彼がくれた一万円札が奪った私の5つの初めて
「はいこれ……誕生日プレゼント」
桜の花びらが舞い散る、2人で並んだ下校途中。
先月高校2年生になったばかりの彼氏がくれたのは、お年玉袋に入った1万円札だった……
私は、あまりの事に頭が真っ白になってしまった。
アナタは今、どこにいますか。
1年間付き合ってきて、あんなに楽しかった日々を送ったアナタは、どこにいますか。
大好きなアナタは、こんな悲しいプレゼントをよこす人だったの?
時間にしてみれば、ほんの数秒だったのだろう。
彼氏は、私が何を考えているのかわかったように、いつものような微笑みを見せる。
「ビックリしただろ?
いっつも金がない俺が、1万円も渡すなんてさ。
結構悩んだんだぜ?」
それは私に、1万円も渡す価値があるかどうか、で悩んだの?
1万円減る自分の財布の中身の心配?
1万円渡したことで、私の初めてを買えるかどうか、という事なの?
ナニに悩んだのよ、この彼氏だった男は。
プレゼントに欲しかったのは、こんな無機質な冷たい紙じゃない。
私は気がつけば、汚い雑巾でも持つかのように、2本の指でその袋をつまんでいた。
「そう……ありがとう。
じゃあ、コレは自由に使っていいのね?」
「そりゃあまぁ……もうお前のモノだからな。
何を買ったのか、ってのは見せて欲しいけど」
報告義務までついていたの……
そんなモノを押し付けられて、嬉しいと思うの?
嫌だ……いやだ……っ!
急に私は、その男の全てが嫌になった。
この心の汚い男を、今すぐ消してしまいたい。
そんな男に押し付けられた、契約書のような紙も。
もう1秒だって持っていられない。
ひゅるりと吹いた春風と共に、私は一万円札と袋を手放した。
まるで誰かが掴んで走り出したかのように、勢いよく飛び去っていった。
「ちょ、お前なにやってんだよ!」
男は下水に押し流されるかのように、慌てて走り出した。
なんて心がスッとするんだろう。
「ウフフ……うふふ……あははははは!」
私は自身の中にある、穢れてしまった思い出を押し出すように、冷たい涙を流し続けた。
こんなに気持ちがいいのは初めてだった。
こんなに悲しいのも初めてだった。
私の最初の彼氏が、アナタのような汚い男でよかった。
ありがとう、感謝してもしきれない。
2度と顔も言葉も見せないでと思えるほど、初めて人を嫌いになれた。
さようなら、私の初めてを3つも奪った人。
私は1人、駅へと歩く。
せっかくスッキリしたのに、なにをしに来たのだろう『コレ』は。
もう見ないで済むと思って1人で電車を待っていたのに。
「ハァ……ハァ……
お前なぁ、すげぇ一生懸命走ったんだぞ。
俺を置いて駅に行くってひどすぎねーか?」
酷いのはどちらだと言うのだ。
穢らわしい気持ちを投げつける方ではないだろうか。
ソレは無造作に私の手を掴み、汚れた紙切れと袋を押し付けた。
「ほら、もう落とすんじゃねーぞ?」
駅の注意アナウンスが鳴り響く。
特急列車が通過する直前、1枚の紙切れが空に舞った。
それは意図的ではなかったように思う。
わざとではなかったはずなのだ。
アレは軽々と柵を超え、真っ赤な火花を舞い散らせて、私の前から消えた。
2度と会いたくない人との手切れ金としては、役に立ったかもしれない。
偶然のはずだが、良い使い方をした。
胸のつかえが取れたような気がする。
電車は止まってしまうだろうし、私は仕方なくバスで帰ることにして座席に座った。
ガヤガヤと煩わしいはずの雑踏やバスの振動は、私の空虚な心をほんの少し埋めてくれた。
目的のバス停はもうすぐだ。
ピンポンと小気味良い音が鳴り、空っぽの心に響く。
邪魔になったお年玉袋を、そっと目の前に見える網に忍ばせて下車しようと準備する。
きっと、明日からは何事もない、空虚な日常が通り過ぎてくれるはずなのだ。
ふと、袋の裏側に書かれた文字が目に飛び込んできた。
『去年の夏休み新しい水着欲しいって言ってたろ?
また一緒に、海行こうな』
あぁ私は……私は……なんてことを……!
温かい涙があふれて止まらない。
彼は、私ですら忘れていた事を、覚えていてくれたのだ。
そして、新しい思い出を一緒に作ろうと……
高校生の彼が、女性の水着売り場に入れるはずもない。
加えて、まだ季節外れの春なのだ……
「お客さーん、降りないんですかー?」
「降ります……」
ごめんなさい、私の大好きな人。
さよなら、私の大好きな人。
ずっとずっと、大好きでいられたはずの人。
私の初めての、喪失感を奪った人。
今にも走っている車に飛び込んでしまいそうな時、急にスマートフォンが震えた。
帰りが遅いのを心配した母だろうと思って電話に出る。
「ほんっと、お前ってドジなのな!
っつーか今どこだよ」
私は夢でも見ているのだろうか。
なぜ彼の声が耳に入ってくるの?
動揺した私は、涙声を隠せなかった。
「え……ごめん、もうすぐ家」
「どうやって帰ったんだよ。
こっちは駅員さんにめっちゃ怒られたんだぞ!
……まぁいいや、後で家まで行くよ」
「わかった……準備しとく」
それだけ告げて電話を切った。
どうしよう……胸が張り裂けそうなくらいドキドキしてる。
私は、ちゃんと言えるだろうか。
人生で初めての、愛の告白を。