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神様商売

今年はこの投稿が最後かと思います。お楽しみ頂ければ!

「ここの店ですか?今どき珍しいものを出すっていうのは」

倉上(くらかみ)が店の看板を見上げながら田村課長に尋ねた。そこには大きく"神様商売"と書かれている。

「そうなんだ。ネットにも乗っていない、まさに隠れ家的な店でね。最近気に入ってよく来ているんだよ。」


こんな大きな看板を掲げて隠れ家も何もあったものではないと思うが、黙って課長についていく。

普段物静かであまり飲みに誘うタイプではない課長が珍しく誘ってきたのだ。飲むのは嫌いではない倉上としては好奇心も手伝って二つ返事で快諾した。


課長に続いて店内に入ったがこれといった特徴のない居酒屋といった感じだ。

繁盛している様子で空席はほとんどない。通された小さな机に課長と向かい合った。店員はすぐにオーダーを取りに来た。普通と変わらぬ、むしろ今どき珍しい狭く古びた居酒屋に何か特徴を見出そうと店内を回す倉上をよそに女性店員がひざまづいた。

「いらっしゃいませ、お客様、本日はお越しいただきまして誠にありがとうございます。初めにご注文はございますでしょうか?」

あまりの出来事に口をあんぐりと開ける倉上を横目に課長は平然と言った。

「そうだな、とりあえずビールをもらおうか。倉上君もそれでいいかな。」

まだ驚きで声が出ない倉上は黙ってうなずくのは精一杯であった。

「かしこまりました」と笑顔まで見せた彼女は厨房へと消えた。


「か、課長。いったい今のは何なんですか。なんていうか、まるで我々を……」

「お客様扱いか?」

そう言うと課長のメガネがキラリと光った。

「そ、そうです。お客様っていうでしたっけ?噂には聞いた事があります。大昔の風習ですよね?まさかこの店って……」

「そう。ここはただの居酒屋ではない。訪れた人間を"お客様"として扱ってくれる店なんだ。」

再びあんぐりと口を上げる倉上を見て課長は満足げに頷いた。

「そうなんだよ。今はどこでも客じゃなくて"キャスト"だからね。倉上君の年齢だとお客様扱いされたことなんてないだろう。僕が小学生くらいの頃まではまだそういう店があったんだよ。でもね、あまりにクレーマーが増えすぎていくら時給を上げても働き手が足りなくなってね。そこでどこかの飲食店がキャスト、つまりあくまでお店を盛り上げる協力者を募るという形をとって悪質なクレーマーをはじき出したんだ。それが大いに受けて、マネする店が急増して今ではそれが当たり前になってしまったんだ。」

「僕も知識としては知っていましたけどね。昔はサービスにお金を払っていたんですよね。今ではキャストの参加費ってことになってますけど」


「お待たせしました、ビールでございます」

そういって店員はビールを二つ机の上に置いた。だがそのコップに触れると明らかに……ぬるい。倉上が動揺し狼狽えているうちに課長が突然声を荒げた。

「なんだぁ?このビールはぬるいし、泡も無いし話にならないじゃないか!とりかえてくれよぉ!」

普段温厚な人なので怒鳴り慣れていないのか、声が上ずっているが、それでも倉上は大いに驚いた。

「申し訳ありません、すぐにお取替えいたします」店員は謝りビールを取り換え向かった。

「課長、何ですか?今のは。あんな事したら店から叩き出されちゃいますよ!」

慣れないことをして課長も気分が高揚しているらしい。わずかに手が震えている。

「いやいや、今のビールは店側の演出なんだよ。お客様扱いとクレームが出来るってのがこの店の売りなんだから。わざとぬるいビールを出して我々にクレームを入れる隙を作ってくれているんだ。そうしないとなかなかクレームなんて出来ないからね。まあ昔のクレーマーはそんなことしなくても根拠のないイチャモンを見つける天才だったらしいがね。」

「恐ろしいですね。」

「我々素人は店の協力があって初めてクレームが言える訳さ。僕も初めは恥ずかしくて無理だったが、ここに通い詰めてさっきみたいに華麗なクレームが可能になったんだ。」

「それにしても気分を悪くさせるのは怖いですよ。なぜこんなことが可能なのでしょう。」

「なんでも昔の客商売では"お客様は神様です"という標語がありそれをモットーに接客をしていたらしい。神だと思えばこそ、不条理にも耐えられたんだろう。詳しくは知らないがおそらくヨブ記を元に発明された概念だろうね。」

「そ、そんな深い意味が!ますます恐ろしい。」

課長は誇らしげに顔を高揚させ、自信に満ちた顔をしていた。


課長だけではない。たしかに辺りを見回すとあれこれと店員に文句を言っている"お客様"がたくさんいるようだ。

狂ったように酒を(あお)る客もいる。今では多くの飲食店で酒の飲みすぎは禁止されているからここで飲むのだろうか。またカップルで来てイチャイチャしている客もいる。これも普通の店ではNGだ。公序良俗に反する。机の上にいっぱいに食べ物を積み上げて食べている客もいる。これは悪くはないが万が一残しでもしたら叱責は免れない。キャストとしてはあるまじき態度だ。店員の胸やお尻を触っている客もいる。……いやそれはダメだろ!そう倉上が思い、止めるべきか、しかしと躊躇している間に、課長がその客に殴りかかっていた。

「馬鹿野郎!てめぇ何やってんだ!見苦しい!」そう課長が怒鳴る。

「うるせぇ!こっちは客だぞ!お客様は神様なんだぞ!」と相手も負けてはいない。

「あほか!俺も客だ!こっちも神だ!神様の機嫌を損ねるとは何事か!自分だけが神だと思いやがって!この一神教気取りが!」

周りの客は盛り上がりヤンヤヤンヤと盛り立てる。課長がこんなになる姿を見るのは初めてだ。倉上としても止めに入りたいが、状況にのまれて入っていけない。

店の隅では店員たちが怯えた様に様子を見ている。

「あ、あの店員さん。何とか止められませんか?私一人では難しくて。」

なんとか店員の協力を仰ごうとした倉上であったが、「我々はお客様に手出しは出来ません。まったく我々は無力なのです」と怒れる神々の戦いを前に人間たる店員は全くお手上げの様子であった。

課長のアッパーがセクハラ客の顎をとらえた。吹っ飛んだ客が他の机に突っ込む。ひっくり返った食べものを頭からかぶった客が怒り狂い、新たな争いを生む。どの客も神様扱いで気が大きくなっているのだろうか。あちこちで殴り合いが始まった。喧騒が狂騒を生み、カップル客はその熱にあてられたのか、抱擁は激しく、接吻も加わり、そして服をまくり上げ……。ああ、好色な神々よ!

酒飲みはバッカスの如く酒を飲んでは辺りに吐瀉物(としゃぶつ)をぶちまける。怒った女性客は奥のトイレに引き籠り、その前で若者たちが狂ったように踊りまくる。どいつもこいつも自分勝手に暴れまわっている。なるほど一神教ではないという課長のセリフは嘘ではない、神と化した"お客様"達の狂騒はカオスとなり、もはやだれの手にもおえぬ状況であった。呆然と立ち尽くす倉上の背後で大食い客が大量の食べ物を確保していたが吹っ飛んできた大酒飲みとぶつかり、ひっくり返った肉やら野菜やら海産物やら特にタコやらイカやらが倉上の全身を覆った。そこに大酒飲みの吐瀉物が頭から降り注いだ。


「いいかげんしろぉぉぉぉぉ!」

ついにキレた倉上の地獄から響き渡るかの如く呻き声とその禍々しき姿に店内は静まり返った。

後に店員が語るには、その姿はまるで世界の旧支配者たる神々の如く恐ろしい姿であったという。


平静を取り戻した客たちはめちゃくちゃになった店内を見回して血の気が引いた。お客様も店を出ればただの人である。店の損害を賠償する事となり、客たちは分担して賠償金を払う事となった。倉上と課長も大きな痛手を負った。


再び平穏な日々が訪れ、課長はまた物静かになり、飲み会に参加することもなくなった。

「すまなかったな倉上くん。君にまで負担を強いてしまって、この埋め合わせは必ずするから。まったく私は貧乏神だよ。」

「いいえ、私もいい経験になりましたよ。かつてのお客様扱いがどうして廃れたのかがよくわかりました。」

「例の神様商売も店を改装して、新規一転新しい店として開店したらしいよ。今度は和食の落ち着いた店でさすがに客の神様扱いは止めたらしいよ。それでも人気があるから、もう少し位を落として、あくまで人間扱いの範囲で丁寧に接客してくれるとの事だ。ただ料金も高いし、今までの反動からか店員の態度もでかくてあまり流行っていないらしいね。」

倉上も先週店の前を偶然通りかかった。その時店の看板を見てギョッとしたのを思い出した。


「いやぁ、あれは店名も悪いんじゃないでしょうか。なにしろ看板に大きく"殿様商売"って書いてるんですから。」


2015.12.26

読んで頂きありがとうございます。来年はより精進したいものです。

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