不幸の原器
やや残酷描写ありです。苦手な方はご注意ください。
「絶望しているけどな、不幸なのはお前だけじゃないよ」「甘えるな!世の中にはもっと不幸な人は沢山いるんだ。」「それ程度で辛いなんてよく言えたもんだね」
巷にあふれるこのような言葉を聞く度に、では誰ならば自らの不幸を嘆く権利があるのか?それは世界で1番不幸な人間ただ1人ではないか?その不幸を世界の不幸の基準とする。長さの基準がメートル原器として存在しているように不幸の原器を作るのだ。そんな不幸な人間を見つけ出せば他の人類は皆、不幸を嘆く管理がなくなる。つまり相対的に幸福である事になる。つまりこれこそは世界平和なのだ。そんな下らない事を金と時間を持て余したある国の貴族が、その有り余る金にものを言わせて世界で一番不幸な人間を探すように命じた。
募集を聞きつけた自称不幸な人間やエージェントが世界中を飛び回り見つけて来た選りすぐりの不幸な人間達は皆得意気に己の不幸を語った。
「モテない」とか「受験に失敗した」とか「ヴィジュアルに難あり」等は問題外で
「生まれながらにして全身を奇病に侵され家族からも虐待されて育ちました。」
「愛する家族を目の前で1人ずつジワリジワリとなぶり殺されました。」等を語る人間には周りもどよめきが起こる。
エージェントも連れてきた不幸な人間を自慢げに紹介する。
「この男は愛する妻に浮気され邪魔になった為に毒殺されそうになりましたが死には至らずに全身不随となり、話すことも出来ず、逆に男の方が毒を持ったのだと妻にでっち上げられ有罪となり刑務所に50年間入れられていました。」
「この女はその容姿の美しさが災いし幼少期に誘拐され拷問残虐行為の限りを尽くされ精神が崩壊し、過度なストレスで30歳で救出された際には老婆の様な姿になりました。しかし現代の整形技術で本来の美しさを取り戻した途端に整形女と世間からパッシングを受けて再び精神を病み自殺を試みるが失敗しその事を世間に叩かれさらに良識派気取りの慈善団体に保護の名目で監禁投薬され、もはや死ぬ事も出来ぬ日々を過ごしています。」
「この男はある政治犯と顔が似てた為に人違いで逮捕され拷問を60年受け続けています。政府も人違いに気づいているようですがメンツの為にその事を認めません。」
なんだそれ程度、俺の方が私の方がと毎日毎日不幸を語る者が絶えなかったが、貴族はうんざりしてきた。何より不幸世界一の称号を与えてしまえばそれが歪んだ形ではあるが一種の自尊心をその者に与えてしまい不幸が幾らかは軽減してしまうのではないかと思う様になった。
だがある日貴族が寝ていると家に強盗が押し入り愛する妻と子供が目の前で惨殺された。不幸は続き、世界的金融危機により持っていた金融商品は次々とタダ同然となり信頼していた顧問弁護士の裏切りで資産はどんどんと無くなり貴族は一気に落ちぶれてしまった。「なんということだ。高みを見た人間こそ落ちた時の不幸は大きいものだ。私も世界一不幸になる素質があるのではないか。」貴族は少しずつ精神のバランスを失っていた。貴族が記憶操作に関する世界的権威であるディック博士を呼び寄せたのはちょうどその頃であった。
「博士、私は最早まともに生きる気力がない。だが最後のエゴイズムとして何か世界一として記憶されたいのだ。そこで私の遺したこの遺言に従い、私を世界一不幸な、逆説的に世界を幸福にするイコンとして名を残す手伝いをしてくれないか。」
貴族は残る資産をかき集め、全てをディック博士に託した。博士は貴族に対して必ずやこのプロジェクトを達成すると誓った。
*****
それからしばらくして急に説明も無く暇を出された貴族のメイドであった娘がかつての主人の住む館を訪ねた。急な解雇に戸惑ったが住む所もない自分を雇っていた事や新しい仕事の推薦状を書いてくれ、今は新しい仕事に就くことが出来ているから貴族に感謝こそすれ恨んではいなかった。彼女はある噂を聞きつけて貴族を訪ねたのだ。
噂とは貴族の住む館から悲鳴や呻き声が聞こえるというものであった。その声は途絶えることが無く朝から晩まで続いているという。人里離れた館であった為、偶然近くを通った旅人等が広めた噂であった。嫌な予感がした娘は真偽を確かめるべくやってきたのだ。
はたして噂は本当であった。
館に近づくにつれその苦痛に満ちた声は大きくなり、聞いている方が震え上がってしまう声であった。
(だが確かに御主人様の声だ。)
そう確信した娘は意を決して館のドアを叩いた。暫しの沈黙の後に現れたのはディック博士であった。館を以前から頻繁に出入りしていた博士と娘は顔見知りであった。
「これはこれは、以前こちらで働いていた方ですね。」表情を変えずに早口で語る博士につられ彼女も少し早口で用件を伝えた。
「はい、私は以前こちらでお世話になっていたメイドです。実はある噂を聞いて、不安のあまりご迷惑とは存じますがじっとしていられずにこちらを訪ねてしまいました。」部屋に通された彼女は噂についてそして本当に呻き声が聞こえた事について語った。話を聞く博士の顔には疲労が色濃く見られ以前とは別人のようであった。
「口止めはされていません。いずれ公開する事です。貴女が望むのならば全てをお教えしましょう。」彼女の話を聞き終わった博士はそう語り奥の部屋に向かって歩き出した。博士の視線に促されるように娘も博士に続いた。2人が向かったのは館の主人の部屋であった。
ドアを開け博士に続いた部屋に入ると、そこに広がる光景に娘は絶句した。全身を機械とチューブに繋がれたかつての主人がそこに横たわっていた。口元には呼吸器のようなものが取り付けられているが、そこからでも苦痛に満ちた呻き声が漏れてきていた。この状態で館の外にまで漏れる声とは……苦痛はどれほど大きいのだろうか。
「これは、何なんですか?御主人様はご病気なんでしょうか?」
博士は頭をふり、ことの次第を語った。「彼は世界で一番不幸となる為に世界中から集めた不幸な人々の話を脳内で追体験しているのです。経験とは全て脳内で起こる事です。苦しみも悲しみも痛みも全てそうです。私の開発した装置はその経験を現実と違わず体験する事が出来るのです。彼は今毎日世界中の不幸な体験を経験しています。人に馬鹿にされ、憎まれ、呪われ、疎まれ、嫉妬され、無視され、殺され、愛する者を殺され、愛する者に裏切られ、利用され、殴られ、耳と鼻を削がれ、目玉を抉られ、皮膚を剥がされ、内臓を生きながら火かき棒でかき回され、四肢をバラバラされ、毒を盛られ、首を占められ、水に沈められ、火に投げられ、食われ、溶かされ、飢餓に陥り、嬲られ、嬲られ、突かれ、刺され、削られ、吹き飛ばされ、晒され売られ、買わされ、固められ、擦り潰される。そんな経験を毎日毎日繰り返されるのです。そして脳波を調べ苦痛に対する反応が鈍くなると記憶をリセットして初めから不幸を味わい直します。慣れることもニヒリズムに陥ることも、ましてや狂う事も出来ずに続けるのです。自らの意思で始めた事も忘れ終わることの無い苦痛を味わい続けるのです。それが不幸の局地であり、規準となる不幸の原器となる事が生きながらに実行される彼の遺言なのです。」
娘は絶望と恐怖に絶句したが暫らくするとハラハラと涙を流した。「なんて意地らしい御主人様なのでしょう。自ら世界中の不幸を一手に受けて。神様みたいな方だわ。わたしに御主人様の身の回りの世話をさせてください」娘と博士は互いに涙を流し、貴族の意志を受け継ぐことを誓った。
それから時は流れ、貴族の遺言通りすべてを世界に発表する段となった。ネットで情報を後悔するとたちまち世界中のマスコミが押しかけテレビでもニュースとして取り上げられた。世界は感動に打ち震えるだろう。博士も娘もそう確信していたが反応は芳しいものではなかった。
「絶望しているけどな、不幸なのはお前だけじゃないよ」「甘えるな!世の中にはもっと不幸な人は沢山いるんだ。」「それ程度で辛いなんてよく言えたもんだね」などという説教は言う方は正論を吐いて満足しているが、言われた方はまるで自分が傷ついた事を小さく見積もられたようで不快でしかなかった。世界の不幸な人々よりむしろ身近な自分より少し下の人間をみて溜飲を下げるものなのだ。
予想外の反応に呆然とする博士と娘であった。だれも不幸の原器など必要としていなかったのだ。この事実により貴族の不幸の原器は完成した。
完
2016.05.22
読んで頂きありがとうございました。




