会社の都合
ついに入社式だ。俺は希望に燃えていた。長く苦しい就職戦線を勝ち残り俺はこのソイレント・オーウェル社でバリバリと働くのだ。
「皆さんも今日から、ソイレント・オーウェルの社員としての自覚を持ち、立派な社会人として働くように」
社長の訓示の後、100人を超える同期たちとの研修が始まった。泊まり込みで毎朝5時に起こされて、社員としての意識を叩き込まれる。土日も懇親会と称して朝から掃除や互いを鼓舞するための自己啓発本の朗読会などを”自主的”に開催させられた。そんな生活に流石に疲労を感じていた上に上司からはこの研修期間は給料がほぼ出ないことが知らされた。提示された額は雀の涙程だった。さすがに研修会場はざわついた。
「これだけ時間拘束されて、給料も出ないのか」「それって違法じゃないか」「今時ブラックすぎだろ」
「皆さんの気持ちも分かります。しかし少し視点を変えてみてください。あなた方ひとりひとりが会社の立場になって考えてください。これは一番重要な事ですのでよく肝に銘じてください!」
上司の大声は会場のざわつきを吹き飛ばした。
「君、君が会社の立場だとしてまだ社会のことを何も知らず、一切会社の利益に貢献できない若者が他の社員と同じ給料で納得できるでしょうか?利益を出さないってことは働いていないっていうのと同じだとは思いませんか?」
「はあ、……まあ確かに」
「それなのに少しばかりの給料が出てて、さらにこの研修場では衣食住も提供している。これにだって莫大な予算がかけられているんだ」
俺はすぐに成程と納得した。それでもまだ不満を言っている同期もいたが、俺はそんな彼らをわがままな子供、学生気分が抜けないマヌケだと蔑んだ。
研修は2カ月続いた。結局100人以上いた同期は半分近くに減っていた。ライバルが減るのは良いことだ。
研修では5人程度のグループを作り1人を囲んでその欠点を批判しあうというカリキュラムがあり、これが嫌で辞めるものが多くいた。俺たちのグループには、そのような負け犬はおらず全員が残った。
研修を終えた俺たちは各部署に配属になった。これでやっと会社に貢献できる。俺は嬉しくてたまらなかった。
しかし社会は甘くない。すぐに現場で役に立てる訳がなかった。こんな俺が他の社員と同等の給料を貰えないのは当たり前のことだった。会社の立場で考えれば当たり前のことだ。役に立たない社員にまで同額を払っていたら他の社員の士気を下げるし、まるで社会主義ではないか。
俺は少しでも会社の役に立とうと始発で出社し勉強をした。電気をつけると会社の電気代を浪費してしまうので懐中電灯を持参した。帰りも残っている社員がいれば一緒に残り手伝いをした。もちろんタイムカードは切っておいて残業代を請求するなんてことはしない。当たり前だ図々しい。会社の立場で考えろ。
おかげで俺の評価は上がっていき、いつしか仕事で成果を上げることが出来る様になってきた。上司からもこれで一人前だと褒められた。これで少しは評価されただろうと給与明細を見たが額は相変わらずであった。
顔を曇らせる俺に気付いた上司が俺に言った。
「確かにまだ給料が安いかもしれない。しかしそれはお前に期待しているからだ。今会社はお前のために実は多くのお金をかけているんだ。つまり投資だな。将来のソイレント・オーウェルを担う人材であるお前をじっくり育てようと皆張り切っている。一見低い給与額はその証だよ。」
俺は仕事に打ち込んだ。学生時代から付き合っている彼女と幸せな結婚をしたい。それも理由の一つだった。
まだ給料が低いが会社には期待されている。そう思って俺は上司に結婚の相談をした。
しかし上司は顔を曇らせた。
「まだ結婚は早いんじゃないか?若いうちに結婚すると、そちらに気を取られて仕事に集中できなくなる。
もっと経験を積んでもう少し余裕が出来てからでもいいと思うぞ。会社の立場になって考えてみろよ。
せっかく力を入れて育てている社員が結婚して仕事そっちのけになってしまったらどう思う?」
結婚はもう少し先。彼女もすこし寂しそうだったが納得してくれた。
翌年俺は地方へ転勤になった。期待されている社員は地方で修行してから本社で主要ポストに就くらしい。
彼女がいるから嫌ですなんて言う社員も今時はいるらしい。しかし会社の立場で考えればそんな社員は困るだろう。
と考え俺は受諾した。
地方勤務は2,3年と思っていたが既に5年が過ぎていた。彼女からは今の仕事じゃないとダメなの?
転職も考えられない?と聞かれたが会社の立場で考えればそんな迷惑なやつはいない。会社は俺に期待している。
結局彼女とは分かれた。その後彼女は別の人と結婚したらしい。
彼女は最後にあなたはずっと会社の都合で生きていると言って去っていった。
結局10年が経って俺は本社に戻った。その時俺は結婚していた。相手は会社役員の娘さんだ。
正直、そこまでタイプでもないし優しくもない女性だったが、会社とは家族だ。役員の娘と結婚するということは本当に家族になり絆はより深くなると説得された。
それに奥さんがいると仕事に張り合いが出てより仕事に打ち込めるとも言われた。
本社に戻った俺は予定通り重要ポストに就いた。給料も前より増えたが責任も重く大変な毎日だった。
それに妻が浪費家で、いくら稼いでも給料が足りないと罵られた。俺は月1万円の小遣いで頑張っているのに。
責任のある立場にいる俺は無能な部下の首切りもしなくてはいけない。彼らにも生活があるが会社の立場で考えれば、余計な社員は会社の存続を危うくし結果としてより多くの社員の生活を危機に晒してしまうのだ。社を去る者たちの恨めし顔を思い出すとイライラする。あいつらは自分の都合しか考えていないのか。会社の立場になって考えろ!
ある日朝起きると身体が動かなくなった。医者には鬱病だと言われた。
休職するように言われた。妻には怠け者だと罵られた。
会社に鬱病だと告げた。涙が出るほど申し訳なかった。
「今のご時世、社員から鬱病が出たと知られると非常にまずいな。困ったなぁ。」
上司は独り言のようにそう、つぶやくだけであった。
それだけで上司の気持ちを汲み取ることは出来た。会社の立場で考えれば直ぐに分かる。
会社を辞める決意をした。これ以上会社に迷惑はかけられない。妻は離婚を告げて去っていった。
思えばずっと会社の為に生きてきた人生であった。髪はすっかり薄くなり疲れ切った中年が鏡の前に立っていた。
「あなたはずっと会社の都合で生きている」
かつての彼女の言葉や蘇ってきた。
しかし今回は初めて自分の意志で動いたことになるんだ。
何しろ会社を辞める理由は「自己都合退職」なのだから。
完
2023.04.27
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