第四章 オファー
ルシファーのメンバーは、千尋をスカウトしたギターの高山渚、ベースの諏訪部翔、ドラムスの古賀幸彦の三人だ。千尋を除けば、翔が二十歳で一番年下。渚と幸彦は同級生で二十一歳だと言う。今までひとりでバンドを引っ張ってきたような千尋は、ルシファーでは最年少、しかも新入りということになる。少し勝手が違うような気がして戸惑った。
渚が言う。
「うちのバンドはみんな我が強くてね。妥協はしないんだ。でも、目指す方向は同じとこ向いてるんで、仲間割れしたことはない。みんな本気で上目指してるしね。千尋も、思うことがあったらなんでも言ってよ」
「はい」
ルシファーがコピーしている曲はほとんど知っている。千尋が幼い頃から馴染んできた曲や、好きなパンドの曲が多く、ソラで歌えるものも少なくない。手渡されたMDに入っているオリジナル曲も、ほぼ一週間で覚えた。
二週間後、彼らはアマンドのステージに立った。
ルシファーも千尋も以前からファンが多く、千尋が加入してからのルシファーの人気は半端じゃなかった。
アマンドにいる間は常に女の子に囲まれる。他のバンドのメンバーから声をかけられる。スカウトマンからも注目される。
「千尋くん、すぐデビューしようよ。大々的に推すよ」
「千尋、ウチからデビューすれば、絶対超ビッグにするよ」
スカウトマンたちからかけられる言葉はいつも同じだ。新入りの千尋は遠慮がちに笑い、軽く流す。
「契約のことだったら、俺より渚さんに言ってよ」
実際、渚はその筋のことについて詳しそうだったし、頭も切れそうだったので、千尋は信頼していた。そして、渚が言った通り、トライデント・ミュージックとの仮契約が決まった。
小さなレストランで仮契約書を交わしながら、トライデント・ミュージックのスカウトマン、上野肇が言った。
「千尋くんは高校生だから、デビューは高校卒業と同時期にってことで。デビューしたらガンガンステージやインタビュー入れるからね」
「よろしくお願いします」
それから上野は隣りにいる男性を紹介した。
「彼がきみたちのマネージャーをすることになった高崎真。何かあったら何でも彼に言ってね」
二十代後半だろうか。紹介された高崎はメンバーをぐるっと見回し、人懐っこく素朴な笑顔で挨拶した。
「よろしくお願います」
再び上野が書類に目を落としながら言う。
「で、レコード会社だけど、ビート・エコーを考えてるんだ。どう?」
「ああ、いい会社ですね」
渚が相槌を打った。
「うん。あそこをメインに活動してるいいプロデューサーがいてね。イギリス出身のジェフリー・ニールセンっていうんだけど、君たちの音楽なら彼がいいだろうと思って、デモを送ってあるんだ。生で聴いてみたいって言ってきたよ」
「ニールセン! すごいじゃん!」
みんなが声をあげる。千尋もニールセンの名前は知っていた。ロック系のプロデュースは敏腕だと評判だ。そんな男にプロデュースしてもらえるなんて、こんな素晴らしい話はない。自分たちの音楽をどんな風に料理してくれるんだろう。わくわくしてくる。
「もう少しアマンドでステージを積んでもらって、秋ごろに本契約して、プリプロ後レコーディングを開始したいと思ってる。オリジナルもためておいてね。ウチとの契約期間は三年。その間に最低二枚はアルバムを制作してほしい。しっかりプロモかけてビッグにするから、三年後に契約延長しよう」
上野の言葉に、ルシファーの全員が夢を追い始めた。
* * *
高校三年の一学期が終わった。
成績表をもらった千尋は溜息をつく。勉強もそれなりに頑張ったつもりだけど、どうしても一位が取れない。いつも二位だ。二年生の間もずっと二位だった。
「悔しいな」
いつもの道を佳菜子と並んで帰りながら、千尋が言う。
「二位だったら文句ないでしょ」
「まあ、そうだけど。二位より一位のほうがいいだろ」
「千尋って欲張り」
「そんなことねぇよ」
佳菜子を見下ろす千尋。本当に、欲張りなわけじゃない。ただ、自分が生きる道を一生懸命拓いているだけだ。
佳菜子が怪訝そうに言った。
「一条の家を継ぐんだったら、成績なんてそんなに気にしなくていいじゃん。それとも、他にやりたいことでもあるの? トップの成績とっておじさまに音楽やるの認めてもらいたいとでも思ってる? もしそうなら、おじさま、悲しまれるんじゃない?」
痛いところをズバッと突かれて、千尋はすぐに言葉を返すことができなかった。かろうじて、言い訳めいた言葉だけが出てくる。
「まだ、どうするかは決めてない……」
佳菜子が驚いて千尋のほうに顔を上げる。
「決めてないって……。千尋は一人っ子でしょ。千尋がおじさまの跡を継がないで、どうするの? おじさまはもとより、みんなそのつもりでいるんじゃないの?」
「わかんない。俺はまだ一条の跡を継ぐって確約されたわけじゃないから」
心が痛い。優しくて理解があり、自由にやりたいことをさせてくれる父のことが千尋は大好きだ。時間が空いたときには一緒にコンサートを観に行ったり、サッカーやラグビーの試合に連れて行ってくれることもある。本当に感謝している。父には、長い間千尋と離れて暮らすことになり寂しい思いをさせた、可哀想なことをしたという思いがあるのだろう。そうした気持ちも込めて可愛がってくれていることはよくわかっている。素直に父の跡を継ぐことができたら、どんなに楽だろう。でも自分にはその資格が……ない……。
誰一人、母でさえ知らないことだけど、父とは血の繋がりがないのだ。そんなことを誰に言えるだろう。父が知ったら、跡継ぎとして認めてもらえないかもしれない。それどころか、一条の人間としてさえ認めてもらえないかもしれない。だから音楽で身を立てる術が必要なのだ。
苦しくなって、千尋は話を振った。
「そんなことより、これから遊びに行かね?」
「ごめん、今日は家で会社絡みのパーティーがあるから。明日は?」
「悪ィ、明日はレコーディング・スタジオに行くんだ。じゃ、また連絡するよ」
翌日、ルシファーのメンバーはビート・エコーの本社に行った。社長室に案内され、社長の島義幸が笑顔で迎えてくれた。一人ひとりに名刺を渡しながら言う。
「君たちの噂は聞いてるよ。デモも聴いた。なかなかいいセンスしてるじゃないか。イチオシでデビューしてもらう予定にしてるからね。楽しみにしてるよ。そうだ、ジェフを紹介しよう」
そう言って島が電話を掛けると、ほどなくしてひとりの男が部屋に入って来た。金髪で長身の男。三十歳代後半くらいだろうか。島が紹介した。
「ジェフリー・ニールセン。きみたちのプロデュースを頼んだ」
「よろしく」
流暢な日本語でにっこりと笑う彼の瞳は深い青で、千尋はどこか懐かしさを感じた。
「よろしくお願いします」
みんなが緊張と期待の表情で挨拶する。
ジェフはメンバーをリハーサル・ルームに連れていった。カラオケルーム三つ分くらいの小さな部屋だが、ドラムセットやギター、キーボード、アンプ、マイクなどが備えられている。
「何でもいい。君たちの得意な曲を演奏してみて」
メンバーは緊張しながら、ギターを肩に掛けてチューニングしたり、ドラムセットを軽く叩いて音を確認したりする。
「なにやる?」
「『ウォーク・ディス・ウェイ』?」
「『アイム・ダウン』は?」
「『the Fourth Avenue Cafe』やろう」
渚の一言で決まった。渚がイントロを弾き始め、力強いドラムスが入る。リズムが良く、冒頭から勢いのあるこの曲は、千尋も好きだ。歌っていても気持ちいい。メロディアスなパートもあり、自分の魅力を存分に出せるナンバーだ。
ジェフも楽しそうにリズムを取りながら演奏を聴いていた。曲が終わると、笑顔で拍手を送る。青い瞳が興味深そうに輝く。
「いいね。気に入ったよ」
言ってジェフがキーボードの椅子に座る。
「千尋」
ジェフは英語で話しかけた。
「きみは声域が広いみたいだね。何オクターブ出る?」
母の声以外では、久々に聞くイギリス英語だった。この訛りはロンドンか。何年ぶりだろう。一瞬、生まれ育った街にワーブしたように懐かしさがこみ上げてくる。
「二オクターブ半くらいかな」
「チェックしてみよう」
ジェフが弾くキーボードに合わせて、千尋が声を出す。高い音へ。低い音へ。
「けっこう出るな。ファルセットもいい。ヴォイス・トレーニングしたら三オクターブ以上出るよ」
「そうですか」
「うん。少しずつやっていこう」
ジェフは、ルシファーをかなり気に入ったようだった。
「じっくりとレコーディング・テストを繰り返しながら曲を選びたいな。時間がかかっても構わない。まず君たちの方向性と音楽のスタイル、特徴を見極めたい。それから、秋から冬にかけて本格的にレコーディング作業に入れればいいと思ってる。楽しみにしてるよ」
そう言ってジェフは秘密の宝物を見つけたようにニヤリと笑った。
読んで下さり、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
感想などいただけると嬉しいです♪