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不眠症の女

どうぞお楽しみください。

この辛い日々について記憶が曖昧にならぬ内に記録として残しておく。


俺があの女と出会ってもう1年以上が経過した。SNSで知り合い、やり取りを続けて親密になり実際に会ったのは去年の初め頃だった。物静かで儚げで疲れたような表情の女だった。だがそれがなんとも言えぬ暗い美しさがあり、俺は彼女を守ってやらねばと思った。実際女に向かってそう言った。女は少しだけ微笑んだ。今思えばそれが今の状態の発端となるのだが俺は無邪気に彼女を救う英雄(ヒーロー)を気取っていたわけだ。

女は二つ隣の県に住んでいた為、毎日会うことは出来ず普段は電話で話す程度だった。そして週末には俺が彼女に会いに行くというルーチンができた。といっても女は訳あって働いていないので毎日会えないのは俺の仕事の都合だった。

少しずつ女は自分の過去について教えてくれた。小学生の頃に大好きだった母親を亡くしてから自分の中の何かが壊れてしまい、学校もほとんど通わなくなったこと。父親は心配してくれたが母親とは違うと心を開く事は出来なかったこと。次第に眠れなくなってきたこと。病院で睡眠薬を処方してもらったが容量を守らず毎晩大量に服用し直ぐに効かなくなり、また別の病院を探すという行動を繰り返していたこと。働く事も出来ずに父親とふたり暮らしを続けていること。

そんな話を聞いて俺は涙した。俺も子どもの頃に母を亡くしている。なんとか今は立ち直れたが女がまるで自分の事のように思えてならなかったのだ。

「大丈夫、不眠症で死んだ人間はいないよ。薬は量を守って少しずつ治していこう。」

俺は何度も女を励まし続けた。

必ず彼女を回復させよう、救ってあげようと心に誓った。


女は夜になると寂しくなると言って電話をしたがった。だいたい電話をし始めるのは夜の0時を回った頃。毎晩彼女は辛い。眠れないといい、次第に死にたいとまで言うようになった。俺はその度に女を励まし続けた。「不眠症で死んだ人間はいない」というと彼女はすこし笑い。それからこのセリフが二人の合言葉のようになった。なんとか女を落ち着けて電話を切るのは何時も朝方であった。毎日の睡眠時間が1時間程度となり、仕事中のミスも多くなってきた。遅刻をして上司に厳重注意も受けた。俺はすでに限界であった。ある日夜10時頃帰宅した俺はそのまま崩れ落ちるように眠り、気がつくと朝になっていた。慌てて会社に向かったが、スマホを見ると「どうして電話くれないの?どうして?どうして?」というメールが100件以上来ていた。俺は少しゾッとしたが「ごめんね。疲れていて。今日は必ず電話するから」と返事をして会社に向かった。弱音を吐くわけにはいかない。


それから俺は毎日帰宅後直ぐに仮眠をとり深夜に目覚しをセットして女と電話をするという生活続けた。俺の毎日は仕事と女を励ますことだけに注がれた。それでも俺は自分は正しい事をしている。彼女を支えているのだと信じていた。


「大丈夫、不眠症で死ぬ人はいないよ。」と俺は繰り返していたが自分の体調は最悪であった。たまの休日も女に会うために朝一番の電車で向かい、家は汚いからという彼女の為に、ホテルをとり彼女の悩みを聞いて朝まで励まし彼女に食事を奢り欲しがるものを買い与え、終電で自分の街まで帰宅してそこから再び彼女と朝方まで電話をするのだ。


ある日いつものように帰宅して仮眠をとろうとすると女から「いつも0時過ぎから電話してるけどもっと早い時間から電話しようつかれよ」というメールが来ていた。疲労がピークに達していた俺はこのままでは女に殺されるという妄想にとりた。「いい加減にしろ!いつもいつも電話ばかり。こっちの身が持たない。少しは1人で過ごせるようにたらどうだ」とメールをしてスマホの電源を落として俺は眠りについた。思えば女々しい行為だった。無責任な行為だった。


それから女から電話は来なくなった。初めは安心感があった。だが次第に女の事が気になりだし、身体は疲れているにも関わらず頭だけが冴えてしまい、眠れない日々を再び迎えてしまった。何故あんな事を言ってしまったのか。女は悪意など無くただ俺を慕い頼ってくれたのに自分勝手に俺はその関係を断ち切ってしまい余計に傷つけてしまった。女の状態が前よりひどくなっていたらどうしよう。俺の責任だ。男らしさの欠片も無い。罪悪感に悩まされた。そして何より寂しかった。耐えきれなくなった俺は女に謝罪のメールをした。1週間ぶりに女から返信があり文面には「これからも私のこと守ってね」と書いてあった。俺は直ぐに電話して涙ながらに謝り続けた。


再び睡眠時間を削りながら電話をし続ける日々が始まった。あれだけ心を支配していた罪悪感や寂しさは薄れてしまい疲労感と彼女に対して鬱陶しさを感じていた。このまま俺は全てを女にスポイルされ自分を失い、逃げても罪悪感に責められ結局、女の元に戻り、永遠にこの生活が続くのでは無いのかという妄想に取りつかれるのであった。友人に相談する事も考えたが自分が逆の立場ならば「別れろ、只の共依存だ」というだけだと思い取り止めた。


俺は完全に客観性を失い、自分のおかしさに気づきながらもそこから逃れられないでいる。こうして記録を残す事で何とか冷静さを取り戻し状況を打破する事が出来ないものか。最近ではこの状況を逃れる方法は一つしか無いのではという考えに取り憑かれていてとても困っている。


だが明日は女が気を遣い向こうから俺を訪ねてくれるようだ。早起きしての移動が少ない分少しは楽だろう。なんだかんだ言って俺は女の事が好きなのだ。俺は彼女を守る英雄(ヒーロー)になるんだ。


*******************************


「これが女の存在を示す唯一の資料です。」

後輩の若い刑事が持ってきた文書に目を通しベテラン刑事は苦い顔をした。

「唯一って事は他に物証は無いってことだな?」

「はい、男のスマホやパソコンの通信記録を調べましたが一切女の存在を示すものはありません。近所でも男が誰かと歩いているのを見た者は皆無。男が泊まったと思われるホテルもあたりましたがそれらしい記録はありませんでした。」

じっと文書を読み直すベテラン刑事の横で若い刑事が興奮気味に話した。

「先輩。僕が思うにこの女は実在しないんじゃないですかね?僕の推理ではこの男こそが不眠症だったんですよ。ただこの男はそれを自分の弱さと考え、認めたくなかった。そこで空想の女を創り出して、その不眠症の女を救うというポーズで自分の不眠症を克服しようとしたんじゃないですか?」

「推理も結構だが証拠が無い以上、何もわからないが正解だ。」

不満そうな若い刑事をみてベテラン刑事は付け加えた。

「女の実在はわからんがこれだけは言える。確かによほど特殊な例を除けば不眠症で人は死なない。だが英雄(ヒーロー)気取りで死んだ人間は大勢いるって事だ。お前も気をつけろよ。」

若い刑事はドキリとした。実は最近知り合った女に不眠症について色々と相談されているのだが、やはり自分も相談されて少し得意気では無かったか?そしてまさかこの女は……と頭によぎったのだ。だがいやいや自分だけはと思い直すのであった。


そして本件は男の自殺として処理された。


2016.06.13

読んで頂きありがとうございます。

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