飲み会行かない教
久しぶりの投稿です
もはや我慢の限界だ!週末ごとに開かれる飲み会飲み会飲み会!誰が初めに企画したのか、上司は会社の伝統だと言うが参加者の顔は暗く誰も彼も早く終わってくれと心の中で慟哭する。されども口に出す者は皆無で後でタラタラと文句を言うのが関の山。かく言う俺もNOと言えずにヘラヘラと飲み会に参加しては愛想笑いを顔面に貼り付けて帰宅後に自己嫌悪に陥る日々。酒に弱く人付き合いの苦手な俺には拷問に等しいこのイベントであるが主催の上司は天下御免の免罪符『コミュニケーションの重要さ』持ち出して自己の正統性を主張する。
無論俺は従うまでだ。
今のコミュニケーション能力無き者は人にあらずという御時世で間違っても飲み会を否定したり、参加を渋っては行けない。コミュ障のレッテルを貼られるという事はすなわち人権の剥奪を意味する。日々嘲笑と憐憫の対象となり、出世の道は絶たれ、リストラ候補の先頭に名前を連ねる事となるのがオチだ。
そう思い日々努力を重ね、なんとか耐え忍んできた俺だが、ある日上司が嬉々とした顔で悪魔のような提案をしてきた。
「最近我が部署の業績が落ちているのは嘆かわしい事です。残業も増えてきて毎週末の飲み会も行えない日が増えてきました。これでは社員同士のコミュニケーション不足により、結束が弱まりますます事態が悪化する恐れがあります。そこで、今週から金曜日の飲み会は軽いものにして本格的な飲み会を土曜日にも開催したいと思います。」
まるでグッドアイデアという顔で死刑宣告をする上司の言葉に俺は吐き気を抑えきれずにトイレに駆け込んだ。飲み会に行く位なら残業の方がマシだったのに!後ろで上司のもちろん強制ではありませんという空疎な言葉が俺の胃に追撃を加えた。強制では無い!こんな無意味な言葉があるだろうか?
実際には土曜の飲み会を断る者もいた。だが彼らは皆、海に山にキャンプだのバーベキューだといった予約を入れており、飲み会をキャンセルする様子も実に堂々としたものだった。むろん休日の様子はSNSに上げられ、自分達がいかにコミュニケーション能力が高いのかを喧伝するのも忘れない。
俺は憂鬱だった。いったい何が楽しくて休日まで飲み会に付き合わされるのか。参加している同僚達も憂鬱そうである。数でいえば参加したくない者が圧倒的多数を占めているのに、誰も中止を進言出来ぬ。数が勝利を納めない民主主義を根底から否定する恐怖の独裁政治的イベントなのだ。
ある土曜。俺は飲み会を欠席した。だが喜ぶ事は出来ない。同窓会があるのだ。もちろん行きたくはないが行かない事がバレればコミュニケーション不足欠如を指摘され社会的に抹殺されるのは目に見えてある。それに会社の連中と飲むよりはマシだ。
同窓会ではいつも通り笑顔を貼り付けてやり過ごしていたがふと学生時代の数少ない気の合う友人を見つけた。彼も笑顔を張り付けて所在なさげにしていたので互いに顔を合わせてホッとした。友人との会話は学生時代の愚痴に終始した。特に体育の授業中が苦痛だった話をしていた時には友人が悪戯っぽく笑った。
「あの頃特に最悪だったのが柔道の授業だな。あの教師の顔は一生忘れないな」
当時柔道の授業だけは普段と異なる体育教師が担当でこの男が最悪であった。体育会系を煮詰めた様な思考と行動で罵声と暴力を信奉し、ねちねちと嫌味ったらしい性格をしていた。体育教師は暴力の必要性をいつも訴えていた。曰く自分が立派な人間になったのは愛のある暴力のおかげであると。だがこの体育教師を立派な人間だと思っているのは本人だけだ。面の皮の厚さだけは暴力で身についたらしい。おかげで俺は特に柔道が大嫌いになった。だがそこで俺はふと思い出した。この友人は柔道の授業はいつも見学だったな。
「そう。俺は柔道の授業の時はこう言ったんだ。我が家の信仰の都合で柔道の授業には参加できません。ってね。いつも独裁者として振る舞う教師も面食らった様だったが、しぶしぶと認めてくれたよ。」
その話を聞いて俺は閃いた。宗教!それだ!宗教にアレルギーのある日本人なら、これを利用して上手いこと飲み会を避けられるかもしれない。
翌週俺は早速上司に飲み会の不参加を伝えた。
「え?不参加?別にいいけど何か理由はあるの?同窓会は終わったんだろ?SNSで見たぞ。いまいち楽しそうな感じが伝わらない写真だったな。」
「はあ、実は私ある宗教団体に入信しまして。其処の教義で享楽的なイベントへの参加は禁じられているのです。お酒を飲むのはもちろん、そのような席に参加することも禁じられていまして。私も残念ですが宗教上の理由ということでご了承ください。」
上司は面食らった顔しばらく逡巡していたが「まあ、そうか。」などと言って殊更この事には触れないようにその場を去っていった。学生時代に友人に対応した体育教師もこんな顔をしていたのだろうか?
それからというもの俺は面倒な飲み会に参加することなくのびのびと仕事をする事が出来た。心なしか業績もあがり、まさに宗教様々であった。俺が飲み会に参加しなくなり、同僚達は訝しんでいるようである。何しろ皆本当は飲み会など真っ平なのだ。そこに一人治外法権の者がいれば嫉妬もやむ得まい。
あまり恨みを買うのは得策ではないと判断したオレは自身のSNSに俺の入信した宗教について書き連ねた。もちろんすべて俺の妄想で生み出したものだが。宗教名は独真教とした。
独真教教義
・本当のコミュニケーションは一人になることから始まる。
・本当にコミュニケーション能力が高い者は自分自身とのコミュニケーションを蔑ろにしない。
・本当に自由に生きる為には目先の享楽に身を委ねてはならない。飲み会など以ての外である。
etc……
書き出すと興が乗ってくる。「本当の」という言い回しは本当に便利で何か深い意味がある気がしてくるものだ。
翌週末早速俺のSNSを見たであろう勘の良い同僚から「俺も独真教だっけ?に入れてくれよ。飲み会なんてウンザリなんだ」と持ちかけられた。来るものは拒まずだ。俺は快く入信を認めた。噂は瞬く間に広がった。我が独真教信者は日に日に増していき、SNSの効果で信者数は直ぐに把握出来ないほど膨らんだ。ネットニュースにも取り上げられ俺は匿名で取材を受けた。『飲み会はNG?ネット発の新宗教に絶賛の声』などどいう見出しで面白おかしく取り上げられたがこらが知名度は爆発的に上昇した。通称「飲み会行かない教」は初めはジョークだとわかっている人間が上手く利用するため広がっていた。しかし人数が増えてくると厄介な人間も当然現れる。信者同士が教義を巡って本気で喧嘩を始める。家族での誕生会は享楽的イベントなのか?会社の飲み会は断って友達と飲んでいる信者がいたぞ!彼女と居酒屋にいっている信者がいた!異端審問を!弾劾を!等争いは絶えない。そうすると立場上俺が仲裁をしなければならない。そんなことを繰り返していると、いつしか俺は教祖として祭り上げらていた。幹部を名乗る男から独真教の会合を開くからと参加を要請された。面倒だったが立場上参加しない訳にも行かず、俺は教祖としていかに飲み会がくだらないかを熱弁した。俺は熱狂的に受け入れられた。会合は定期的に開かれるようになった。どうやら幹部連中はお布施として会費を徴収しているらしい。俺には一切金が入ってこなかったが関わると面倒な気がした俺は気付かぬふりをしていた。交通費くらいは欲しいのだが。
「教祖様!教祖様のありがたいお話は大変好評です!教えを受けたいという信者が後を断ちません!そこでどうでしょう?月一で行っているこの会合はを毎週にしてみては?まだまだ救われたい民衆は沢山いるのです!」
俺は正直面倒になっていた。飲み会に時間拘束されるのが苦痛で初めたニセ宗教に時間を拘束されていた。もう会合なんて行きたくなかった。講演もしたくない。だが気が小さい俺は断る事が出来なかった。
独真教はいつのまにか大きな宗教となり、教義も生活の細かい点にまでうるさく口出しする厄介なものに修正されていた。教団内には強力なヒエラルキーが出来ており、建前上のトップは俺だが、そんなものは飾りに過ぎず実権はNo2の幹部が握っていた。こいつは俺のSNSから目ざとく独真教の投稿を最初に見つけた同僚であった。すでに会社は辞めて宗教一本で食っていく気のようだった。
「教祖!こんなんではまだまだ教えが足りません!今度は東京ドームで講演を行いましょう!会合も週に最低4回、いや本当は毎日行う必要があります!」
我慢の限界だった。俺はウンザリして奴に言い放った。
「断る!俺はもうこの教団には関わらない!というか関わる事が出来ないんだ!」
動揺した幹部は俺に掴みかかってきた。
「何言ってるんだ!あんたの作った教団だろ!無責任に止められるか!いったい理由はなんだ!」
俺は瞬間的に言い訳を考えた。だが人間そう新しい発想は生まれる訳もない。苦し紛れに出た言い訳はただのデジャヴであった。
「実はある宗教団体に入ってね、そこの教義で講演は禁じられているんだ。」
その後、俺は人と極力関わらないをテーマにした新興宗教『ノットコミュニケーション』に入ったことをSNSで宣言した。やれやれこれで一安心だと思った翌日、俺は青ざめた。既に賛同者が続々と俺の投稿を絶賛し、是非入信させてくれと要望が殺到していたのだ。
完
2017.09.22
読んで頂きありがとうございます。




