方程式より冷たいもの
俺のような女に縁のない中年男にとって美少女との遭遇とは大変貴重なもので、それだけで心躍り、思わず顔がにやけてしまう事態だ。
ただし例外はある。今だけは顔も見たくなかった。
俺はしがない宇宙の運送業者だ。大手企業の荷物運搬の下請けの下請けの下請けってところか。
リスクのある荷物を安く運ぶ薄利多売の弱小会社で運送用の宇宙船のパイロットだ。
しかしパイロットといっても宇宙船はほぼ自動運転である。俺はただ乗ってるだけ。
法律上最低1人は緊急時対応用に乗船義務があるので俺みたいのが雇われているのだ。
実際俺は免許は持っているが、ペーパーパイロットでまともな運転経験もない3流だ。
だからこんな会社にしか雇ってもらえない。
もちろん給料は雀の涙にも満たない、ミジンコの涙程度だ。
それでも最低限食っていけるし他に何も出来ない俺にとっては割の良い仕事だ。
そんな俺の日常をぶち壊すように現れたのがこの美少女だ。
目的の惑星到着までひと眠りしようとベッドに向かった時、ごそごそと何か動く気配を感じた時、俺は頼むから気のせいであってくれと祈った。
だが現実は非情でそこに現れたのは一人の少女だった。
「え、あんた……誰?いや、その……なんでここに?」
「ごめんなさい、おじさん。わたしは……」
最悪だ。まさにあの忌まわしき状況がここに発生してしまったのである。
聞けば彼女はこれから向かう惑星でアイドルオーディションを受ける為に忍び込んだのだという。
アイドルを目指しているが地球でのオーディションにすべて落ち、ラストチャンスとして別惑星での成功を夢見たのだと。もちろん売れないアイドルなので金が無く、悪いと分かっていても密航を試みてしまったのだと。なるほどアイドルを目指すだけあって可愛いわけだ。
ってくだらない!こんなくだらない理由のせいで俺の人生は終わろうとしている!
「くそっ!この船には大手多国籍企業ソイレント・オーウェル社の積荷を限界まで積んでいるんだ。
そして燃料と酸素は惑星までのギリギリしか積んでいない。これがどういう事かわかるか?」
「?」
「この船は惑星につく前に燃料も空気もなくなるってことだよ!お前が乗っていたせいで!」
「で、でもわたし一人分くらいの余裕はあるんじゃ?」
「普通はな!大手の会社ならな!宇宙航空法で決まっているからな!しかしうちの会社は超弱小だ。弱小企業はそんなルール守らないと相場が決まっているんだ!俺を雇うような会社だぞ!」
「そ、そんな馬鹿な話ってある?なんでよりによってそんな船に乗っちゃったんだろう」
「取りあえず泣くのは止めてくれ。酸素が減る。俺も大声は出すの止めるよ。パイロットが泣いたり叫んだりすることは想定されていないんだ。」
彼女は絶望した表情で呆然としている。俺も同じ気分だ。
いや、俺の絶望はそれ以上だ。何故ならこのような事態がどういう結果になるか知っているからだ。
「なあ、なんで宇宙航空法では酸素と燃料のマージンが規定されているか知っているか?
昔、実際にこういう事態があったんだ。ある惑星に血清を届けに向かう宇宙船に少女が乗り込んでいたせいで、燃料が足りなくなることがな。」
「その女の子はどうなったの?」
「パイロットの男は法律に従って少女を宇宙に投げ捨てたよ。」
「酷いっ!」
「そいつだって辛かっただろう。しかし物理法則は情状酌量なんてしてれない。どんな状況でも平等にエネルギーを消費していく。そうするしかなかったんだ。方程式は冷たいんだ!」
船内に気まずい沈黙が流れた。彼女には語らなかったがその話には続きがあるのだ。
無事血清を届けた男は、もちろん法律上は罪に問われなかった。
しかし世間は男を非難した。ひどい人間だ。血も涙もない。という感情的なものだった。
死んだ少女の写真が流出すると非難は過熱した。あんな幼い少女を殺した男を野放しにするのか?お前が死ねばよかったのだ。同僚は彼を庇ったが、彼の家には毎日抗議の人間が詰めかけ、男も彼の家族も家を出ることは出来なくなった。
事態は収まらず、妻は男に離婚を突き付け娘を連れて出て行った。男はますます塞ぎ込みついに自らの命を絶った。
俺が彼女を宇宙に捨てたら同じことが起きるだろう。俺は碌な技術もない3流中年パイロット。
一方彼女は夢を追う美少女。世間がどちらの味方をするかは火を見るよりも明らかだ。世間は感情で動く。そこに論理はない。
「この船は自動運転だ。君は何もしなくても船は自動で着陸する。」
俺は初めから不要な人間だったのだ。
「え?どういうこと?」
俺は黙って脱出カプセルに向かった。
俺には妻も子供もいないが年老いた母親がいる。世間中から息子が叩かれる姿は見せたくない。
「ねえ、待って。他に方法があるかもしれないじゃない!荷物は捨てられないの?」
「無理だよ。ソイレント・オーウェル社がうちみたいな会社に運ばせるのはたいていヤバいものだ。そんなの宇宙にばらまいたらどっちみち俺も君も消されるよ。」
全てがルール違反。建前の裏は真っ黒だ。もう俺は疲れた。
俺は脱出カプセルに入り込み、ドアを閉めた。彼女の声はもう聞こえない。
俺は脱出ボタンを押して宇宙空間に投げ出された。
あの事件の時、世間はパイロットの冷徹さを批判した。
しかし方程式は冷たいがいつでも誰にでも平等なのだ。
対して世間は平等ではない。気まぐれで感情的だ。
美少女と貧乏な中年男では受ける扱いが天と地ほど違う。
俺のような中年男にとって方程式より冷たいもの、それは世間なのだ。
完
2023.07.07
いわゆる「方程式もの」を書いてみました。楽しんで頂ければ幸いです。




