第三話
「杏子さん、明日お暇なら美術館へ行きませんか?」
カフェが満員で賑わう午後の3時を過ぎた頃、団子屋も少し落ち着いてからの
おやつタイムと称して、玉子さんとお茶をするのがここ最近の日課になった。
「びひゅひゅはんれふか?」(訳:美術館ですか?)
玉子さんが作ってくれた抹茶カステラを、口いっぱいに頬張った瞬間に話しか
けられた。
ほろ苦い甘みがじんわりと広がっていく感じは、抹茶を飲んだ時とそっくり。
独特の香ばしい砂糖の甘さが後から追ってくるのは洋菓子ならではだと思う。
「ちょっと! 私の新作をちゃんと味わってからしゃべってくださいな!」
まったくはしたない。なんて言いながらも怒った様子はなく、自分とあたしの
カップに紅茶を注いでくれた。
ちょうど喉もつまっていた事もあって熱々の紅茶を流し込む。
「あちち……。でも美味しかったー♪」
玉子さんは目を丸くして大きくため息をつく。
「杏子さんはもう少し、たしなみと言うものを勉強した方がいいですわ」
「美味しいものは熱いうちに食べるもんだって、ばっちゃが言ってたよ!」
なんで、そんな憐れむような目であたしを見るんですか!
「ちゃんと味わって食べましたよ! あたしは飲みなれてるから、もっと抹茶の
味がしても良かったと思います。でも紅茶だとさっぱりし過ぎてしまうので、
まろやかな牛乳とかが相性いいんじゃないかなって思いますよ」
「カステラをは一口で食べて、紅茶は一気飲み……。よくそんな食べ方で、ちゃ
んとした感想が言えますわね……」
真剣な顔でメモをとりながら、もう一度ため息。
「でも、参考になりましたわ。この町の嗜好品は団子屋か、せんべえ焼きですか
ら、少し和風な味があれば親しみやすいかと思いましたの」
それで。と一言置いて、
「この町には少し大きな美術館があるのは知っているかしら?」
「あー、汽車の停留所前のですか? 小さい時にお父さんに連れられて、一回だ
け行ったことがあります。もう何を見に行ったのかも覚えていないですけど」
あたしの活動範囲は、家の周辺と町の東側にある農村地区がほとんどで、富裕
層の多い西の美術館や、汽車の停留所はごくまれに前を通る程度だった。
あ、成金市長の家にはよく行くけれど……。
「今朝の新聞で、市長主催の珍しい銀細工を集めた展示会がそこで開催されるそ
うですの」
「ほぇー。玉子さ『カステイラ・カナコですわ』」
なかなかに素早いツッコミ……。
市長主催の展示会なんて、なんだか悪い事をして集めた、いかにもなものを想
像してしまった。
コホンと、1つ咳払いをして、
「カナコさん、美術品とか興味あるんですか?」
「ええ、まぁ。昔、おじい様が職人細工の小物をコレクションしていたもので」
意外だった。この一瞬だけ、玉子さんが寂しそうな顔をした。
「なんだか面白そうなので行きましょう♪ あたしが見たことないもの沢山あり
そうですし! あ、でも、あたしが見ても分かるのかな?」
少し声のトーンをあげて答える。
玉子さんに誘ってもらったのも、久しぶりに行く美術館も楽しみだった。
「……とよしで……ね」
空のカップにはいつの間にか二杯目の紅茶が注がれていて、今度は冷ましてか
ら飲もうと意識していたら、玉子さん言葉を聞きそびれてしまった。
「今、何か言いました?」
「もう少し抹茶カステラが残っているので、食べていってくださいな。お次は、
ホットミルクを用意しますわ」
青い瞳を細めてクスりと笑う玉子さん。女のあたしからしても、胸がドキっと
する不思議な魅力がある人だなって思う。
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翌日、正午に店の前で待ち合わせをする事になった。
ばっちゃは、若いうちにいいもんを沢山知っとった方がええ。と二つ返事で、
送り出してくれたけれど、お母さんは、よそに行く服持ってないじゃない。と大
騒ぎになった。
「あー……、足元すーすーする……」
朝目が覚めたら、丈の長いワンピースに編み上げのブーツが用意されていた。
洋服なんて着たことが無いから違和感しかない。そもそも、この町でこんな服
が売っていた事に驚いた。
お店に来てくれたお客さんは、『よっモダンガールっ』『今日はデートかい』
『団子屋ちゃんにあってるじゃないか』なんて、からかい半分でお世辞を言って
くれるけど、気恥ずかしくて仕方がない……。
「あんちゃんは元が可愛ええんだから、おめかししたらもっと可愛くなるねぇ」
店先の番傘の下、今日も朝早くから常連のおばあちゃんが来てくれていた。
今日もお団子セットを頼んでくれたけど、もうお茶だけになっている。
きっと、挙動不審なあたしに構ってくれたんだと思う。
「おばあちゃんがそう言ってくれると嬉しいよ」
本当にそう思って言ってくれているんだろうな。でも、ちょっと照れくさい。
「うちの娘っこも、もう少し色気がありゃあねぇ。まったく誰に似たんだかぁ」
少し遠くを見るようにつぶやいた。
「おばあちゃん美人さんだから、お化粧したら、あたしよりきっと可愛いよ!」
そう言うと、お茶を飲みほしてから、年寄りをからかうもんじゃないよぉ。と
笑いながら、帰っていった。
(そういえば、おばあちゃんの家族って会った事ないかも)
いつも朝早くから来てくれて、色んなおしゃべりもするけど、家族の話は聞い
たことがない。娘さんがいることも、今知ったくらいだ。
「お待たせしてごめんなさい」
おばあちゃんが帰った方を見ながら考えていると、後ろから声をかけられた。
「久しぶりのお出かけに少し着ていく服を悩んでしまいました」
「え、どちら様……」
振り返った先には、映画女優のような美人が立っていた。良く見たら、少しタ
イトなシャツに、太目のベルト、ロングのスカートに、ブーツを履いた玉子さん
だった。
真っ赤なリップが際立っていて、こっちが本当のモダンガールだ。
「ちょっと、ジロジロ見ないでくださいな。恥ずかしいじゃないですか」
そっぽを向く姿まで完璧な大人のレディーだった。
「さあ、行きますわよ」
と言って、美術館とは反対方向に歩きはじめた。
「あの、玉子さん……」
「はい?」
すっかり言い直されると思っていたので、次の言葉がすぐでなかった。
お店にいるとき以外は、玉子さんで良いんだ。
「えっと、美術館はそっちじゃないです」
「知っていますわよ。こちらへ」
そう言って、カフェの裏へと歩いていくので、少し早足で後をついていく。
「じい、準備はいいかしら?」
「はい、万全でございます」
その先にはピカピカに磨かれた黒塗りの車に、スーツ姿のおじいさんが1人。
「お嬢様だ!!」
車なんて、成金市長と、たまに大通りを通るタクシーぐらいのものだと思って
いたけど、こんな身近なところにも所有者がいるとは思ってもみなかった。
「な、なんですの? 車くらい、見たことあるでしょう」
「自家用車なんて、この辺で持っている人いないですよ!」
朝から玉子さんには驚かされてばかりだ。
「さあ、行きますわよ」
気恥ずかしそうに車の後部座席に乗り込む玉子さん。
しかしドアは自分で閉めない。
「さあ、ご友人の方もどうぞ」
立ち尽くしてしまったあたしにも、おじいさんがドアを開けてくれた。
「ああ、あた、あたしも乗るんですか!?」
車の中から、『当たり前でしょう? 歩いて行く気でしたの?』と玉子さんの
声がして、覚悟を決める。
(ばっちゃ、あたし今日はお嬢様になるよ!)
「お邪魔しまーす……」
「ふふ、杏子さんは面白いこと言うんですのね」
玉子さんの隣に座ると、ドアが優しく閉められた。
隣からはいつもと違う甘い香りがする。
(これが、大人の魅力というやつだ……!)
目的地の美術館に到着するまで、玉子さんが話しかけてくれたけれど、胸のド
キドキが治まらなくて何を話したのかまったく、頭に入ってこなかった。
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予想通り、車で美術館に到着すると、あたし達はどこのお嬢様かと注目の的に
なり、それが町の人気店の看板娘と分かると、更に周りの視線を集まった。
この町は端から端まで歩いて移動できるのだから、車に乗ってまで美術館に来
る人が居れば、それだけでも話の種になる。
玉子さんは慣れた感じで美術館をゆっくり見ていたけど、あたしはあたふたし
ながら、ただただ着いていくだけになってしまった。
最後に『なかなか興味深いものが沢山ありましたわね』なんて言われたけど、
そうですね。としか言うことが出来ず……。
「へぇ、やっぱり手先が器用な人は細かい所も凝って作るんだー」
結局、何があったのか気になって夜の美術館に忍び込んでしまった。
また明日、玉子さんとのおやつタイムで、ちゃんと話題についていけるように
と、復習の気持ちが半分、なんだかんだで、玉子さんの興味を引いたものがどん
な物だったのかという興味半分だ。
警備員の巡回に気をつけなくちゃいけないけれど、お昼の視線に比べれば街中
を散歩するのと大差がない。と言うよりも、警備員がほぼ巡回していない。
「やっぱり、いつも着ている服が動きやすくていいや」
お母さんには悪いけれど、あたしにおしゃれはまだ早いらしい……。
いつものと言いつつも、団子屋の和服ではなく、忍者をモチーフにしたノース
リーブにプリーツのミニスカートという、泥棒時の動きやすさを重視しただけの
着合わせで、そもそもおしゃれとはかけ離れている時点で比べ物にならない。
「あれ? あそこの窓が開いてる……?」
一階の展示品を一通り見終わって二階へ行こうとした時、前髪がふわりと風に
揺れた。
あたしは警備員の目を盗んで正面から入ってきたけれど、その時に窓は全て閉
じられていたと思う。
「換気……なんて、こんな時間にしないよね?」
換気だとしたら、一箇所だけ窓が開いているのは尚更おかしい。
怪しいと思った瞬間、ほんの少しだけ小さな足音が聞こえた。
「二階の方からだ」
警戒していたからこそ聞き取れたと思う。
果たして、あたし以外の誰が夜の美術館に、どんな用事で忍び込んだのか。
怖さ半分、興味半分で、音がした二階の展示室へ向かう。
「雑な警備ですわね。昼間も大して見回りができていませんでしたし……」
大小異なるショーケースがいくつも並んでいる二階の一室。少しだけ開いてい
る扉の前を通りかかった時に、部屋の中から声が聞こえた。
それは聞き覚えのある女の人の声で、誰かに話しかけているような口ぶりだ。
「これなら、予告状を出しても楽勝ですわね。 あなたもそう思わない」
――お騒がせ者の泥棒さん?
まさかあたしに気付いているとは思いもよらなかった。
一瞬声が漏れそうになるのをすんでのところで我慢したけれど、驚きのあまり
心臓が激しく脈を打つ。
「何か物取りにきたわけでもなさそうですけど、私の獲物に手を出すと言うのな
らば、ただじゃすみませんわよ?」
私の獲物という言葉からして、侵入者は泥棒を生業としている本物かもしれな
い。ただじゃすまないという言葉も、傷つけてでも目的を達成するという脅しに
聞こえて、更に心臓が早鐘を打ち始める。
もういっそ、この心音が相手に聞こえているのではないかと思っていると、
「なんですの? 返事くらいしなさいな。まさか、のん気に展示品を眺めにきた
わけではないのでしょう」
急に話し方がやわらかくなった。まさかの図星をつかれて、本当に返す言葉も
ありません……。
少し呆れた感じの声色と話し方。きっとあたしだけが知っている。
それは、ここ数週間で聞きなれた日常の一コマで、間違いようが無い。
「そこにいるのは分かっていますわよ? なんとか言いなさ……い」
ここにいるはずがないと思っていても、その人物の顔が一番に思い浮かんだ。
まさかの人物に気を取られている内に、侵入者が扉の近くにまで来た事にすら
気がつかず、鉢合わせする事になる。
「たま……、こさん?」
一目見た瞬間、容姿だけではまったく分からなかった。
コルセットに燕尾のジャケットをはおって、モノクルをかけた姿は、小説や活
動写真で見るような怪盗の様で、ブロンドの長い髪をシュシュでひとまとめにし
ているけど、真っ青な瞳は見間違いようが無い。
「んな、杏子さん!? どうしてここに!?」
普段とまったく違う格好をしてるのに、お互いに名前を呼び合ってしまった。
なによりも決定的だったのは、扉を開けた瞬間の甘い香水だ。この匂いのせい
で、何故か緊張して半日ドキドキさせられたのだから。
『誰だ! そこにいるのは!!』
予想外の人物に出会ってしまい、今は忍び込んでいた事まですっかり忘れてし
まっていた。さっきまで気配すらなかった警備員に見つかってしまう始末。
ピピーッ。と警笛を吹かれ、美術館の照明が一気に点灯する。
「ああ、もう! ただの下見のはずでしたのに!!」
完全に硬直していたあたしの腕を玉子さんが引っ張った。
「なにを突っ立ってますの! 捕まりますわよ!」
「はひっ」
返事をしたつもりが、思いっきり舌を噛んでしまった……。
「詳しい話は明日聞かせてもらいますわよ。まずは、ここから逃げましょう!」
次第に集まってくる警備員の足音から、わき目も振らずに走りだした。
(ああ、明日は久しぶりの号外が撒かれそうだ)
なんでもないのんびりとした時間が流れるこの町だけど、今日はちょっとした
イベントが盛りだくさん。
明日の大通りで流れる話題は、桜の開花か、お嬢様か。それより先にお騒がせ
者が二人に増えた号外で、きっと一日盛り上がるのだと思います。
毎週金曜 午後三時 に投稿します。よろしくお願いいたします。




