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千尋  作者: 篠崎葵
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第一章 バレンタイン・デー

 バレンタイン・デー。それは、女の子が好きな男の子にチョコレートを渡して想いを告白する日……らしい。


 青蘭せいらん学園中等部二年の一条千尋いちじょう・ちひろはその日、学園内の女の子から山ほどのチョコレートをもらった。ほとんどすべての女子から渡されたと言ってもいいかもしれない。

——なんでバレンタイン・デーに女子からチョコレートなんだよ? 男子が好きな子にカードを贈る日だろ?

 イギリスに住んでいたとき、日本語の家庭教師からこの不思議な習慣を聞いたことはある。けど、やっぱり変だ。どうしても違和感を覚える。っていうか、これ、全部食べなきゃいけないんだろうか。確実に虫歯になるぞ。

 通学用のスクールバッグとは別に大きな袋を抱えて階段を降りる。一階のフロアに足を置いたところで、またも女の子の声が聞こえた。

「一条くん!」

 少し先の廊下に女の子がひとりで立っていた。真直ぐにこっちを見ている。標準的な背丈。セミロングのストレート・ヘア。見覚えは、ない。

 彼女は小走りに千尋の傍に寄ると、スクールバッグに手を入れて言った。

「あの、これ……」

 バッグから出されたものは、緑色のリボンが掛かった小さな箱。中身は想像できる。チョコレートだ。またか……。

「受け取って下さい」

 彼女は下を向き、両手を伸ばして千尋に差し出した。

 今日、何度同じシーンを繰り返しただろう。千尋はいい加減嫌気がさしていた。

「ありがとう」

 無表情で言い、彼女の手からチョコを取った。そのままホールのほうへ歩いていこうとしたとき、彼女が再び呼び止めた。

「あのっ!」

 千尋は左耳のうしろでひとつに結ばれた長いブロンドを揺らして振り向き、深い緑の瞳で彼女をじっと見る。彼女は頬を染めながら、恥ずかしそうに、でもはっきりと言った。

「もしよかったら、私と付き合ってもらえませんか」

 一瞬驚いた。チョコレートをくれる女の子はたくさんいるど、直接交際を申し込む子はそれほど多くはない。千尋の人気は半端じゃないから、最初から諦めている子は少なくないのだろう。それでも、中にはこんなふうに告ってくる子もいる。

 千尋は彼女に向き直って腕を組み、僅かに顔を傾けて言った。

「なんで? 俺のどこがいいの?」

 今日告ってきた他の女の子たちにも同じ質問をした。どの子も「素敵だから」とか「自分の理想そのものなので」とか「長いブロンドと緑の瞳に惹かれて」とか、正直わけのわからないことを言う。そういう子たちには「ごめんね」と断ってきた。

 この子が今日最後のお断りになるといいけど——千尋はそう思いながら彼女を見つめ、その返事を待った。

「あたし……、十月の学園祭で一条くんたちのバンドの演奏を聴いて、なんだか感動しちゃって……。それに、一条くんがギター弾いて歌ってるの見てすっごく素敵だって思ったし、それで……」

 千尋は意外に思った。みんなが自分の外見だけを褒める。音楽のことを言われたのは初めてだった。しかも、彼女は去年の学園祭の時から想いを寄せてくれていると言う。

 音楽は、千尋にとって特別なものだ。そこに注目し、感動したとまで言ってくれる女の子に初めて出会った。素直に嬉しい。

 もう一度、彼女をよく見てみる。黒目がちの大きな瞳。肩に掛かるストレートの髪。白い肌。なかなか可愛い。千尋は自分の心から、ドキドキ、ワクワクする感情が沸き上がるのを感じた。

「いいよ。付き合おうか」

「えっ……?」

 彼女は、信じられないという顔をして千尋を見上げた。

「クラスと名前は?」

「2−Cの香月佳菜子こうづき・かなこです」

「携帯持ってる?」

 千尋は自分の鞄を探り、メタリックブルーの携帯を出した。佳菜子も慌てて鞄から赤い携帯を出した。

「これです」

 千尋は受け取りながら言った。

「携番、交換していい?」

「もちろん!」

 佳菜子は嬉しそうに笑った。

 千尋は二つの携帯を並べて手早く操作した。

「はい、俺の携番とメアド入ってるから。気が向いたら電話でもして」

 佳菜子の掌に携帯を乗せる。

「じゃ、またね」

 にっこりと笑って片手を上げると、千尋はホールから外に出た。

 二月の風は寒い。なのに、千尋にはそれがどこか暖かく、優しく感じた。


 夜になって、千尋は宿題をするためスクールバッグを開けた。何気なく携帯を机に置く。

——そう言えば……。

 携帯を開いて、アドレス帳の名前を確認する。香月佳菜子の名前は確かにそこにあった。

 再びバッグを探り、彼女がくれたチョコレートの箱を取り出す。ラッピングがぎこちない。手作りなんだろう。開けてみると、中には丸いトリュフが並んでいた。

 ひとつ摘んで食べてみる。とろけるような食感。適度な甘さ。美味しかった。千尋は七つ入っていたトリュフを続けて食べた。

 携帯を開き、メールを打つ。

《今日はありがとう。チョコレート美味しかったよ。一気に食べちゃった》

 ほどなくして、返信が来た。

《私こそ、どうもありがとう。喜んでもらえてよかった。甘いもの嫌いだったらどうしようって思ってたから》

 瞬時に佳菜子の顔が鮮明に思い浮かんだ。携番を交換したときの嬉しそうな笑顔。もう一度あの笑顔を見たい。

——デートに誘おうかな。

 クラスが違うから、学校ではほとんど話す機会がない。というより、声をかけられるまで佳菜子の存在すら知らなかったくらいだ。デートに誘ってゆっくり話をすれば、彼女がどんな子かわかるだろう。幸い、明日は土曜日だ。

 千尋は返信を打った。

《甘いもの、大好きだよ。一緒に食べに行こうか。明日は何か予定ある?》

《嬉しい。場所と時間を指定して下さい。私はいつでもOKなので》

 ふたりは初めてデートすることになった。


 二月の中旬は、一年のうちでも一番寒い時期だろう。

 土曜日は、雪こそ降っていなかったけど、真冬の風が肌を射すように寒かった。

 午後、約束の時間に千尋が学校近くの駅に行くと、佳菜子はもう駅前のプラタナスの木の下に立っていた。バーバリーのマフラーに赤いダッフルコート。彼女によく似合って可愛い。

「待った?」

 背後から肩をポンと叩くと、佳菜子は驚いたように振り向いた。千尋を認め、はにかんだように微笑む。

「ううん、今来たとこ」

 ああ、この笑顔が見たかった。千尋の心が踊る。

「よかった。じゃ、行こっか」

 親指を立てて道路の先を指す。

「うん」

 二人は並んで歩き出した。

「何食べたい? ケーキ? クレープ? それともパフェ?」

 千尋が佳菜子を見下ろして訊くと、佳菜子は顔を上げて千尋を見た。

「あの……、一条くんて、身長何センチ?」

「えっ……?」

 自分を真直ぐに見上げる黒い瞳。いくぶん身長差があるのを気にしたのだろうか。自分の問いに答えず唐突に発せられた問いに、千尋は戸惑いながら答えた。

「えっと……、百七十五……だったかな。まだもう少し伸びそう」

「伸びるよ。まだ中二だもん」

「佳菜子は?」

 突然ファーストネームで呼ばれたことに戸惑ったのか、彼女は恥ずかしそうに下を向いて答えた。

「あたしは百五十二センチ。もうちょっと伸びるといいな」

「伸びるよ」

 佳菜子は嬉しそうに笑った。


 しばらく歩くと、知った名前のカフェが千尋の目に入った。

「あ……」

 言って立ち止まる。木造りのカフェの前だ。入口の上に掛かった木製のプレートには「G clef(Gクレフ)」と書かれている。千尋は僅かに腰を屈め、佳菜子を見下ろして言った。

「ここ、チョコレートケーキが旨いんだ。食べてみる?」

「うんっ!」

 佳菜子は千尋を見上げてにっこりと笑った。

 可愛い。こっちも思わず微笑んでしまう。誘ってよかったと思った。


 運ばれてきたチョコレートケーキを食べながら佳菜子が言った。

「美味しい……。ここ、よく来るの?」

「バンドのヤツらとときどきね」

「そうなんだ。一条くんて、ホントに甘党なんだね」

「俺だけじゃないぜ。トシもハルもタカシも、みんな甘党さ」

「えーっ、マジ? みんなでチョコレートケーキ食べるの?」

「そっ」

「あはは。なんか、想像つかないー」

 佳菜子の表情は生き生きしている。それに、いろんなことに興味があるらしい。話していて退屈しない。


 千尋はイギリス人の母と日本人の父との間に生まれたハーフだ。去年の春、中学二年になるのに合わせて、イギリスから母と二人で父のいる日本にやってきた。

 一条家は屈指の名家だし、母も貴族の娘であるため、両親は周りから結婚を反対され、入籍しないまま日本とイギリスとで離れて暮らしていた。日本の祖父母が亡くなり、父は千尋と母を日本に呼び寄せ、やっと正式に結婚できた。

 日本に来たばかりの頃は、知らない国での生活に不安が半分、そして新しい生活への期待が半分だった。

 学校に通うと、ブロンドで緑の瞳をした千尋は、外見が完全にイギリス人ということもあって、すぐに学校中の有名人になった。最初の何日かは、他のクラスの生徒までもが集団で廊下の窓越しに千尋を見に来たり、同じクラスの生徒から興味本位でプライベートなことをあれこれ訊かれ、嫌気がさしていた。

 そんなとき、洋楽が好きだったトシこと早見俊也はやみ・としや、ハルこと水島春樹みずしま・はるき、タカシこと斎藤崇さいとう・たかしの三人は、本場イギリスの音楽の情報を得ようと、千尋に話しかけてきた。日本語でのコミュニケーションに問題がないとわかると、彼らとは一気に仲良くなり、すぐにバンドを組もうということになった。トシがギター、ハルがベース、タカシがドラムス、そして千尋はギターとヴォーカルをすることになった。バンド名は「ノーティ・ボーイズ」。

 三人のバンド仲間が自分を受け入れてくれたことで、どれだけ毎日が楽しくなっただろう。彼らがいなければ、学校生活や日本での暮らしが嫌になっていたかもしれない。彼らは千尋にとって救世主とともいえる大切な仲間だ。


「ね、一条くん。学祭でった曲は、なんて曲? 洋楽もあったよね。あたし洋楽ってよく知らなくて」

 千尋は紅茶を飲む手を止めて天井のほうに目をやり、思い出しながら言った。

「んーと、何演ったかな。L.A.ガンズの『ノー・マーシー』と、ビートルズの『カム・トゥゲザー』だろ、それと……」

 そこまで言うと、千尋は佳菜子に視線を向けた。

「よかったら、今度オリジナルのCD貸してあげるよ」

「ホント? 嬉しい!」

 佳菜子は目をキラキラさせて喜んだ。

 二人は他愛ない話を続けた。


 外に出ると、冬の風が冷たかった。暖かいカフェの店内とは違って寒い。でも、佳菜子と音楽やいろんな話で盛り上がったから、北風もさほど苦にならない。

「どうもありがとう。ごちそうになっちゃって」

「どういたしまして。誘ったのはこっちだし、チョコのお礼とでも思ってて」

「うん」

 二人並んで、どこに行くともなく歩く。

「一条くん、明日の日曜日は何してるの?」

「明日はバンドの練習。スタジオに篭ってるかな」

「そっか。じゃ、次に一条くんに会えるのは、学校かな」

「佳菜子さぁ……」

 千尋が緑の瞳でちらっと佳菜子を見下ろす。このとき千尋は、許されるなら、この子と真面目に付き合ってみたいと思った。もし本当に許されるのなら……。

「俺のこと、一条くんじゃなくて、千尋って呼び捨てにしてくんない? 俺たち付き合ってんだろ? クラスの男子はみんな千尋って呼んでるし、女子だって千尋くんって呼んでるのに……」

 佳菜子は驚いた顔をして千尋を見上げ、それから恥ずかしそうに下を向いて言った。

「うん、わかった……」

 歩道のアスファルトに、白い雪が風に乗って花びらのようにひらひらと舞い降りてきた。

お読みいただき、ありがとうございます。

バレンタイン・デーから始まる話なので、明日のバレンタイン・デーを控えて第一話を投稿しました。

毎週末の投稿をと考えていますが、推敲がまだ完全にできていないので、不定期になるかも、です。

感想などいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。

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