人生の空売り
結果が伴っていない努力は努力ではない。
友人のケンイチがそう言っていた。
では僕は、努力していないということになるのだろうか。
小さい頃から習い事をたくさんしていた。
サッカー、水泳、ピアノ、バイオリン、そろばん、塾。
でも運動神経はないし、楽器も下手、成績は中の下。志望校にも行けそうもない。
「お前にいくら投資していると思っているんだ!」
よく親父が言っていたセリフだ。だが最近は、もう僕を見限ったのか、何も言わなくなった。
「人の役に立つ人間になりなさい」
よく母が言っていたセリフだ。しかし母も何も言わなくなった。僕が役立たずだとわかったのだろう。
最近は学校にもあまり行かず、ふらふらしている。
「お姉さんはあんなに優秀なのにねぇ」
なんて、近所のヒソヒソ声も聞こえてくる。
家もそれなりにお金があり、親も姉も優秀で、勉強もさせてもらっている。
それでもこの体たらくだ。言い訳のしようがない。
ただ、自分が無能なのだと思う。そう思うと消えたくなる。
こんなみじめで誰の役にも立たない人間は、社会のお荷物だ。
クラスの人間もみな、僕を嫌っている。さっきのケンイチだって、いつもトゲのある言葉で僕を否定する。
自分はみんなに嫌われている、邪魔な存在なのだ。
気がつくと、ビルの屋上にいた。
……自分は生きていてはいけない人間なんだ。
「そんなことありませんよ」
え?
「だれ?」
そこにはセールスマン風の男が立っていた。
「申し遅れました。わたくし、人間投資証券ヤレバデキルのサクマと申します」
そう言って、男は名刺を差し出した。マヌケな名前の会社だ。
「あなたはご自分のことを無価値な人間だと思っておられるでしょう? でも価値はあるのです。空売りという形で、あなたに投資している方が結構いらっしゃいますよ」
「ええ? いったい何を言ってるんです?」
「わからないのもご無理はありません。我が社は人間を投資対象としている証券会社なのです。
よく親御さんなどに“お前に投資している”なんて言われたりしませんか?」
「……ありますね」
「実は、すべての人間はその価値を“証券”という形で売買できるようになっているのです。
つまり“人間株”ですね。その人間が出世したり大物になれば株価は上がる。
逆に落ちぶれてしまえば、株価は下がる」
意味はわかるが、意味がわからない。誰が何の権利で人間を株にしているんだ?
「ふふふ。政府がとっくの昔から始めていますよ。未成年には知らされていないだけでね」
いまいち信じられなかったが、やけになっていたので、てきとうに話を合わせた。
「それじゃあ僕の株なんて、暴落し続けてるんでしょうね。価値のない人間だから」
「落ちてますね。暴落というほどじゃありませんが、順調に下がっています」
「はっきり言いますね」
「でもいいんですよ! それが! しかも、ゆっくり落ちているのが非常に良い。
投資家の方々に大好評ですよ。“空売りのし甲斐がある”と」
「カラウリ? なんですかそれ?」
「投資の一つのやり方ですよ」
そう言って男は、頼んでもいないのに説明を始めた。
「今、あなたの価値が100円だとします」
「結構、安いですね」
「たとえですよ。で、私はあなたの株を持っていないけれど、後で買うから先に売っておいてもらうのです。100円でね」
「なんですかそれ? 持ってもいないものを売るなんて、ありなんですか?」
「ありなんです! 私は持ってもいない株を売って100円をもらえるんです。それから改めてあなたの株を買う。
ところがその間にあなたの価値が落ちたらどうでしょう? 翌週にあなたが60円にまで落ちぶれていれば、あなたの株を60円で買って、それを売ります。
でも売り上げの100円はすでにもらっている。だから100−60で40円得するんですよ。私はただ株を先に売ってから買うだけで、利益が出たというわけです」
「でもたった40円でしょう」
「いやいや、これはたとえですから。100万円なら40万、1億なら4000万円ですよ」
わかったような、わからないような気持ちで話を聞いていると、男はさらに畳みかけてきた。
「よく考えてください。あなたに優しくしてくれる人間はいませんか?」
いやいや、僕はみんなのお荷物で、誰も僕に優しくなんて……いや、隣のおばさんは僕が塾から帰る時に
『がんばっててえらいね。無理するんじゃないよ』と声をかけてくれたっけ。
ケンイチだっていつも冷たいが、最近ジュースをおごってくれた。
考えてみれば、親切にしてくれる人もいたかもしれない。もしかしてそれは……
「そうです。“無理するな”というのは、あなたがもっと成績が落ちるように誘導しているのです。
ジュースをくれたのは、あなたの健康状態を悪化させるため。ジュースはとても糖分が多いんです!あなたが落ちていくことで得する人間、ということですよ!」
まさか……しかし、自分のような価値のない人間に親切にするメリットは、それくらいしかない。
「もっとも、あなたが成功すると信じて投資している人間も少なからずいます。つまり、どういうことかわかりますか?」
僕は黙っていた。
「あなたは、成功しようが失敗しようが、誰かの役に立っているのです!」
「……ただし、死んではいけません。亡くなってしまえば投資も空売りもすべてパーです。
“価値が0になって空売りは得するのでは?”って? いえいえ、すべての取引が終了して意味を失ってしまいます」
僕は混乱してきた。
「あなたの価値が上がると信じて投資し、その利益で家族の手術代をまかなう人もいます。
逆にあなたが没落するのを予想して空売りし、その利益で子どもの養育費を得ようとする人もいるんです」
***
結局、学校に行くことにした。
受験も、当初の志望校ではないが、なんとか行けそうなところを受けることにした。
結局、僕がどうなろうと得する人も損する人もいる。
ならば、自分にとってちょうどいい道を見つけるしかない。
“期待に応えなければ”“誰かの役に立たなければ”というプレッシャーから解放されて、気が楽になったのかもしれない。
「合格おめでとうございます」
なんとか大学に合格した帰り道に、例の男が立っていた。
「少しは僕の株価も上がりましたか?」
すると男はにやりと笑った。
「株価? 人間に株価なんて付けられませんよ」
「え? どういうことですか?」
「実は、わがヤレバデキル社とは一種のカウンセリングを行う会社なのです。今回はお父様からの依頼でご対応させていただきました」
「え? 親父から?」
「そうです。お父様は、あなたにプレッシャーをかけすぎたことで、あなたが病んでいくのを気にされていました。
しかし“今さら頑張らなくてもいい”と言っても、あなたは方向を見失ってしまう。そこで、わが社にご相談されたわけです。
私としては、“人生の空売り”という一種のフィクションを提供させていただきました。だましてしまう形にはなってしまい申し訳ありません。
しかし、まったく非現実的な嘘だとも思っておりません。一種の真理を含んでいると自負しております」
「で、でも実際、周りの人が急に優しくなったりしてましたよ。あの人たちはまさかエキストラ?」
「いえいえ、もともとあなたに優しくする人はいたのです。
しかしあなたは人間不信で、それが見えていなかった。
“あなたに優しくすることで堕落させ、空売りを仕掛ける”――そういう物語を信じたことで、初めてあなたは親切な人間を認識できたのです」
騙されていた。しかし不思議と嫌な気分ではなかった。
「あれからあなたは、過度に暗くなるでもなく、明るくなるでもなく、フラットに物事に取り組めるようになったと伺っております。きっとそれで良いのです」
「ありがとうございます。あなたの会社も変わっていますね。でも、いい会社だと思いますよ」
「ありがとうございます。実は当社も上場を目指しております」
完
2025.10.26
最後まで読んで頂きありがとうございます。
 




