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銀嶺の覇者

間が空いてしまいました。楽しんで頂ければ幸いです。

「寝るな!寝ると体温を奪われるぞ!」

「もう、僕は駄目です。あなただけでも何とか助かってください……」

男の必死の呼びかけにも虚しく、もう1人の男は息絶えた。雪山登山中に遭難してすでに7日が経過していた。絶望的な状況であった。しかし残された男の目は爛々と輝き一切希望を失っていないようだった。大丈夫、私はベストを尽くしている。全ては夢の実現の為だ。男はそう心の中で呟いた。


******


小さい頃から真面目で几帳面であった男は、小学生の頃から脇目もふらずに勉学に打ち込んだ。どんなに細かいルールでも厳守し、少しでもルール違反になる行為は絶対に許せなかった。田舎道の誰もいない横断歩道でも律儀に信号を守り、違反する者は厳しく糾弾した。毎日の同級生はもちろん、教師の日本語のミスも全て記録して学級会ですべて公表して批判を繰り返した。むろん言う事は全て正論なので直接反論はされない。しかしそのような、あまりに真面目で融通がきかず杓子定規な性格は周りの人間の恨みを買った。両親さえも少年を疎ましがり遠ざけた。年齢を重ねても、恋人はもちろん友人もいなかったが、男はそんな事は気にしていなかった。勉強をして社会に出て成功する事こそが正しいと確信していた。だが進路を決める年頃になると、周りの状況が少しずつだが見えてきた。どうやら社会に出るにはコミュニケーション能力や夢を持つ事が必要らしい。自己啓発書などはどれも夢を持てと強迫観念的に語っていた。いくら勉強が出来ても学者を目指す気はない。勉強は社会的成功のためのツールでしかない。学者は儲からなさそうだ。就職するには嘘でも夢を語れなくてはいけないらしい。だが男には夢などなかったし、夢を持っているかのように嘘を付くことも出来なかった。嘘はルール違反だからだ。ルール違反は許されない。社会的成功が夢とも言えたが具体的に何をしたいというのは皆無であった。社会とは辛く苦しいものでそれに耐えることこそが社会人として成功する秘訣だと信じていた。そのため辛い状況に耐えることだけを良しとしていたし、自主的に自分がしたい事は考えた事も無かったのだ。好きなことに打ち込むという態度も評価されるが、勉強に打ち込む者だけは何故か勉強しか出来ない奴だというマイナスなレッテルを貼られてしまう風潮も気づかされた。

自分にも夢が持てるだろうか?本やネットで調べてもどれも自分にはピンとこない。本当に世の中の人間は皆、夢などあるのだろうか?疑問は尽きなかった。


だが高校3年になろうかというある日、男は偶然みた雑誌の記事に衝撃を受けた。

それはある登山家に関する記事であった。遭難し、死の狭間から帰ってきた登山家の話に男はまるで天啓を受けたように、自分の夢を自覚した。そしてそれを実現させる為にいくらでも努力しようと心に決めた。その日の内に登山グッズを買い集め、翌日には独学で登山を初めた。男は勉強も進学のことも忘れて登山に没頭した。それは鬼気迫るものがあり、夢というより妄執と言っても良いものだった。男は積極的に登山仲間を集めだした。どんどん登山の知識をつけていき実力もメキメキと向上していった。

当初の目標には遠く及ばないレベルではあったが大学にも進学出来た。勉強はそっちのけで入学後はすぐにワンダーフォーゲル部に入部した。かつてガリガリで青白かった顔も引き締まった筋肉と日焼けした肌で健康的になった。融通のきかない性格は相変わらずであったが、登山という危険を伴う行為をする上ではその性格はプラスに働いた。登山に打ち込むことで仲間にも慕われ、4年には部長に任命された。就職も割と良い会社に入ることが出来た。成績はいまいちでもやはり登山に打ち込んだ体育会系の青春時代というのは人事ウケが良かった。


社会人になった後も男は登山を続けた。登る山もかなり難易度の高い山ばかりになっていた。海外の山にも何度も登頂していた。遭難しかけたことも何度もあった。だがその度、男の無事下山する事が出来た。「もう登っていない山などないでしょう?夢は全て叶ったのでは?」と声をかけたる者も多かった。男は寂しそうに首をふるばかりであった。


******


遭難して10日が経過していた。ここまで苦しいのは今まで経験したことがない。意識が消えそうだ。空腹も限界だった。

「そろそろ、良いか。許されるのではないか。」

そう一人呟くと一緒に遭難した男の亡骸に近づいた。この男はネットで知り合った登山仲間であった。柔和な丸顔でおっちょこちょいだが気の良い男だった。男はナイフを取り出すとためらうことなく亡骸にナイフをいれた。何度も何度もシミュレーションした通りに。長かった。思い起こせば偶然あの雑誌で登山の記事を読んでから40年が経過していた。あの時男は初めて自分の欲望を自覚した。記事では登山家が遭難してしまい、飢えから人肉を食べた事が紹介されていた。だが男が衝撃を受けたのはそこではなかった。記事にはこう記されていた。人肉を食べるという行為は恐るべき行為であるが緊急事態である為、自らの命を繋ぐためならば許される。ルール上許される!男にとってこの事実は衝撃であった。心の靄が晴れる瞬間だった。極限状態での食人!その甘美な響きに男は取りつかれた。そして男の夢がみつかった。もちろんわざと遭難したりはしない。それは自分のルールに反していた。あくまで全力で登山に取り組み、その上でやむ得ない状況になった時初めて解き放たれる欲望。その欲望は夢という言葉で虚飾され、男の生きる目標となっていた。誰もが夢を語るがその裏には妄執ともとれる欲望が潜むものだ。そう思いながら男は人肉に舌鼓をうった。


男はその後、奇跡的に救助された。極限状態での食人は世間に衝撃を与えたが、緊急事態として男の罪は問われなかった。多くの新聞や雑誌、ネットニュースが事件を取り上げた。多くの人々は戦慄と好奇心でニュースを聞いた。だがほんのわずかであるが、そこから自分の”夢”を自覚する新たな夢追い人が現れるのであった。


2018.02.16

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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