恐妻家のススメ
また間が空いてしまいましたが続けます。
子供の頃から成績優秀、運動神経抜群でクラス委員や生徒会長、サークルリーダーなどを務めて一流の大学を卒業し一流の会社に就職した勝山大志は最早向かうところ敵なしと言っていい人生を送っていた。趣味も多く男らしく野心家で社交的な彼は女にもモテまくり30歳で美人の嫁をもらい、翌年には息子が1人生まれた。仕事は順調に出世をし続けて給料はたっぷりと貰い40歳を過ぎた頃には会社では誰もが一目置く存在であるばかりではなく、地元でも名士として尊敬される存在となっていた。
余りに順風満帆な人生に退屈し始めた頃、地元の実力者の老人からある話を持ちかけられた。
「勝山さん、選挙に出ませんか?」
初めは驚いたが、詳しく話を聞くと先の衆議院選挙に向けて某保守派の政党が地元の候補者を探している。ちょうど裏金問題で地元の議員が失墜してクリーンな人間を探しており、能力も人望もある大志こそ適任ではないかと老人は熱く語った。考えてみると面白い。大志はさほど政治に興味がある訳では無かったが、政治家になる事で得られる権力や名声には大いに惹かれた。それに退屈していた人生において新たな目標が見つかったことで大いに奮起して、その日のうちに老人からの打診を快諾して、早速立候補の準備に取り掛かった。
老人の紹介や学生時代の友人で政治に関わっている者を集めて、早速政策や選挙の戦略が練られた。元々優秀な大志であるから直ぐに知識を吸収し、万全の体制で選挙期間を迎えることが出来た。
選挙期間が始まる毎日あちらこちらへと飛び回り演説を続けたが、どうも手応えが良くない。演説内容は申し分ないはずだし地元の要望にも応えている。また熱く語る事で情熱も示している筈だが……悩む彼に選挙スタッフの男が語りかけた。彼はこれまでも何人もの新人を当選させてきた辣腕の持ち主なのだ。
「センセイ!センセイも感づいておられましょうが、どうも世間も反応はイマイチです。マニュフェストも経歴も文句無しで黒い噂もないセンセイが何故あと一歩というところなのか。」
「センセイはやめてくれよ。しかし君の言う通りどうも手応えを感じないのだ。有権者と距離を感じるというか……何か良い案はないかな?」
「それはズバリ、キャラクターです!大衆はわかりやすいものを好みます。ハッキリとしたキャラクターとわかりやすい言い回し。この二つが有権者の印象に残る鍵です。そもそも今回は立候補者のマニュフェストにあまり差がないというのもあるのですが……」
後半は聴かなかったことにして大志はもっともらしく頷いた。
「なるほど、確かにそうかもしれない。しかしキャラクターと言ってもなぁ。」
頭を抱える大志に向かって男の目がキラリと光り、再び口を開いた。
「センセイのような優秀で順風満帆な人生を歩んでこられた方は有権者から共感を覚えられ辛いのです。セオリーとしてここは弱点を晒すことが一番かと。」
「弱点?うーん?そうだな、どちらかというと数学が苦手かな。経済も理解しているつもりだが数式を持ち出されるとどうも……」
「いけません!本当の弱点を晒しては!相手の心にスキを与えるのが目的なのですから、こちらが相手にスキを見せては本末転倒です。……ここはズバリ恐妻家をお勧めします。」
「恐妻家?妻が弱点ということか?」
「その通りです。恐妻家!これ程老若男女問わず安心してウケる弱点は無いのですよ。ましてや我が政党は保守派で支持者には老人が多い。そんな層は恐妻家ネタが大好きなのです。多少傲慢で口が悪く、独善的であっても……いや、失礼。一般論ですよ。それでも妻にだけは頭が上がらないというエピソードを挟むだけで突然人々からの好感度はうなぎのぼりです。男性からは同情と共感を、女性には安心感と親しみやすさと感じてもらえます。特別な技術もセンスも不要で実に安心安全お手軽で、それでいて効果は絶大!幅広い世代に期待できる夢の様な作戦です。」
話を聞いた大志は大いに感化され早速、恐妻家になるべく妻に作戦の実行を告げた。妻はどちらかというと内気でそれでいておおらかな性格なので、これまでも大志に意見する事もなくただ後ろからついてくるようなタイプてあった。いきなり夫の恐妻家宣言に動揺したようであった。「でも……私は」と口ごもっていたが、選挙の為だと言われなし崩し的に承諾したのであった。
「なに、無理することは無いよ。何も鬼嫁になれというんじゃない。俺が恐妻家として振舞うから君は黙って見ていてくれれば良い。」
それから大志は演説の合間に恐妻家としてのキャラを少しづつ入れるようにした。
「皆様、是非私に清き1票を!私は皆様の期待に応えるまであらゆる困難を一切恐れません!私が恐るのは妻くらいです!」
「私はマニュフェストと妻の命令には絶対に従います!」
「有権者の皆様は妻のようだと心得ています。つまり絶対に裏切らず、せっせと働きます。」
これがウケた。今までつまらなさそうに演説を素通りしていた人々も笑い声につられて人が人を呼び、大志の人気は日に日に増していった。妻はあまり人前で話すのが得意ではないが演説中に黙って見ていることが逆に聴衆の想像力を刺激したようで、さぞ怖い奥さんなのだろうと思われたようであった。
ついに投票の日とあいなり、大志は目論見通りトップ当選を果たした。恐妻家キャラは既に話題となっておりマスコミにも取り上げられた。恐妻ネタは日増しにクオリティが上がり、もはや恐妻漫談といえる域に達していた。マスコミが苦手な妻はテレビに出ることに難色を示したが、大志はそれを尊重して嫁をテレビに出演させなかった。それがまた恐妻家らしいと話題になった。
ネタのマンネリ化を恐れ彼のネタはエスカレートする一方であった。「爪楊枝やら詰まらないという妻を含んだ言葉を聞くだけで言葉を聞くだけで震えが止まらなくなり発汗と目の霞、頭痛と発熱。意識は朦朧として吐き気と蕁麻疹に襲われるんです。寝ていても妻の足音が聴こえると飛び起きて避難道具をまとめて逃げ出してしまいました。それも寝たままです。」
肝心の政治家としてはさしたる成果を上げていない大志であったが人々の注目を浴びる快感に酔いしれ、全ては順風満帆だといつものように意気揚々と帰宅すると妻が食卓に俯くように座っていた。
「どうしたんだ?元気が無さそうだが。」
「私、毎日ご近所さんやマスコミに鬼嫁だと好奇の目で見られているがして最近は外に出ることも出来ないの。周りの人は恐妻家の方が家庭が上手くいくなんて褒められるけれども、私はちっとも楽しくありません。結局妻はこうあるべきという型を強制されているようだもの。あなたは自意識過剰と笑うでしょうけど、私は以前の生活が懐かしい。」
ポツリポツリとだが妻はそのようなことを静かに語った。普段自己主張をしない妻の静かな怒りに大志は驚き、狼狽した。すぐに恐妻家キャラは取りやめなくては。俺は本当に恐妻家になっているのではないか?という考えが大志の頭によぎったがすぐに打ち消した。
大志は焦っていた。恐妻家ネタを封じてからあからさまに人気が下がっている気がする。頭の中は次のキャラクターをどのように提示するかでいっぱいであった。これから生放送に出演するのだ。なんとか新しいことをして人気をつかまなくては。スタッフの男も言っているように次の手を考えねばならぬ。大事なのはギャップだ。古いアメリカアニメのように猫がネズミにやり込められるのが面白いのだ。猛獣や殺人鬼が怖いでは当たり前すぎる。俺のような強い男が妻に頭が上がらないのが面白かったのだ。では子供に頭が上がらないというのはどうだろう?だが子供は既に高校生であるし、しかも息子だ。娘に頭が上がらないならともかく息子に怯えているとなると家庭内暴力に怯える親父ではないか。かと言って誰も恐れないものを怖がっても変人扱いされるだけだ。犬やネズミが怖いでは漫画のキャラのようだ。妻や娘、小さな子供など弱い者を恐れタジタジになる姿が求められているのだ。何かないか何かないか何かないか……ああもうすぐ生放送が始まってしまう。最近はマスコミにも見放されつつあるし、このままでは俺の人気は落ちる一方だ。俺のような完璧な人生を送ってきた人間にそんな事は許されぬ。何とかしなくては何とかしなくては……ああもう始まってしまう。仕方ない、アドリブで何か見たらとにかく恐れ戦き、逃げまとう姿を見せてギャップで笑いをとるのだ。そうするしか俺にはない……
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『ニュースです。本日勝山大志議員が辞職致しました。勝山氏は先日の生番組に出演の際、世界の貧困に喘ぐ子供たち、病気に苦しむ人々、社会的差別に苦しむ人々を取り上げるシーンで突然「怖い。見るだけで震える。嗚咽と冷や汗が止まらない。苦手なんです。彼らの命令には逆らえない。彼らこそ真の権力者だ。」などと失言を繰り返し有権者や野党議員から非難が相次いでいました。放送中に勝山氏はギャップだキャラクターだ等と意味不明な発言をしておりましたが、批判の声は止まず先ほどついに辞職を申し出たとの事です。……では次のニュースです。』
完
2016.10.14
読んで頂きありがとうございます。




