寝るより楽は無かりけり
すこし長めですがお楽しみ頂ければ
あぁ~働きたくないなぁ
いつものように俺はグダグダと家でごくをつぶしていた。
ニート生活も3年目ともなると板に付いてくるものだ。などと思っているのは家庭内で俺だけであり、日々家族からのプレッシャーを受けている。もちろんこちらも3年目であるのだから、それらをかわす術は心得ている。
ここ数週は特に風当たりが強い。母がテレビでニート特集を観たらしい。テレビってのは碌なことをしない。
こんな時は天下御免の免罪符、求人誌だ。冊子をキョンシーの如く掲げ、どうだと辺りにアピールしつつ家の中を睥睨するのである。この作戦はしょっちゅうやってしまうと説得力が失われる為いざという時だけのとっておきの大技なのだ。
そんな印籠替わりの求人誌を冷やかしに見てやると、不思議な求人を見つけた。
『急募。寝るのが得意な方。いくらでも眠れるという方是非応募ください。基本給に加え睡眠時間に応じた手当が付きます。在宅勤務可。果報社』
怪しい。だが心惹かれる募集だ。なにしろ俺の唯一の特技はいくらでも眠れることだ。毎日15時間は当たり前。その気になれば丸一日眠り続ける事も可能だ。俺の座右の銘は『寝るより楽は無かりけり』なくらいだ。この特技で人から嘲笑こそされ、褒められたことは一度もないが、初めて特技を仕事にできるかもしれん。そう思い俺は動いた。俺が面接に行くと言った夜、夕食には赤飯が並んでいた。
「弊社にご応募いただいた理由はなんですか」
ありきたりな質問だ。普通であれば答えに窮するところだが、今回ばかりは自信をもって答える事が出来る。
「はい、私は求人にあったとおり睡眠が得意です。毎日15時間は眠れます。もちろんそれ以上も可能です。」
「睡眠薬などは使用していませんか?」
「もちろんです。そんなもの飲んだ事がありません。」
面接官たちはヒソヒソと話し合い、全員納得したように頷いた。
「わかりました。一次審査は通過です。引き続き睡眠テストを受けてください」
俺は促されるままにベッドの並んだ部屋につれていかれ、そこで変なヘルメットを被らされてそこで眠るよう言われた。寝ているときの脳波を取られているらしい。
30分ほど眠ったところで起こされ待合室で待つように言われた。やはり魅力的な求人なのだろう。待たされる人間は大勢いた。
しばらく待つと名前を呼ばれた。呼ばれたのは俺を含め5人程度であった。
呼ばれると社員の男が立っており椅子に座った俺たち5人に向けて説明を始めた。
「みなさんは非常に優れた睡眠をとっていることが判明しました。ぜひ弊社の製品モニターとして働いて頂きたいと思います。」
製品モニター?いったい何なのだろうか?
そういって社員の男が取り出したのは先ほどの変なヘルメットであった。
「みなさんには弊社のこのDDC-49Lという装置を取り付けて眠っていただきます。業務内容はそれだけです。こちらの装置は睡眠の代理を行う装置です。現代社会には睡眠がどうしてもとれない人がいます。経営者や芸能人、漫画家など睡眠時間がどうしても取れません。体力回復や疲労回復は栄養剤やリラクゼーション装置の進歩により睡眠不要となるはずでした。ところがそれでも人間は睡眠が不要となることはありません。それは脳の記憶整理を睡眠時に行っているためです。この作業を誰かが代理出来たら……そうです、それをみなさんに行って頂きます。この装置は分散コンピューティングの思想を基に開発されました。分散コンピューティングとは莫大なプログラムを個々のコンピュータに繋いで各々計算を行わせる考え方です。実際にナチの暗号解読や遺伝子解析、宇宙生物の探索に分散コンピュータが使われています。これを人間で行ってしまおうというのが弊社のシステムです。睡眠をとれないユーザーの為にみなさんが生体コンピュータとなり睡眠時の脳内計算処理を代理するのです。皆さんは今日からプロの睡眠者となり眠っていただきます。」
わかるような、まったくわからないような説明であったが、とりあえずつけて眠れば給料がもらえるのだろう。こんな素晴らしい仕事は無い。俺はさっそくその日から睡眠者として装置を頭にかぶり眠り続けた。
するとどうだろう。俺の睡眠は時間、質共にぶっちぎりで高パフォーマンスをたたき出し、社内の睡眠成績1位を毎月取り続けた。家で寝ているだけで給料が入り、特別手当としてボーナスまで支給された。あまりに素晴らしいということで本社に呼ばれた俺は他の睡眠者達相手に特別講義を行う事となった。俺の睡眠は生まれ持った才能であるのだが、それらしい技術論をでっちあげて語る。所詮士気を上げるための講義で実用性などはどうでも良いのである。
何度か講義を続けていると俺は出世した。睡眠主任、睡眠課長、睡眠部長とトントン拍子にランクアップしていくのはまるでゲームのようで楽しかったが次第に責任が増してきた。睡眠の質が低い部下の監督や目的の睡眠量に達していないグループを叱ったり、まるで俺に向いていないことまでするハメになったのだ。こんなストレスが溜まってしまうと気分よく眠れないし、ストレスが多いと睡眠時の自分の情報処理にリソースを取られてしまう。そうするとあんなに大好きであった睡眠が段々とプレッシャーになってくる。
眠れなければ、眠らなければと焦る事ほど睡眠を妨げるものは無い。睡眠者に役職を与えること自体がおかしな行為なのだ。と俺は会社への不満が日に日に高まっていた。
いつものように眠れぬ夜に俺がたまたまTwitterで呟いた『今日もノルマ分眠らなくては。睡眠のプロも楽ではない』という言葉を偶然ある雑誌記者の目に留まり、俺は取材を受けた。ゴシップ誌の小さな記事であったが、睡眠のプロという珍しさが受けたようで続けて俺はいくつかの取材を受けた。『寝てるだけで金持ちに』『働かないニートの逆襲』といったネタにした記事から『ついに現代社会では時間さえも売り渡す時代となった。これからは時間弱者が生まれる』などといった社会派な記事もあった。俺はどうでも良かった。ただ目立てれば嬉しかったのだ。会社側も宣伝になるとでも思っていたのか黙認のようなので俺は気にしなかった。
ついに俺はテレビでも取り上げられるようになった。そこで俺はかつてのダメ人間っぷりを面白可笑しく語り、眠る才能があることを語った。それだけではない。プロがいかに大変かも語った。視聴者はプロがいかに苦労しているかという話が聴きたいのだ。良い睡眠の為に徹底的に自己管理を行い、食事や適度な運動。もちろん睡眠薬などは情報処理を鈍らせるのでご法度。自然に高パフォーマンスをキープするためのストレスコントロール。などいかにプロ睡眠者が辛く、大変な思いをしているかを語った。そうしないと舐められるからだ。同情を得てプライドを示す為、プロとはそういう事を語りたがるのだ。俺は本を出した。タイトルは『果報は寝て待て』だ。そこそこヒットしたので今がチャンスとビジネス本などの自己啓発本からダイエット本まで出しまくり、宣伝の為にテレビでもなんでも睡眠に結び付けて語るコメンテーターとして活躍した。
俺はどんどん忙しくなり睡眠どころではなくなった。俺は社内の優秀な睡眠者を何名かヘッドハンティングして俺専用の睡眠者として密かに働かせた。テレビに出るようになるとそれだけで寄ってくる女というのもいるものだ。バラエティ番組で知り合ったグラビアアイドルと親しくなり食事などするようになったがある日レストランを出たところで女が突然馴れ馴れしくしてきた。胸など押してつけてきて、まんざらでもないのでウハウハしていたが15分もするとすぐに離れてさっさと帰っていった。
翌週の週刊誌で『スクープ!睡眠のプロと寝たオンナ!』という見出しと共に俺とグラビアアイドルの写真が載っていた。いいように売名に利用されたのだ。
それでも俺はテレビに出続けた。いちど名声を得るともう元の生活には戻れない。だが眠るだけの俺が視聴者に飽きられるのも時間の問題であった。次第に『あいつ、いつ寝てるんだ』などとネットで噂されるようになり、俺の行動を監視する輩まで現れだした。落ち始めると悪いことは次々と起こるもので俺の雇っていた睡眠者たちが一斉に俺を告発した。
報道は連日続きゴーストスリーパー騒動と呼ばれるようになった。俺はまるで大犯罪者のように世間の非難を一手にうけてマスコミに日々追われるようになった。会社もイメージが悪くなるとすぐに俺をクビにした。当然、装置も取り上げられた。
俺は心身共にボロボロになっていた。入院して睡眠薬で眠ったが気分は最悪であった。
タレント気取り時代の浪費やゴーストスリーパーたちから精神的苦痛を理由に慰謝料を請求された俺は金もすっかりなくなってしまった。
もはや人生に意味は感じられず、いっそこのまま永遠に眠ってしまおうかと思い始めたときのことだ。
俺は自嘲気味に医者に語った。
「わたしの座右の銘は”寝るより楽は無かりけり”だったんですけどねぇ。いつの間にか寝るのが苦痛になってしまいましたよ。もう生きている意味などありません。」
話を聞いていた医者は軽く笑うと俺に言った。
「素晴らしい座右の銘ですな。それはたしか江戸時代の狂歌です。でもその言葉には続きがあるんですよ。」
「続き?」
俺はこの言葉をどこで知ったのか覚えていなかった。もちろん続きがあることも。
「続きってなんですか?」
「”寝るより楽は無かりけり 浮世の馬鹿が起きて働く”ですよ」
そういって医者は笑った。
俺も笑った。
俺は再びニートに戻った。家族は嫌そうな顔をしている。
ああ、だが義務も責任もなく、ただ眠ることのなんと素晴らしいことか!!
完
2015.11.12
読んで頂きありがとございました。




