第十二章 クリスマス・イブ
翌日は終業式だった。
下校の前、千尋はハルを呼び止めて、教室の隅で昨日の出来事を話した。
「言ってくれればいいのに、黙ってるんだからさ……」
「お前に言って、もし鑑定で違う結果が出たら、おまえもっと落ち込むだろ。もっとも、俺は確信があったからおじさんに勧めたんだけどさ」
自信たっぷりに言うハルの表情を見ながら、千尋は彼の中に静かな優しさを感じた。
「ホントはもっと早く結果出してやりたかったんだけど、どうやって鑑定まで話をもっていったらいいかずっと考えてたんだ。佳菜子から電話受けたとき、やっとその時が来たと思った。時間かかって悪かったな」
「いや……。サンキュ……ハル」
心からの感謝を伝えたかったけど、それ以上言葉がみつからなかった。
「気にするなって。いい結果になってよかったよ」
千尋の肩をポンと叩いて、ハルは廊下に歩いて行った。
エントランスで佳菜子が待っていた。並んで外に出る。
「二学期が終わったな。あとは自由登校。もう卒業式まで学校に来ないかもな」
「えー、たまには一緒に登校しようよ」
二人はいつものように話をしながら駅に向かう。
「んー、でもバンドが忙しいんだよな」
「そっか。明日の土曜日もレコーディング?」
「うん。レコーディング自体はだいたい終わったんだけど、ミキシングとか選曲とか、PVも撮らなきゃいけないし、取材も少しずつ入ってるし、やることがいっぱいあんだよ」
佳菜子は寂しそうに下を向く。
「そうだよね……」
千尋は佳菜子を斜めに見下ろした。
「なーにイジケてんだよ。時間ができたら遊んでやるよ」
佳菜子は顔を上げて目を輝かせた。
「じゃ、今から遊びに行こ!」
「ごめん、今日は予定があんだ」
「えー、ダメなのぉ?」
「うん。ごめんな。また電話するよ」
言って千尋は佳菜子の頭をくしゃっと撫でる。
「千尋のケチ」
「しょーがないだろ。俺、身体ひとつしかないんだから。カンベンしてくれよ」
結局、佳菜子の家に送って行くまで彼女の機嫌は直らず、千尋はなだめるのに苦労した。
家に帰った千尋は私服に着替えて、再び駅に向かった。この日の彼の「用事」のほとんどは、翌日のクリスマス・イブのためのウインドウ・ショッピングだった。両親と、それから佳菜子にも、クリスマス・プレゼントを渡したい。彼はそのためにいくつかの店を回った。
ティファニーのウィンドウで可愛いリングをみつけた。十八金の台に小さなリボン型の飾り。その中央には小さなハート形のピンク・サファイアが乗っている。佳菜子に似合いそうだ。
千尋は店に入り、店員に頼んでそのリングを手にとった。
「サイズはよろしいですか?」
「え……」
指輪のサイズ……。佳菜子から聞いたことはない。というより、佳菜子は普段、指輪なんかしないのだ。彼女に指輪をプレゼントしたことなどないし、手もほとんどつないだことがないので、感覚的にもわからない。
考え込んだ千尋を見て、店員がにこやかにゲージを出してくる。
「ディスプレイのものは、このサイズ、七号です。十代の女性だったら、七号か八号のかたが多いですよ」
佳菜子の指を思い出してみる。Gクレフで自分に向き合い、ティーカップ片手に喋る佳菜子の姿が千尋は好きだ。カップを持つ華奢な指。ゲージを見ても、おそらくこれで大丈夫じゃないか。
「万が一合わなければサイズ直しは可能ですので」
「じゃあ、これを……」
トライデント・ミュージックの契約金や給料などがある程度入るので、ファッション・リングなら自分の収入で買える。可愛くラッピングされリボンの掛かった箱を受け取った。佳菜子が喜ぶ姿が思い浮かぶ。
イブの土曜日、千尋はいつもの週末と同じく、ビート・エコーのスタジオにいた。メンバーとスタッフたちでアルバムの選曲についての話し合いが続く。メンバーにはそれぞれ気に入った曲があり、ああだこうだと意見が出たが、ジェフがそれをうまく裁いて、アルバムの形が見えてきた。
渚が、テーブルを挟んだ向かい側に座っている千尋に、ニヤリと笑いを浮かべて言う。
「最後は、千尋のバラードで締め、な」
千尋は何かを考えているみたいで、反応がなかった。
「おい、千尋、聞いてんのか?」
千尋はハッとして渚に目を向ける。
「ごめん、なに?」
渚はからかうように言った。
「彼女と今夜どうやって過ごそうとか考えてんじゃねーだろうな。おまえの曲をラストに入れようって話だよ」
メンバーたちの冷やかしの笑いと口笛に狭いミキシング・ルームが包まれる。
「考えてないよっ!」
千尋は半分ふてくされたように言った。
その様子を笑って見ながら、渚が提案する。
「俺、『No Reason』のカップリング、『Miss You』がいいと思ってんだ」
すると翔が大きく頷いた。
「あ、それ、俺も考えてた。『No Reason』がアップテンポのロックだから、『Miss You』とならバランスがいいと思ってさ。俺たちの音楽の幅広さもアピールできると思うし」
ジェフが、ふむ、と腕を組む。
「なるほど。その方向で考えてみよう。今日のアイデアで出た曲順は、明日までにCDに落としておく。それを聴いてから正式決定しよう。ってことで、千尋が忙しそうだから、今日はこれで終了」
アハハと部屋に笑いが広がり、千尋は少し拗ねた顔をした。メンバーはみんな二十歳過ぎているので、まだ高校生の千尋はオモチャにされている。でもそれが仲間としての親しみの表現だということは、誰もが知っている。
スタジオを出たその足で、千尋は佳菜子の家に向かった。フラワーショップに寄り、佳菜子の家の前に着いたらもう九時を過ぎていた。携帯電話を取り出し、佳菜子の番号を表示して通話ボタンを押す。しばらくして彼女の声が聞こえた。
「はい」
「俺」
「うん、どうしたの?」
千尋は弾む息を押さえて答える。
「今、おまえん家の前まで来てるんだけど、少し出て来れない?」
「んーと、ちょっと待って」
しばらく保留音が流れたあと、再び彼女の声が聞こえた。
「少しだったら。今出るから待ってて」
携帯をポケットにしまって、高いコンクリートの壁を背に彼女を待つ。
彼女の家は高台にあるので、眼下には街の灯りが広がる。いつもにも増して、光り輝いているような気がする。あの灯りの数だけ人がいて、その数だけ幸せがあるのだろうか。そう思うと、この寒空でもなんだか心が温かくなり、自然と笑みが浮かぶ。
キィ……と音がして振り向くと、白いニットのジャケットを羽織った佳菜子が門から出てくるところだった。パールをあしらった髪飾り、白い膝丈のワンピース、淡いパールピンクのルージュ。パーティーでもあったのだろうか。
「千尋」
「おう。ごめんな、遅くに呼び出して」
「ううん」
佳菜子はにっこりと笑って千尋の前に立った。見慣れた笑顔。黒い瞳が街灯に照らされて、きらきらと輝いている。
「きれいじゃん。どうしたの? パーティーでもあった?」
「うん、ちょっと……」
佳菜子が後ろめたそうに視線を逸らした。
「ちょっと……なんかあったのか?」
佳菜子はひとつ息を吐くと、観念したように告げた。
「お父さんに……お見合いさせられて……。だから早く戻らなきゃいけないんだ」
「お見合い……?」
千尋の顔つきが厳しくなる。
「なんだよ、それは!? おまえ、俺と付き合ってんじゃねーのかよ?」
「あたしだって、お見合いなんかしたくなかったよ」
「じゃあ、断ればいいじゃん」
「何度も嫌だって言ったんだよ。でもお父さんが、取引先のご子息だから断れないって、会うだけでいいからって言われて……」
「おまえが会わなきゃ済むことじゃん」
「お父さんに恥かかすわけにいかないもん。仕方ないでしょ。なんでそんなに責めるのよ!?」
「会社とおまえとは関係ないだろ」
「お父さんの顔があるのよ。会うだけだって言ってるのに、なんでわかってくれないのよ、千尋のバカッ!」
佳菜子はくるりと身を翻すと、駆け出して門の中に入っていった。
「佳菜子!」
千尋は慌てて佳菜子を呼び止めたが、彼女は玄関への道を駆けてゆき、振り返る事はなかった。
彼女の姿が玄関の向こうに消えるのを見ながら千尋は拳を握りしめた。今日は彼女を喜ばせるつもりだったのに。そのつもりでここに来たのに……。
「Shit!」
コンクリートの壁を苛立たしげに拳で叩いた。
ショックだった。
——見合い!? 冗談じゃねぇ!
佳菜子がまさか見合いをするなんて思ってもいなかった。
以前ハルから佳菜子を狙ってるヤツが何人かいると聞かされはしたけど、あのときは佳菜子と別れることしか考えていなかったから、彼女にいい彼氏ができるならそれでいいと思っていた。いや、正直なところ、絶対に別れないと言った佳菜子の心が簡単に自分から離れていくなんてあり得ないと心の底で思っていた。
けど、見合いとなると話は別だ。結婚が前提であり、当人の感情なんて関係なしに周りの都合で話が進んでいく可能性がある。父が母との結婚を反対されたとき、何度も見合いをさせられそうになったと両親から聞いているので、実業家の家にとって見合いとはどういうものかということはよくわかっている。
佳菜子を自分の知らない誰かに取られるなんて……。そんなことを考えたらどうにかなってしまいそうだ。
壁に背を預けて立ちすくんだ。目を天に上げてみる。澄んだ空に星が瞬いている。赤、青、白……。なんて奇麗なんだろう。どれもが凛として、堂々と自分を主張しているように見える。それに比べて、自分はなんてちっぽけなんだろう。
あの星のように輝いていたい。誰にも恥じないように、堂々と生きていきたい。そして、誰にも負けないほど佳菜子を愛し続けたい。
——俺はまだまだ子供だ……。大人になりたい。強くなりたい。父さんのように……。
母との結婚を反対されて、それでも何年も愛し続け、結婚できると信じてそのときを待ち続けた父を、千尋は尊敬している。父のような人間になりたいとずっと思ってきた。
その場に座り込み、膝を抱えて顔を伏せた。
大切な女性ひとり、このイブの日に喜ばすことができない。情けない……。自分はなにをすればいいのだろう。今、なにができるだろう……。
どのくらい経っただろうか。首元にふわりと柔らかいものを感じた。驚いて顔を上げると、目の前にひざまずいた佳菜子がいた。千尋の肩に白いブランケットを掛けてくれていた。
「寒いでしょ?」
「ん……、大丈夫」
「ごめんね。お母さんに怒られちゃった。千尋くんがせっかく来てくださったのに、なんですか、謝ってきなさい、って。怒ったりしてあたしが悪かった。ごめんなさい」
佳菜子は頭を下げた。
素直なあまり感情に任せて怒りだす。だけど自分が悪いと思ったら誠実に謝る。いつもの佳菜子だ。
「いや……。俺も悪かったよ。佳菜子の立場を考えないで」
「ううん、千尋は悪くない。あたしが悪かったの」
言って、佳菜子は千尋の肩に掛けられた大きなブランケットを整え、シルケボーのペーパーバッグを彼の隣りに置いた。
「これ、千尋のクリスマス・プレゼントにと思って用意してたの。持って帰って、あたしの代わりに一緒に寝てやって」
佳菜子がいたずらっぽく笑う。千尋もつられて笑った。
「なぁーに言ってんだよ」
千尋は左手でブランケットの端を掴み、その手を上げて自分の隣りに空間をつくった。
「来いよ」
佳菜子は少し躊躇いながらもその空間に入って座った。千尋は佳菜子の左肩をブランケットの半分ですっぽりと包む。二人でひとつのブランケットに包まれると、肩が触れ合って佳菜子の心臓がドキドキ言い出し、その音が千尋にも聞こえるんじゃないかと緊張する。
「佳菜子……」
千尋の穏やかで優しい声が聞こえたが、佳菜子はドキドキが止まらなくて、恥ずかしくて下を向いたままでいた。千尋の声が続く。
「おまえは俺がもらってやるよ。だから、もう他の男と見合いなんかすんな」
——え?
驚いて顔を上げると、千尋の視線とぶつかった。いつもと変わらない涼しい顔。ただ佳菜子を見下ろす緑の瞳は熱くきらめいて、彼の真剣な想いが迫ってくる。佳菜子はますますドキドキして慌てて目を逸らし、自分でもわけのわからないことを呟いていた。
「ずっ……ずいぶん上から目線ね。もらってやるってなによ。あっ……あたしはね、犬や猫じゃないのよっ」
うろたえる佳菜子が可愛くて、千尋はくすっと笑った。
「じゃあ、おまえのいいように言い直すよ。なんて言ってほしい?」
「いっ……いいわよ、もう」
佳菜子は焦って次の言葉を探した。
「そうだ。お母さんが、寒いだろうから入ってお茶でも飲んでいってもらいなさいって」
千尋はちらりと腕時計を見た。
「サンクス。でももう遅いから帰るよ。よろしく伝えておいて」
言いながらブランケットをたたみ、バッグに入れて立ち上がる。そして持って来た花束を無造作に佳菜子に差し出した。
「メリー・クリスマス」
両手で抱えるほどのピンクの薔薇。受け取ると、いい香りが広がる。
「ありがとう……。あれ?」
花束の中に埋もれるようにリボンが掛けられた小さな箱が覗いていた。佳菜子は手に取ってみる。
「開けてみな」
千尋が花束を取ると、佳菜子はリボンを解いて中を見た。箱の中から金色のリングが現れた。
「わぁ……、かわいい」
「サイズがわかんなくてさ」
言いながら千尋がリングを取り出して佳菜子の指にはめると、それはあつらえたようにすんなりとおさまった。
「ぴったり」
「ヨッシャーッ!」
ガッツポーズで自分以上に喜ぶ千尋見て、佳菜子は笑い出してしまった。
「ありがと。大切にする」
「ん。じゃ、またな」
千尋は花束を佳菜子に返し、唇を佳菜子の唇に軽く触れた。
千尋からしてくれた初めてのキス。それはあまりに突然で、一瞬で、自然だった。
「風邪ひくなよ。おやすみ」
少し恥ずかしそうに微笑んで、彼は駅に向かって走っていった。
佳菜子はそっと唇に指を当てて、高鳴る心臓を抱え彼を見送った。
——千尋の描く「これから先」にあたしはいるよね!? あたしたち、一緒に歩いて行けるよね? これからもずっと一緒だよね……?
諸事情で投稿が遅くなりました。
楽しんで読んでもらえると嬉しいです。
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これからもよろしくお願いします。




