第三章 引き抜き
千尋のルックスが話題を呼んだこともあり、アマンドで演奏するノーティ・ボーイズは日に日に人気を高めていった。また、ひと晩にいくつかのバンドが演奏するため、他のバンドの演奏を生で聴くことができた。彼らとの交流ができるようになり、千尋はいろんなバンドのメンバーから声をかけられるようになった。
そうしたバンドの中で千尋が一番心を動かされたのが「ルシファー」だった。千尋の好きなイギリスのオーソドックスなハードロックを彷佛とさせる、ロックでブルージーなサウンドを創り出す。また、別の曲では独特のきらびやかでうっとりするようなメロディラインを奏でる。そうかと思えば、疾走するようなスリリングなナンバーもある。そのステージは実に多彩で、オーディエンスを一人残らずさらっていくようだ。あの音の中であんな曲を歌ってみたい、と千尋は思うようになった。
* * *
アマンドで演奏するようになって半年ほどたち、ライブにも慣れてきた頃のことだった。
千尋がロッカールームでギターの手入れをしていると、声をかけられた。
「千尋、今日はもう終わり?」
振り向くと、ルシファーのギタリスト、渚だった。艶やかな長い黒髪にきらびやかなステージ衣裳。彼らの出番はこれからなのだろう。
「渚さん。はい、終わりました」
「そっか」
渚はロッカールームをぐるっと見渡し、千尋の隣の椅子に座った。部屋には二人以外誰もいない。憧れとも言っていいルシファーのギタリストでありリーダーでもある渚。彼と初めて二人きりで話すことに、千尋は緊張する。
渚が訊いてきた。
「ノーティ・ボーイズってさ、いつから演ってんの?」
「俺が日本に来てすぐ作ったバンドだから、四年くらい」
「へぇ、長いね」
「でも、ここで演らせてもらうまではネンイチで学祭でやる程度だったんで、まだまだです」
「まあ、現役の高校生だったら、そんなもんだろ」
渚は小さく笑ってジタンに火を点けてから、千尋の前にボックスを差し出した。
「吸う?」
「いえ、俺は……」
断ると、彼はふっと笑ってポケットにしまった。
「千尋って、日本に来る前はイギリスに住んでたって、ほんと?」
「はい」
「そっか。だからあんなに英語のヴォーカルがサマになるんだね」
「……ありがとうございます」
誉められて恐縮する千尋の横で、渚はふうっと煙を吐いてから続けた。
「ウチさ、二か月前にヴォーカルが変わったんだよ」
「みたいですね」
噂は千尋も聞いている。以前のヴォーカリストは急遽、九州の実家に帰ることになり、知り合いに声をかけたという話だ。
「でね、そのためにメジャーデビューの話がこじれちゃってさ」
「えっ?」
「オファーをくれてた事務所が、ヴォーカルを替えろって言うんだ。俺も正直言って、今のヴォーカルに満足はしてない」
どのバンドも厳しいんだ。これだけ実力のあるルシファーでさえデビューの話がスムーズに行かないなら、自分たちなんか一生日の目を見ないんじゃないか。ウェンブリー・スタジアムが遠のいていく。
渚が、切れ長の鋭い目で千尋を見る。獲物を捉えるようなその視線に千尋はドキッとした。
「事務所のスカウトマンが、ヴォーカルは千尋を入れろって言うんだよ」
「え? 俺?」
唐突に時分の名前が出て、千尋は目を丸くする。渚はニヤリと笑った。
「そう。聞いたことないかな? 『トライデント・ミュージック』っていう事務所なんだけど」
聞いたこと、ある。っていうより、急成長の事務所だ。歴史はそれほど長くないが、実力のある若いミュージシャンを育てるのが上手で、ソロ・アーティストよりロック系のバンドに力を入れている。デビューするなら打って付けだ。もし本当なら、すごい話じゃないか……。
「驚かせたかな?」
渚の声を聞いて、千尋は我に返った。あまりに突然で、返事ができない。
「千尋はずっと同級生と演ってきたから知らないかもしれないけど、スカウトなんてこんなもんなんだよ。スカウトマンが、自分好みの音を作るためにあっちのメンバーとこっちのメンバーをくっつけて、既存のバンドを滅茶苦茶にする。それが原因でトラブルが起きることも珍しくない」
そんな話は聞いたことがある。でも、まさか自分がそこに巻き込まれるなんて予想していなかった。
「トライデントは以前から狙ってたんだ。これで契約の話が流れるのは悔しい。それに、俺は千尋とだったらいい音を創れるような気がしてるんだ。どう? 俺たちと演ってみないか? 試しにさ、どっかのスタジオでジャムってみようよ」
——チャンスだ!
思ってもみなかったメジャーデビューというチャンスが目の前に転がり込んできた。
でも、すぐには返事ができない。
今のメンバーに義理もあれば情もある。何もわからないまま青蘭学園の中等部に編入してきた千尋に偏見を持つことなく、最初から「仲間」として接してくれた彼ら。そのお陰で今まで楽しく過ごせたし、今の自分があると言ってもいい。
そう思う半面、プロとして世間から認められるだけの実力が欲しいのは事実だ。それは千尋にとって本当に手にしなければならないものだから。
「少し……、考えさせてください」
メジャーデビューが近いと噂されるルシファーからの誘いは、千尋を悩ませた。今のバンドを続けていくか、ルシファーに移るか、答えが出せなかった。
学校で仲間の顔を見ると、長年ツルんでいた彼らから離れようとしている自分を自覚して胸が痛む。その一方、アマンドでルシファーの演奏を聴くと、一緒に演ってみたくてたまらなくなる。苦しい。
* * *
学校帰りのいつもの道を、佳菜子と並んで歩く。
「『Gクレフ』寄ってかね?」
千尋が佳菜子を誘った。
ミルクティーを注文すると、千尋は佳菜子に切り出した。
「ルシファーってバンド、知ってるだろ?」
佳菜子は「あぁ」と頷いた。
「アマンドで演ってる、千尋がカッコイイって言ってたバンドでしょ?」
「うん。そこのリーダーから、自分のバンドに来ないかって誘われてんだ」
佳菜子が目をまん丸にした。
「えーっ!? それって、もしかして、引き抜き?」
千尋は苦笑いした。
「ま、そういうこと。メジャーデビューがほぼ決まってたんだけど、ヴォーカルが変わって話が流れたんだって。で、スカウトマンが俺を欲しがってるんだってさ。トライデント・ミュージックって事務所だから、マジでメジャーなとこだぜ」
「へーっ! すごーいっ!」
佳菜子は無邪気に喜んでいる。そんな佳菜子の様子を見ると、嬉しくもあり、可愛いと思う。でも、今の仲間のことを考えると、喜んでいるわけにはいかない。千尋は目を伏せた。
「デビューできるチャンスなのに、なんでそんなに辛そうな顔するの?」
佳菜子が不思議そうに千尋の顔を覗き込む。千尋は佳菜子から目を逸らした。
「おじさまに許可がもらえるか心配してる?」
「父さんには、なんとか頼み込むよ。活動期間の制限を設けられる可能性はあるけど、ダメだとは言わないだろう。それより、ハルやトシやタカシのこと考えると……。俺一人の意思で決めるわけにいかない気がする。今まであいつらには本当に助けられたし、あいつらがいなかったら、俺は日本に、学校に馴染めてたかどうか……」
千尋は俯く。佳菜子が言った。
「おじさまが許して下さるなら、それに、千尋が本当にルシファーで演りたいと思うなら、こんなチャンスないよ。メジャーデビューなんて、望んでも掴める人少ないのに。みんなに遠慮しなくても……」
千尋は首を振る。
「遠慮ってわけじゃない。みんなでウェンブリー目指そうなんて言っといて、今になって俺だけの我が儘で抜けるなんて虫が良過ぎるだろ? 俺があいつらの立場だったら『コノヤロー、勝手なこと言いやがって、ふざけるなっ!』って思うぜ、きっと」
「そうかもしれないけど……。このまま大学部に進学したら、その先どうなる? トシくん家もタカシくん家も大きな会社経営してるし、ハルくんは総合病院の跡取りだよ。みんなそれぞれのレールに乗って歩いていくことになるんじゃないかな。だから千尋だって千尋のことを一番に考えて決めればいいよ。みんな、きっとわかってくれるよ」
佳菜子の言うことはわかってる。バンドのメンバーもそんなふうに言うかもしれない。けど、それで済ませていいものだろうか……。
「千尋……。千尋は、正直にどうしたいの? 千尋自身の正直な気持ちはどうなの?」
佳菜子が身を乗り出して訊いた。彼女のまっすぐな瞳が、自分の視線とぶつかる。この目には嘘をつけない。
「俺は……、ルシファーで演ってみたい」
苦しさに顔が歪む。それに気づいてるのか気づいてないのか、佳菜子の元気な声が耳に届く。
「ほらぁ! やっぱ千尋はそうなんじゃん。だったら誰にも遠慮することないよ。みんなに話して……。あ! あたしから言ってあげよっか?」
「バカ。こういうことは俺がちゃんと話さなきゃ」
焦った千尋に、佳菜子はにっこりと笑いかける。
「だね。じゃ、ちゃんと話すんだよ。もう悩んじゃダメだよ」
……。ハ……ハメられた……。佳菜子には勝てない。
週末、スタジオでの練習の前、千尋はバンドのメンバーに正直にスカウトのことを話した。
「ごめん……」
経過を説明し、最後にそう言ったが、誰からも反応はなかった。スタジオに長い沈黙が流れる。たまらなくなって、千尋はもう一度口を開いた。
「ほんとに、ごめん……」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、タカシが苦々しそうに言った。
「おまえ……。一緒にウェンブリー目指そうって言ったんじゃねーのかよ? 自分がウェンブリー・スタジアムに立つためには、俺たちはいらないってのかよ!?」
千尋が苦悩に満ちた瞳でタカシに顔を向ける。
「そういうわけじゃ……」
千尋の言葉を遮るように、トシが口を開いた。
「俺たちが下手だから……、上達しねーから……、仕方ねーよ。千尋は歌も上手いしルックスも飛び抜けてっから、こうなって当然だよな」
「そういうつもりじゃねーよ! 俺だって、この四人で一緒にデビューして一緒に武道館やウェンブリーに立ちたかったさ。でも、それよりも、俺はこの道で絶対成功しなきゃいけないんだ。そうしないと……」
なんて言って説得すればいいんだろう。彼らが納得してくれないのはわかってた。けど……。
千尋は言葉が見つからず、項垂れて唇を噛んだ。タカシが千尋に詰め寄る。
「意味わかんねーよ。だいたいさ、中二のときからずっと一緒にやってきたのに、自分だけ他のバンドに乗り換えてデビューか!? ズルくね!?」
強く腕を掴まれ、殴られると思って千尋は思わず横を向き目をギュッと閉じる。
「待てよ」
声をかけたのは、それまで黙ってみんなの様子を見ていたハルだった。アンプに座り、冷静な顔でこっちを見ている。
「俺もさ……、アマンドはもうやめようと思ってたとこなんだ」
「え?」
みんなが驚きの目でハルを見つめる。タカシは千尋の腕を放し、ハルに向き直った。
「どういう……意味だ?」
「ぶっちゃけ、俺そろそろマジで受験勉強に入らないとヤバいんだ」
「え……、おまえ、この前の模試、学年で三位じゃなかったっけ? 青蘭の大学部なら、遊んでても行けるだろ?」
「そうなんだけどさ……。俺、親父の跡を継いで医者になることに決めたんだ。だから、大学は青蘭じゃなくて京大に行くつもりなんだよ」
「京大……」
青蘭学園高等部の生徒は、ほぼ全員がエスカレーター式に大学部に進学する。大学部には医学部もあるので、ハルが他の大学の受験を考えていたなんて誰も想像していなかった。
「全国模試の成績がなかなか上がんなくてさ、正直、アマンドのステージをずっと続けるのはヤバいなって思ってたんだ。浪人なんてことになったらカッコ悪ィだろ」
みんながハルをじっと見ている。ハルの言葉は力強かった。
「みんなと同じ青蘭の大学部じゃなくて悪いけど、俺は俺の決めた道を行く。だから、千尋も千尋が望む道を歩いてほしいと俺は思う」
室内がシンとした。
しばらくして、トシが半ベソで呟く。
「ノーティ・ボーイズは、解散か……」
ハルがクスッと小さく笑って言った。
「前みたいにスタジオで月二くらいなら、続けてもいいぜ」
「だけど、千尋がいなくなったら、誰がヴォーカルやんだよ?」
「おまえやれよ。コーラスじゃいい声してんじゃん。ヴォーカルやってみろよ」
「えっ? 俺が? 千尋みたいにカッコよくできねーよ」
戸惑うトシに千尋が言う。
「俺の真似する必要はないさ。おまえが思ったように歌ってみろよ。試しにちょっとやってみねーか?」
「えー、恥ずいな」
イントロが流れ、貸スタジオの小さな部屋にいつもとは少し違う元気な音楽が響く。
読んで下さりありがとうございます。
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