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回復按摩堂

楽しんで頂ければ幸いです。

鉛のように重い身体を引きずって私は街をさまよっていた。唯一の趣味の為、週末は必ず見知らぬ街を散策する。

「ここもチェーン店ばかりか。」

私の趣味とはマッサージを受ける事だ。もともと肩が凝りやすい体質なのか若い頃からよく利用している。年齢を重ねる度に全身の疲労感は強くなる一方だ。マッサージで肩こりが消えたと思ってもすぐに元に戻ってしまう。もっと良い店はないかと探し回る事がいつしか習慣となっていた。そんな私を妻は冷たく見ている。ろくに稼ぎもないくせに一人前に疲れだけは溜まるのね等と皮肉を言われる。余計に家から足は遠のき、マッサージ屋めぐりに精を出してしまう。料金だって馬鹿にならない。それでも私にはほかに逃げ場がないのだ。マッサージ屋めぐりは駅前のマッサージ屋から始まり、整体、エステ、鍼灸、タイ古式、カッピング、アロマ、カイロプラクティック、中国式……挙げればキリが無い。安い店から高級店、チェーン店から個人経営まで近場のは行き尽くしてしまった。仕事で海外に行く際には必ず現地のマッサージを受ている。ネットに載っている店はあらかた行ってしまった。そうなるともう、ネットにも出ていないような小さな店を探すしかない。今週も仕事で疲れきった身体をどこかで癒したいと思い適当な駅で電車を降りると、あてどもなく街を歩いている。今日は空模様も良くない。そろそろ見つけなくては。


『回復按摩堂』


読めるか読めないかの掠れた字の看板を掲げた店は、廃墟のような佇まいであった。

「やっているのかな?」

こういう店はたまにある。意外と腕の良い店主がいたりするのだ。しかしここまでボロボロなのは……

ガラリとドアが開いた。中から陰気そうな顔の老人がこちらを見ていた。

だがマッサージには行き慣れている私は臆する事無く老人に訊ねた。

「すいません。ここやってますか?」

老人は私をジロジロとみたが、素っ気なく「やってますよ」と答えた。

「準備が必要なので、これを。」

老人はチケットの様なものを差し出した。回復按摩堂と書かれた紙切れだ。

「これを向かいの店に渡して下さい。」

向かいは焼肉屋だった。マッサージ前に焼肉屋?そんな非常識な!満腹状態でマッサージなど胃が押されて最悪ではないのか?だが顔を上げると老人は店内に消えていた。仕方なく私は向かいの焼肉屋に向かった。


「お戻りで」

焼肉屋ではチケットを渡すと自動的にコース料理が始まり、食べ終わる頃には私はかなり満腹状態だった。回復按摩堂の店内は暗く、老人が1人で経営しているようだった。

「かなりお腹が苦しいのですがこれでマッサージなど受けて大丈夫なのでしょうか?」

マッサージ用のガウンに着替えながら老人に訊ねたが、彼はただ頷くだけだった。

「では施術中を開始します。」

仰向けに臥床した私の腹部を施術師たる老人は擦り始めた。すると私の腹部はポカポカと暖かくなった。かと思うと胃が燃えるように熱くなった。これまで苦しかった胃が一瞬で全てを消化してしまったように、私の満腹感は消滅した。同時に全身から汗が吹き出してきた。不思議と不快感は無かった。先ほどの焼き肉のせいか汗は普段よりも粘り気があり、まるでオイルでも塗られたようにテカテカと全身を覆った。

「これで、身体が柔らかくなります。」

ガウンを脱いでうつ伏せになるように言われ、従った私の肩を施術師は「これは凝っていますな。」

と呟いた。施術師の指が私の首から肩が肩甲骨背中、腰と指圧してゆく。その度に筋肉が緩み、まるで停滞していた血流が一気に解放されるように力が抜けて行くのが分かった。施術師が指圧する度に反発しメキメキと音をたてていた筋肉が、次第に緩み、反発をやめてまるで餅のようにしなやかに流れてゆく。いや、本当に私の身体は溶けだしているのではないか。もはや私の身体は自分で動かせなくなっていた。

うつ伏せで周りの様子はわからないが、全身が溶け流れてしまう感覚に襲われた。施術師は私の身体に針を刺し始めた。すると身体の流れはせき止められた。人の形でなくなりそうな私を辛うじて針が留めている様だ。常識的に考えれば恐怖を覚えずにはいられない状況だが、全身を揉み解され私はすっかり気分は良くなっていた。だが肩だけはまだ凝ったままだ。すると施術師は私の肩を掴みグッとと力を入れた。カパッという音がして私の肩は外されたようだ。関節が外れるのではなく、まるで部品のように肩がすっかり取れてしまったのだ。ほぼ動かせぬ身体で無視をして顔を横に横に向けると取り外された私の肩を施術師はパンでもこねるように全身の力を持つ込めて揉んでいる。その度に肩から凝り固まった筋肉のミシミシとした音が聞こえてくる。繰り返しこねることで次第に肩は柔らかくしなやかになっていくようだ。ふたたび元の形に整形されて私に取り付けられた。今までの肩こりは全くなくなっていた。


「それではこちらに。」

そういうとベッドが傾きだし動けない私は壁にこびり付いたスライムがズルズルと流れるかの様にベッドから剥がれ落ち、横に用意されていた大きな水槽に流れ込んだ。水槽内には透明な液体が満たされており、その中に沈んだ私の身体は自身の毛穴という毛穴からドロドロと老廃物が流れて行くのを感じた。身体がどんどんと軽くなる。すると今度は水槽が傾き出した。水槽の横は段になっており、下にはまた別の水槽があった。

今度も真水のように澄んだ液体が満たされており、そこに入った私の全身は一気に引き締まるのを感じた。目が覚めるような冷水だったが、全身を包み込む様に包まれているとまるで母体にいるかのような安心感があった。


私は動けるようになっていた。

その感覚は素晴らしかった。全身が生命力に溢れ、身体は瑞々しく歩く度に踊るように躍動感を感じる。身体を動かすことを全身が喜んでいるようだった。むろん節部の痛みや凝りは皆無となっていた。

「素晴らしい技術だ。いったい貴方は何者なんです?」


「いや、私にはこれしか出来ないのですよ」

施術士の老人はそうつぶやくだけであった。


それからというもの毎日体調は絶好調出会った。あんなに重く感じた全身がバネのように軽やかに動き、十代の頃よりも調子が良いくらいだった。これで何もかも上手くいく。そう思っていたが数週間後違和感を感じ始めた。仕事上ストレスが溜まるのは仕方の無い事だが、それに対する違和感、異物感がこれまでの比ではないのだ。身体も疲れきった状態でのストレスは一種のマゾヒスティックな気持ちで辛さを肯定している自分がいた。身体の疲労と心の疲労が互いに結びつき、一種のぬるい快楽状態を生み出していたのだ。しかし身体がこうも調子が良いと、そのような自己陶酔にも陥れず、心のストレスはただの異物、不快でしかない。次第に私は仕事がバカバカしくなってきた。


再び回復按摩堂を訊ねた私はそのような愚痴を店主の老人に話していた。

「いくら身体が調子良くなっても今度はストレスに過敏に反応してしまいます。結局現代社会に生きていればストレスからは逃げられませんからね。いっそストレスもほぐすツボなんてあれば良いんですけどね。」

じっと話を聞いていた店主は「そういうツボもあります」と呟いた。

それは素晴らしいと是が非にも私は施術を頼んだ。マッサージは簡単なもので首の付け根の一部分を押すと完了したようだった。


それから私はストレスを感じなくなった。

いや、ストレスの原因と関わるのが心底虚しく感じるようになった。健康の為にはやむをえないと私は仕事を辞めて妻とも離婚をした。全てストレスの原因だからだ。生きていくために私はマッサージ屋を始めた。資格を取るのも馬鹿らしくモグリで始めた。回復按摩堂の店主の技を見よう見まねで行い少しずつだが客が付くようになった。そのマッサージすら時折、ストレスに感じることもある。しかしこれ以上回復按摩堂を訪れてツボを押されてしまうと私は健康のために死んでしまう気がするのだ。客の中には私の腕を絶賛してくれる人もいる。そのような時、私は衒いも自虐の気もなく、ただこう答える。


「いや、私にはこれしか出来ないのですよ」


2017.11.22

またしてもショートショートしてはオチがいまいちになってしまいました。精進します。

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