優しい人
「あなたの優しいだけの人ね」
……ああ、このセリフを聞くのは何度目だろう。
「あなたの優しさは弱さからきている」
「優しいだけで刺激がない」
「受け身の優しさで、真実の優しさではない」
いつもそう言って彼女たちは去って行った。
男は子供の頃から人に優しくされた経験がなかった。
親は無関心で、学校では反抗的な目をしていると教師に睨まれた。
男同士の関係はまるで動物のようだった。
なわばり、メンツ、だれがボスか。
だが一人だけ優しくしてくれる人がいた。
決して派手ではないが、柔らかい雰囲気の女性だった。
初めて好きな女性ができた男は、全力で優しくしようと務めた。
常に彼女にプレゼントを贈り、否定せず笑顔を絶やさず、
すこしでも不愉快そうならすぐに謝った。
そして意を決して彼女に愛を伝えた。
彼女は少し困ったように男に告げた。
「ごめんなさい、あなたはいい人だけど……」
失意の男に級友たちの声が聞こえた。
「まったく、もてない男は優しくされるとすぐ人を好きになるなぁ」
そんなことは何度もあった。
それでも男は女性たちに優しく接し続けた。
便利な人間として利用されても良いと思っていた。
いつか誰かが自分を愛してくれると思っていた。
だがそれでも、また拒絶された。失意のまま男は街を彷徨っていた。
『優しいだけの男なんて何の価値もない』
そんな言葉が目に入った。広告まで俺を否定するのか。
だが気が付くと建物に入っていた。
そこは持てる男を目指すというセミナーのようなものだった。
主催者と思わしき男がまくし立てていた。
「自分が優しいなんて言っている男はだめだよ。それしか価値がないから、優しいなんて言うんだ。金、社交性、権力、ユーモア、才能、それがすべてを手に入れる努力をした上で優しい男に価値があるんだ。俺がお前らをそういう男にしてやる」
吸い込まれるように男はセミナーに参加していた。
だがうんざりするようなことばかりだった。トーク力だ、コミュニケーション能力だと言って指導を受ける。だが彼らが成功者だというセミナーの幹部たちに、まったく魅力を感じなかった。こんな人間にならないと女性にもてないのかと思うと、暗澹たる気分になった。
男はいつしか他人に優しくするのをやめていた。ただ仕事を淡々とこなす。
そうすると次第に仕事が評価され、周りからも一目置かれるようになった。
また女性からもミステリアスだとか媚びていないと評価され、いつの間にかモテるようになっていた。
しかし男はそんな女性をすべて無視して仕事に邁進した。
男はついに自ら事業を立ち上げた。ビジネスライクに淡々とこなし、時には非常な判断も必要だったが、だれにでも平等にドライに接していた男は逆に信頼され、事業は拡大していった。
「ああいう人こそ本当は優しいのよ」
「自分に自信があるから、優しいふりなんてしないんだわ」
勝手な解釈で男は優しいと評価されていた。
男は小さな村に会社を移転した。その村は男の会社による税金と仕事により成り立つようになり、事実上男が村を支配するようになった。
そしてその村の女性に結婚を申し込んだ。女性は社長をまったく知らなかったが、周りの圧力で断ることはできなかった。
そして男とは結婚当日まで会うことはなかった。
女性は暗い部屋に通された。
そこには男が一人座っていた。
「まったく、自分の欲望を満たすのにこんなに苦労するとは。金と権力を手に入れて、ついに自由を手に入れた」
男が一人ブツブツつぶやく様子を、女性は不気味に思った。いったいこの男は金と権力で自分をどうするつもりなのか。しかも特別美人でもない自分を、どうして選んだのか。
恐る恐る男に近づいて驚いた。
「あ、あなたは!」
それは学生時代に自分に告白してきた唯一の男子だった。
あの時は自分でもわからなかった。ただ優しかったあの人に惹かれなかったのは、心の底が見えなかったからだった。今なら少しわかる。あの人は優しさを求めて、人に優しくしていたのだ。
「自分の欲望を通すにはこうするしかなかった。おまえはもう私のものだ。泣こうが喚こうが、私のやりたいようにやらせてもらう」
男はのそりと立ち上がった。
「これからは、ただ優しくしてやる。
刺激も何もない、無限に優しい男としてな……」
そう言って笑う男は、どこか悲しげだった。
完
2025.12.31
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