて女の子に目線を合わせると、微笑みながら彼女の頭を撫でました。母親を安心させる意図もあったのですが、あまり効き目はなかったようです。
「だってとってもきれいだから」
「まあ、ありがとう」
「それにすごくいいにおい!」
「うふふ」
「どうしたらおねえちゃんみたいなおひめさまになれるの?」
「お母様の言うことをよく聞いて、人の悪口を言わなければきっと素敵なお姫様になれますわよ」
「ほんとう?」
「ええ、私シャネリアが断言致しますわ」
「しゃね……」
「シャネリア、です」
「しゃねりあ……しゃねりあおひめさま!」
「さ、お母様が心配なさってます。お行きなさい」
「わかったぁ! しゃねりあおひめさま、またね!」
「ええ、またお会いしましょう」
何度もこちらを振り返って手を振る女の子を、父上さまも兄上さまも目を細めて見送っておられました。兄上さまは母親に対し、今回の件に関して決して娘を叱ってはならないと諭されたようです。
叱れば私の言葉まで、少女にとっていけないものになってしまうからとのことでした。
「あの、皇女殿下、一つ伺ってもよろしいでしょうか」
「なんでしょう、ウィリアム殿?」
「護衛兵を制した理由です。もしあの少女が刺客の類いだったら……」
「簡単なことですわ」
「簡単なこと?」
「私を害する意図があったとしたら、ダロワ殿が黙っておりませんもの」
「ダロワ……こ、黒竜が!?」
佇む黒竜に目を向けたウィリアムの顔から、血の気が引いていたのは言うまでもないでしょう。
この後私たちは漁業協同組合の応接室に通され、一通りの打ち合わせを終えると、領民たちから盛大に見送られて帰路に就くのでした。




