炎と水の求愛遊戯
「ホォーホッホッホッホ!!」
今日も元気な高笑いが響き渡ると、ドグァッ!と地が盛大にひび割れ、大量の水が百メートルほど吹き上がった。
見上げると、天頂は霧がかって落ちるしずくの中、七色の虹がある。
この万年乾燥地帯では、お目にかかることの出来ない奇跡だ。
「またすごい激流が吹き上がりましたね。解説のエリオンさん」
そんなことを同僚のマーカスが言ってくるので
「そうですね〜。水妖の女王様だからこその圧巻といえるでしょう。あの方を怒らせたら大陸が沈むとさえ噂されていますからね」
「それでは、これも彼女にとってはウォーミングアップにすぎないと?!」
「というよりも、次への準備でしょうね。水妖が力をふるうには、この台地は乾きすぎていますし・・・」
「おおーっと!!空中に留まった大量の水が、形を変えたっ!?」
水柱がぐねっと蠢くと、巨大な龍が形作られていく。
かぎ爪が地を抉り、岩を砕く。
やがて顕現した牙。煌々と輝く眼球でターゲットを狙い定めると、水の龍は命を持つかのように、顎門を開いた。
グォオオオオオオオオォォォオオオオオオオオオオオオオオオ
咆吼だろうか、風の音だろうか。
大音量で皮膚がビリビリする。
急に隣が静かになったので目を向けると、さっきまで調子に乗って実況していたマーカスが遙か彼方へ逃げていた。
遠くに見える、米粒大マーカスが全身で「あ!・ぶ!・な!・い!!!!」ジェスチャーしている。
あいかわらず、速さだけは天下一品だ。
我らが軍で二番目に速いのがマーカスだ。
感心していると、水龍の余波で水しぶきが降り注いだ。
あくまで余波なので、どしゃぶりのそれを甘んじて受けることにする。
バシャッと濡れて、水もしたたる濡れ炎人の出来上がりだ。
まぁ。
炎人といっても、俺は純度の低い、黒っぽい、ほとんど平民なので、出来る対応だ。
簡単に自己紹介すると、俺の名前はエリオン。
我らが炎王の率いる軍で、将軍補佐を任されている。そして今現在、『将軍』は療養中なので、炎王が、偉大なる我らが頭が将軍を兼任している。
黒っぽい、ほとんど平民の俺がこの立場に立てるのは、ひとえに炎人の価値観が『力』にあるからだろう。完全な実力主義では、生まれも純度も、枷にはならない。
水に弱くない、というオマケもある。
水滴で視界の悪くなった眼鏡を外し、びしょぬれの黒っぽい前髪を掻き上げていると、不意に、ドォン、と重く低い腹に来る音が耳に届いた。
眼鏡をかけ直すと、勝負がついたようだ。
水龍の形が崩れ、戦いでほぐされた地が水を浴び、沼ができあがる。
「早かったですね」
勝者様に声をかけると、我らが頭は「躱して、殴った」地面に降りる。
降りたところからジュワッと水蒸気が上がり、その周りだけ、干涸らびる。
煙の中、燃えさかるような目映い容貌に、つい目を細めると、灼熱の赤い髪と輝く黄金の瞳、無駄の無い芸術的な筋肉をまとった炎王はエリオスの前で指を弾いた。
ブワッと熱にあおられ、服が乾く。
「ありがとうございます」
「うむ」
炎王は非常に言葉少ない。
次いで敗者様を確認すると、先ほどまで高笑いと共に、凶悪な水龍を炎王に叩きつけていた水妖の女王は、なめらかな肌にぴっちりと纏った薄衣のスリットドレスもエロ可愛く、「きゅう・・・」と伸びていた。
脳震盪でも起こしたのだろうか。
閉じられた瞼は睫毛がとても長くて綺麗だ。
ついほれぼれと眺めていると、その瞼がぱちりと開いた。
がばっと起き上がる。
とてもコミカルにわたわたと自分が負けたことを確認した女王は、あからさまにしょぼんとすると、「ハッ!」と顔を上げた。
綺麗な綺麗な青い瞳。
艶やかな紺色の長い髪。
女王、の称号を背負うには幼気な印象をあたえる仕草で、彼女は頬を上気させる。
なにか、とても期待した目で見られている気がする。
「・・・。」
すみません。自分は黒っぽいけれど地精ではないので、テレパシー能力はありません。
「・・・。」
いや、ほんとすみません。
「・・・。」
困って目を彷徨わせると、水妖の女王はキッと涙目で炎王を睨み付けた。
「炎王グィシノファルーザ!!!」
澄み切った高らかな美声で名指しされた炎王は、「うむ」と短く返事した。
「つっ、・・・次こそは、そなたを泥土に這いつくばらせてみせますわっ!!覚えていらっしゃい!」
捨て台詞を言い終えるやいなや、彼女の体がすぅーっと透き通り、透明な水になって、パシャンと消えた。
「オーッホホホホホホホホ!!!」
残ったのは、大技の発動でほどよく耕された台地と、潤いすぎてる湿地。
乗騎竜の好物、パトパテを育てるのに丁度よさそうだ。
乗騎竜のおやつにと、荷袋に入れておいた種を取り出し、指輪に込めた『風』のルーンを発動させ、散らしていると
「やー、あいかわらず情熱的なお方っすね!」
帰ってきたマーカスが、ほうほうと頷く。
言動は攻撃的で高飛車だが、毎度、被害の出ない場所を選んで戦いにもちこんでいるところとか。炎王の部下には怪我人が出ないように、絞って力をふるっているところとか。
一回負けたら、その日はすぐに引き下がるところとか。
冷静で思慮深いお方だと思う。
水妖は総じて『情け深い』。
「水妖は、しつこい」
そうマーカスに答えた我らが頭は、用事は済んだと乗騎竜を呼ぶ笛を鳴らした。
なんとも、そっけないとマーカスがニヤニヤ笑っている。
マーカスも続いて笛を鳴らした。
『力』のみを重視する炎人にとって、異性へおのれの『力』を示すのは、『求愛行動』に他ならない。
限界までお互いの『力』を示し合い、そして強固な『絆』を築く。
強大な『力』に心酔し、『力』で他者を支配する。
単純明快。
頭を頂点とした上下社会。
水妖の女王の行動は、ツンデレの熱烈なアプローチだと思われていた。
誰もがみんな知っている。
普通、水妖が愛を囁くときは、もっとストレートに情けに訴えかけるらしいが、わざわざ炎人の求愛行動をまねるあたり、よほど炎王に夢中なのだろうと。
異種族間の婚姻は、うまくいかないと言われているが、全く無い訳では無い。
俺の方が先に出会ったのに。
偶然に過ぎなかった出会いを思い返してため息をつきそうになる。
強大な『力』に惹かれるのは炎人の本能で、仕方が無かったのだからと、いつものように自分を納得させた。
どうしようもないことなんて、いくらでもある。
炎王の帰還に遅れて笛を鳴らそうとしたときだ。
「エリオン様」
不意に現れた老爺に呼び止められた。
「クエデァトさん」
知り合いだ。
老爺と言っても水妖のこの人は、ビシッと執事服を着こなした姿勢の正しさで、年齢を感じさせない動きを見せる。
さすが女王付き。
いつも一段落落ち着いたタイミングで現れる。
銀髪の老爺は、ニコニコと好印象を人に与える笑みで、手に持っていた籠を差し出してきた。
「こちら、女王様からです。いつもご迷惑をかけております、ほんのお詫びでございます」
「いえいつもすみません。ありがたくいただきます」
つい流されてニコニコと受け取る。
先々代から水妖の王に仕えてきた老爺は、女王の侍従でお目付役だと聞いた。
いつも彼を通して、ちょっとしたお詫びを渡される。
想い人の部下にまで心配りを忘れない、素晴らしい方だ。
中身は大概、菓子類で、籠の中身はハート型のピンク色をした煎餅だった。
そういえば、いつもハート型な気がする。
水妖の女王はハート型が好きなのだろうか?
執事服を着た銀髪の老爺は、優雅にお辞儀をするとパシャッと消えた。
飛竜を駆って巣城へ帰参すると、水妖の女王がいた。
勝手に侍従のクエデァトにお茶を用意させて、たしなむ姿は実に優美だ。
「考えてみましたの」
「え?はやっ!?」とマーカスが驚いている。
ところでここは、炎人の巣城で一番見晴らしの良い作戦会議室だった気がするが、いつのまに螺鈿漆器の調度に囲まれたティールームへと、模様替えされたのだろう。
「脳筋に殴り合いで挑むなんて、優雅さに欠けますわ」
「うむ」炎王の表情筋は変化無し。
「趣向を変えて、『知力』はいかがかしら? 『力』には変わりなくてよ?」
クエデァトがてきぱきと、ボードゲームの遊戯台を用意する。
また金と螺鈿が施された豪奢な品だ。彫り込まれた模様は水中花と金魚。
「ほう?」
「わたくし、チェスには自信がありますの」
ふふんっと微笑んだ。
格子に区切られた盤面で、手駒を動かし、『王駒』を取り合うゲームはポピュラーだからこそ奥が深い。
「分かった」
炎王の苦手分野に、真っ正面から切り込んでくるとは、さすが水妖。容赦が無い。
しかも『力』を出してくるとは、脳筋の炎王が受けざるを得ないように考えてある。
水妖を敵に回してはいけないのだ。
執念深く、どこまでも食らいついてくる。
炎人は『力』を示せば納得するが、水妖はぜったいに諦めない。
地精は『領域』から外れればそれで手出ししてこないが、水妖に領域は関係無い。
風族はそもそも執着しない。
女王の目つきは、捕食者のモノだ。
で。
分かったと応えた炎王は、あっさり「エリオス、やれ」
俺にバトンタッチした。
苦手分野は躊躇無く部下にやらせる。
我らが頭は、切り替えとか適材適所が非常に得意。
「ハッ」
頭の命令は絶対だ。
俺は進み出ると、瞳をまあるく開いた水妖の女王に、柔らかく微笑んだ。
「対局お相手いたします」
何を驚くことがあろうか、ここは炎人の王が住む巣城で、ここにいる炎人は全て炎王の部下だ。そういうことももちろんある。
炎王はバトルは歓んでやるが、頭脳戦はやりたくない。
呆然としている水妖の女王に、「よろしいでしょうか?」と念を押せば、彼女は慌てて取り繕い「よろしくってよ!」と優雅・・・というにはやや勢い込んだ様子で、是と応えた。
驚くと彼女は顔が赤くなる。
可愛らしい、と思って見ていた。
チェスの駒はそれぞれ形が違い、決められた動きが違う。
歩兵駒、騎兵駒と先人の記した教本に沿って動かし、相手の動きを観察し、先の先まで駒の動きを決定していく。
歩兵駒を一歩動かすと、騎兵駒が動く、すると聖者駒を動かす。
黒い透き通った駒は、ガラスで出来ている芸術品で、うっかり割り潰してしまわないかとちょっと怖い。
水妖の女王の可憐な指先でキラキラと輝くのは透明なガラスの駒。
駒の采配には、遊戯者の気性が現れるというが、・・・彼女の駒の動きはどうも、集中力が欠けているように感じられた。
彼女の背後に目を向ける。老従者はにっこりと微笑むと、そっとお茶を入れ直した。
「どうぞ、女王様」
チェスは時間のかかる遊戯だ。
休憩が必要になる。
炎王はとっくにいつの間にか敷かれていた毛足の長い絨毯に寝っ転がっていびきをかいていた。
マーカスはぶちぶちと絨毯の毛を千切っている。
「それ、高級品だぞ」
「ふーん」
警告するが、予想通り気のない返事が返ってくる。
炎人を思い通りに動かすことは、非常に難しいと言われている。
まず、自分が認めた『力』を持たないヤツの話は聞かないし、逆にそれ以外の価値観への感心が薄く、マーカスが考えていることはだいたい(でも俺のもんじゃねえし?)あたりだろう。
雑で乱暴ですぐ品物を壊すので、芸術品に対しても『壊れやすそう』だとしか思わないヤツが多い。
むしろ、マーカスの方が普通だ。
だから、俺は手元に置いていた籠を持ち上げた。
「煎餅食べるか?」
「おう!!」
この食いつきである。
身体のバネを使いこなした最速の動きで籠を手に入れたマーカスは、さっそくハート型のピンク煎餅をバリバリバリバリ食べていた。
その横からにゅっと炎王の手が伸びて、煎餅を数枚かっさらう。
起きたのか。
「わーーーーーっ!!!」
マーカスのとっさの妨害も効果は無い。
炎人で一番速いのは、炎王だ。
やれやれ、と一息ついたところで
「エ、・・・エリオスさま」
名前を呼ばれた。
泣きそうな女王の声に、ギョッとする。
意を決して振り返ると、彼女は肩をふるふると震わせ、目尻に涙を溜めていた。
いつに無いほど儚げな様子で
「煎餅、・・・おきらいですの?」
え?煎餅?
マーカスと炎王がバリバリやってる煎餅?
何故か沸き上がる罪悪感に突き動かされて、とっさに煎餅を求めて振り返るが、時既に遅し。ラスト煎餅は炎王がバリバリやっていた。
「うまかったぞー」
マーカスの感想によると。うまかったらしい。
「まさか! 最初に一枚いただきました。とても美味しかったですよ」
俺はウソをついた。
「いつもお心遣いありがとうございます」
「そんなことありませんわ」
安心したのか頬を上気させた彼女は、目尻の涙を繊細なレースのハンカチで拭う。
「そうですわ! 今日はケーキも焼いてまいりましたの」
テーブルの上には、小ぶりなクリームケーキがあらわれた。
老従者のテーブルセッティングは魔術じみている。
「エリオスさまのお口に合えばよろしいのですけれど」
ところで、テーブルの上のケーキは一個。
ケーキスプーンも一個。
ひとりでたべろと?
つい躊躇していると、水妖の女王はスプーンを手に取った。
え? これ女王が食べる用?
「はいっ」
クリームをたっぷりと掬ったスプーンが、俺の口の前に来た。
たべろと?
口を開け、と?
「あーん?」
「あの、じょお・・・うっ 」
スプーンが口に突っ込まれた。
ミルクの味と、甘いベリーの味が、口の中にひろがる。
「シーラですわ。そうお呼び下さいませ?」
水妖の女王の名は、エルシャンシィラ、だったはずだ。
唐突な愛称呼びの要請と、口にスプーンを突っ込まれた衝撃で頭がまわらない。
「頭ァ。なーんか言うことねーの?」
成り行きを見届けていたマーカスが、「なんか話が違う気がするんだけど?」と問うと、炎王は「ん?」と別段意外性を感じていない顔で「なにがだ?」と問い返す。
不思議なことは何も無い。
就任したての水妖の女王が挨拶にきた。
来るなり、副官のエリオスをよこせというので、炎人の常識にのっとって「望みを叶えたければそれにふさわしい『力』を示せ」と答えた。
正直、副官のエリオスが水妖にとられると、不便この上ないから、『力』を示そうとした水妖の女王を、全力で叩きつぶした。
ツンデレなどいなかった。
それだけだ。
そしてケーキを完食してなお、続けられていたチェスの勝負では
「チェックメイトです」
俺が勝利した。
炎人の求愛行動は異性に対して『力』を示し続けること。
負けるわけにはいかないのだ。
絶対に。